「背後にはビリーの鬱屈があり、苦悩もあったと思う。」マネーボール talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
背後にはビリーの鬱屈があり、苦悩もあったと思う。
<映画のことば>
ここは、ヤンキースではない。
だから、ヤンキースと同じことはできない。
本作についてのネット上では、「マイケル・ルイスによる『マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男』を原作とし、オークランド・アスレチックスのゼネラルマネージャー(GM)であるビリー・ビーンが、セイバーメトリクスを用い経営危機に瀕した球団を再建する姿を描く」(Wikipedia)とか、「メジャーリーグ「オークランド・アスレチックス」のGM(ゼネラルマネージャー)、ビリー・ビーンの半生を、ブラッド・ピット主演で映画化。全米約30球団の中でも下から数えたほうが早いといわれた弱小球団のアスレチックスを独自の「マネー・ボール理論」により改革し、常勝球団に育てあげたビーンの苦悩と栄光のドラマを描く。」(当映画.comサイト)とか、解説されているのですけれども。
観終わって、評論子には、別の感慨がありました。
それは、ひと言でいえば、「スカウトに人生を狂わされた悲運の男・ビリー・ビーン」といった感じでしょうか。
著名大学に、奨学金を得て進学できるほど優秀だったビリー。
その「シナリオ」どおりにコトが進んでいれば、ビリーは、たとえば大学でMBA(経営学修士)を取得するなど、企業のエグゼクティブ層(経営者層)として、オークランド・アスレチックスにGM(ゼネラルマネージャー)として「使われる(雇われる)」立場ではなく、むしろオークランド・アスレチックスを「経営する」側に立っていたかも知れない人物。
現実は「名センター」への夢も絶たれて選手への夢を絶たれ、球団のマネージャーとして、野球界の片隅で、もがき、苦しみながら息をしているビリー。
上掲の映画のことばは、そういう鬱屈の中のビリーの、苦悩の一端を吐露することばでもあったと、評論子は受け取りました。
ガラス玉を「ダイヤモンドだ」と言ってスカウトするような無能なスカウトに「(ビリーのような)5拍子揃った選手は他にいない」などとおだて上げられ、「(進学と野球選手として活動との)両立は無理」と言われて進学を棒に振ってしまった結果は、選手としての夢を絶たれた挙句に、オークランド・アスレチックスに「使われる(雇われる)」立場になってしまた―。
当のスカウトにしてみれば、「磨けば光ると思ってスカウトしたが、けっきょくは磨いても光らなかっただけの話」なのかも知れませんけれども。
結局は、本作のビリーも、「ダイヤモンドを買うつもりで、大金を叩(はた)いてガラス玉を買ってしまう」ような無能なスカウトにそそのかされて、名門大学への奨学生としての入学を棒に振ってしまった一人と断ずるべきだと、評論子は思います。
(ひとりの人間の転落(あえて「転落」といいます)の背中を押した―ひとりの優秀な人間の将来を潰した責任はどうなるのかと、その無責任さ(?)には、腹立ちすら覚えました。)
そしてらそういう境遇の中でも、いわゆるマネーボール理論に基づいて、這い上がるもがきら、足掻(あが)くビリーの姿が胸に痛い一本だったというのが、むしろ本作の真髄(裁判例に含まれるエッセンスに例えて言えば「レイシオ・デシデンタイ」ともいうべきもの)と評論子は考えます。
そのことを描いたドラマとしては、佳作としての評価が充二分に可能な一本と評したいとも、評論子は思います。
(追記)
<映画のことば>
野球で何を把握すべきか誤解している人が多すぎる。
メジャーリーグを運営する人たちが、選手やチームを理解していない。
球団の人々は金で選手を買おうと思ってる。
だが、本当は選手ではなく「勝利」を買うべきだ。
それには、得点が必要だ。
レッドソックスは、デーモンを750万ドル以上の価値とみた。
僕からみれば、彼は、得点の取り方がよく分かっていない。
彼は、守備はいい。
一番打者で、盗塁もうまい。
だが年俸750万ドルも払う価値があるか。
野球界は古い。
求めるものを間違えている。
…
デーモンを放出したのは、正解です。
おかげで、あらゆる可能性が出てきた。
「マネーボール理論」―それまでは、GMや監督の「経験」と「感(第六感)」に依存してきた野球チームの勝利策に、初めて経済学・統計学的理論を導入した。
そういう意味では、プロ野球史上、画期的な出来事なのかも知れませんけれども。
しかし、実際のプロ野球の興業には、勝敗を争うスポーツ(プロスポーツ)としての要素のほか、観客を楽しませるエンターテインメントの要素…つまり、ある種の「ショー的要素」も、含まれていると、評論子は思います。
他に例えれば、プロレスが、「プロ」の「レスリング競技」としての要素の他に、意図的な「悪役レスラー」や「隠し凶器」、そして悪役レスラーの「反則技」による正義派レスラーの流血(人間の額は、頭蓋骨との薄い隙間を通っている血管があり、そこが切れると、体に対するダメージの割には、出血量が多いとも聞き及びます)。
加えて、それらの「不正」に「うかつにも」気づかないふりのレフェリーといった「ショー的要素」が、観客の正義感を刺激して、ひとつのエンターテインメント興業として観客を引きつけるように。
ひと頃はマンガ(作・水島新司)の「あぶさん」こと景浦安武に惹かれて南海ホークス(当時。、現・福岡ソフトバンクホークス)のファンだったことがあった程度の評論子の意見ではありますけれども。
やはり、有力選手のトレード、戦力外通告など、いろいろな要素で、シーズンごとに、勝ったり負けたりするのが、プロ野球観戦の醍醐味であって…。
常勝理論の導入で、パーフェクトな球団を創り出す―。
そんなプロ野球は、実は、見ていても楽しくないのではないかと考えるのは、案外、評論子独りではないとも思います。
