「マネーボール理論は夢溢れるマジックなのか、ファンを欺くまやかしのトリックに過ぎなかったのか」マネーボール TRINITY:The Righthanded Devilさんの映画レビュー(感想・評価)
マネーボール理論は夢溢れるマジックなのか、ファンを欺くまやかしのトリックに過ぎなかったのか
作品の冒頭、登場するのは2001年MLBポストシーズンマッチの実際の映像。
最初に大写しになるジョニー・デイモンは当時のオークランド・アスレチックス(長いので以下A's)の中心打者。実は、彼こそが本作の虚実を象徴する重要な人物でもある。
昨年TV放送で観賞して以来、レビューすべきか散々迷ったが(映画ではなく野球の話ばかりになりそうな気がしたから)、本格的に開幕する2025年のシーズンを前にやはり自分なりの考えを残しておきたい。
映画の舞台となったオークランドのMLB球団は今年、56年間慣れ親しんだ現地から姿を消す。
地元ファンからも自治体からも愛想を尽かされ、他地域への撤退を余儀なくされたからである。
作品の主人公ビリー・ビーンが採用した「マネーボール理論」は当時話題になり、打者を評価するOPS(出塁率+長打率)というあらたな指標は、今や日本のプロ野球中継でも当たり前のように用いられるようになった。
バントや盗塁を評価せず、長打に重きを置いた発想は、その後のフライボール革命にも少なからず影響を及ぼしている。
資金力に乏しい球団が如何にして金満球団を相手に頂点を目指すかというサクセスストーリーは当時のオークランドのファンのみならず、多くの野球ファンに支持されたが、四半世紀経った今に至るまでワールドシリーズ(以下WS)制覇という結果に結びついていない。制覇どころか、その間A'sは一度たりともWS出場にすら到達しておらず、リーグ優勝決定戦に勝ち進んだのも2006年の一回きり。
理由は育成して力を付けた若手を高額選手になる前に放出するという戦略を繰り返してきたせいで、チームに地力がつかないから。
マネーボール理論は金を掛けずにチームに栄冠をもたらすという当初の目的から、いつしか安上がりで球団を経営するための口実に成り下がっていくが、さすがにファンも気付き始め、MLB屈指の収容力を誇るオークランドコロシアムはいっそう閑古鳥が鳴く羽目に。資金力の不足と人気の低迷がマネーボール理論の虚像を暴き出した結果が、A'sの現在の着地点といえる。
作品の終盤、ビリーを引き抜こうとしたボストン・レッドソックス(以下BOS)が二年後、WSを制したことが字幕で紹介され、「A'sが挑戦した理論を証明した」と続くが、この時BOSで活躍した主力選手の一人がFA移籍でA'sから加入したデイモン。
作中、能力を疑問視される場面も見られるが、彼は本塁打20本前後、盗塁30近くを期待できるバランスのとれた好選手。ピーターから「点の取り方を分かっていない」と批判されるが、メンタルではなくデータで評価するのなら、点の取り方を分からせるのは使う側の責任であって選手の能力とは関係ない(余談だが、ピーターのデーモンに対する主張は、皮肉にもOPSの指標における問題点を代弁している)。
映画では如何にも長年チームを支えて来た中心選手のように印象付けられるが、デイモンは年俸で揉めて前年の所属球団ロイヤルズから放出されたのをリスク覚悟で拾ってきた選手。FA権を行使して一年で流出することは既定路線だった。
デイモンを獲得したBOSはその後もWS制覇を重ね強豪チームとなるが、実情は高額選手を次々獲得し、「赤いヤンキース」と化している。マネーボール理論の影響はほぼ無関係に思える。
作品中A'sと対称的な球団として扱われるニューヨーク・ヤンキース(以下NYY)は1980年代から90年代初頭にかけて資金力にものを言わせた補強が功を奏さず低迷していたが、その直後「90年代最強チーム」と称されるに至ったのは、コア4(フォー)と呼ばれる生え抜き選手のおかげ。再び補強路線に奔った21世紀に入ってからは、WS出場4度、同優勝1度という黄金期には程遠い状況。資金力とチームの成績が作中で強調されるほど比例していないことを証明している。
A'sと対称的なチームというならヒューストン・アストロズ(以下HOU)こそそう称されるべきだと思うが、本作が公開された2011年ごろはまだ弱小球団。
ナ・リーグからA'sと同じア・リーグ西地区に移動した当初は三年連続100敗を記録するほどの低迷を経験したが、試合実績の数値で選手の能力を査定したA'sと異なり、HOUは選手の身体能力自体をデータ化することで有望選手を発掘し、その後の躍進に成功している。
ホセ・アルトゥーベはHOUの戦略を象徴する代表的な選手。
身長168cmと公表されているが、実際にはもっと低く見えるし、走力はあっても長打は期待できなかった彼をA'sの指標は高く評価しなかっただろう。
しかしMLB昇格後の彼は最多安打4回、首位打者3回、盗塁王2回で通算打率3割超、おまけに右打者に有利な本拠地ミニッツメイド・パーク(昨年まで)の地の利を活かして30本塁打以上も複数回でスラッガー並みの通算OPS8割台(いずれも2024年終了時)と、今ではMLB屈指の名選手に登り詰めている。
映画の最終盤、アルトゥーベとはまったく正反対の、走れないが長打が魅力の体重108kgの巨漢選手が記録ビデオ(使われているのは再現映像)で紹介される。
実際にA'sがドラフトで獲得した選手だが、MLBで結果を残すことができず2008年に引退している。
彼とアルトゥーベの実績の差がA'sとHOUの現在を暗示しているというべきだろう。
それにしても、映画が製作された2011年時点で前述の巨漢選手の結果は分かっていた筈なのに、作品で実名まで出して取り上げる必要があったのだろうか。実際には移籍先のBOSで世界制覇に貢献したデイモンの扱われ方も含め、制作側の意図を勘繰りたくなる。
同じく実在するMLB球団を扱いながら、すべて架空の人物を登場させた『メジャーリーグ』(1989)と異なり、実話を元にした本作は登場人物のほとんどが実名。
選手起用をめぐりGMのビーンと衝突するハウ監督は作中では人間性や指揮能力を疑われる人物として描かれるが、実際の彼は人格者として慕われていた指導者。
GMと起用法をめぐって対立したのは事実だが、そのせいで解任されそうになった際には選手の間から嘆願の声が挙がった程。
映画が製作された約10年前を扱った本作。
ハウ監督を演じたP・S・ホフマンの怪演は称えたいが、登場人物の多くが存命だったことを考えると、もう少し演出への配慮があってもよかったのではと感じてしまう。
選手の補強を相談する編成会議で、古参のスカウト陣を能なし集団のように扱っているのも、あまりにも不遜で失礼。
作品の評価が星1.5なのは、同じくMLBの実話を元にしたデタラメな映画『タイ・カップ』(1995 レビューで星0.5しか点けなかった)よりはましという理由。
作品の解説で「下から数えた方が早いと言われたほどの弱小球団」とこき下ろされたA'sは、NYYに次いでリーグで二番目に多い9度のWS制覇を誇るれっきとした名門チーム。
本拠地移転に伴い、球団の方針が変わりかつての栄光を取り戻せる日は訪れるのか。MLBの球場では例外的に珍しいオークランド名物の鳴り物を使った応援も、移転先に引き継がれるのか心配。
2024年6月17日、NHK-BSにて視聴。
当時「なぜこの時期に?!」と思ったが(オークランドからの撤退は既に発表されていたし、マネーボール理論に基づく戦略の失敗は明らか)、今後放送される機会はあるのだろうか。