ソーシャル・ネットワークのレビュー・感想・評価
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天才だけどコミュニケーションは未熟
いきなり早口での彼女との別れ話から始まるシーン。
まったくかみ合わない二人。
結果的に彼女に愛想をつかされた形のマークは、腹いせに彼女の悪口をブログに書き、
そのまま酔った勢いでハーバード大学の学生年鑑にハッキングをかける。
彼は無作為に二人の女子大生の写真をウェブに上げ、どちらの女子がより美人か投票させるというサイトを立ち上げてしまう。
そのサイトは一夜にして大学中に広がり、夜中に22000アクセスという驚異的なアクセスを記録するのだった。
現在、全世界に広まったSNSの「フェイスブック」。
それを作ったマーク・ザッカーバーグの半生を、彼に対する二つの訴訟の場を元に回想していく形で展開される映画です。
今も生きている人の半生を映画化するのって、すごく難しい気がします。
だって、「あなたは彼をどういう人間だと思いますか?」って、訴訟に関わった人たちに聞いても、
「いや、本人生きてるし!言いづらいわ!」ってつっこみたくなりません?
しかし、さすがデヴィット・フィンチャー監督。
映画としての完成度の高さには驚かされました。
この作品のすごいところは、当事者であるマークがこの映画に一切関わっていないことですよ。
映画のセリフにもあったけど、本当に「僕はフェイスブックの事しか考えたくないんだ」ということなのでしょうね。
私はマーク・ザッカーバーグという人間について、本当にこの映画からの知識しかないんですが、嫌いじゃないと思いました。
少なくとも、金、地位や名誉に対する執着心はないね。
あるのは、プログラムに対する知的好奇心、探究心のみ。
面白いものを作ってみんなと共有したいという精神が、彼の言動の端々に見えます。
でも、悲しいかな彼の周りの人たちはそれで楽しみたいのではなく、儲けたいんですよね。
彼のたった一人の親友である、エドゥアルドとの溝が深くなっていく様子を見ているのは悲しかった。
私、この映画を見て色々と教訓を得たような気がします。
本当に自分の好きな事は、仕事(収入を得る手段)にしちゃいけない。
感情(友情・憧れ)とビジネスは分けなければならない。
ありきたりだけど、天才は理解されないものだなーと感じました。
マークは、まだ人として未熟なんでしょう。
実際、世界最年少の億万長者だし。(映画の時点で19~20歳)
氷点下の中パーカーと短パンで過ごすのは子供っぽいというのを超えている気がするが(笑)
なついた人間の言うままの行動をとってしまうところは、本当に幼い…と感じました。可愛くもあるけど。
マークは、「ナップスター」創設者ショーンを破産させた投資会社に仕返しするため、会議に遅刻しパジャマで登場、罵り言葉を吐いたとか。(ショーンの指示で)
あと、アメリカの学生のクラブ文化も、今まで知らなかった文化だったので新鮮でした。
日本の政界みたいでしたね。
うん。アメリカ人て「エリート」が好きよねー(笑)
ま、それが向上心の源なんでしょうけど。
淡々としていてセリフも多いので、眠くなるかなーと思ったけれど、同世代だからか、飽きずに見ていられました。
経営とかは大学の専攻にも関わりある分野なので、興味あったしね。
一緒に母と観に行ったのですが、母はネットワーク事情には疎いので、眠くなったそうです。
まあ、私もミクシーやツイッターはやったことないので、疎い方だと思いますが。
でも、ブログくらいしかやっていない私でも色々感じるものがあったから、実際にミクシーとかやってる人にはもっと身近で楽しめそうだな…と思いました。
最後のシーンは、証人尋問?を終えたマークが一人オフィスでフェイスブックを開くところでした。
彼がアクセスしたのは元恋人エリカのフェイスブック。
彼は淡々と無言の「友達になる」ボタンを押し続けるのでした…。
対話と繋がりと幸せ。
アカデミー賞最有力?といわれている本作。
予告を観てからずっとこれが観たくて、待っていた^^;
私は特にSNSに興味がないし、どっちかというと疎い。
ただ、そこでしか会話できない友人もいたりするので
(もちろん「Facebook」ではないけど)登録はしている。
IT用語連発の本作、詳しいとさらに楽しめるだろうな。
期待通りの出来栄え、内容もほぼ思ったとおりだった。
主人公M・ザッカーバーグの人となりを、彼ではなく、
のちに裏切られた親友・エドゥアルドらへの取材から
書き上げられた原作。本人は一切協力しなかったそう。
なのでマークの本意などはまったく描かれていない。
それどころか、これほど嫌な奴だったか、と思うくらい
徹底的に彼の欠点や弱点を焙り出し、その逆に次々と
湧きあがる才能を広げ見せる構成など非常に面白い。
冒頭で当時の彼女と会話(になってないけど)している
彼の口調から、圧倒的に他人とのコミュニケーション
能力を欠いていることが分かる。そしてその彼女に
「サイテー」よばわりされたのを腹いせに当SNSの源を
考えだすところなんかまるでお子ちゃま同然。大学生の
思いつきそうなことだ~と思いきり苦笑いしてしまった。
ところがそれが一晩でとんでもない成果をあげてしまう。
彼にとっては自身の才能を伸ばす原点が彼女への恨み
・嫉みというわけで、それがラストのとあるシーンまで
延々と続く達成への道のり、というのがさらに面白い。
だいたいこの「Facebook」って目的はそこだよねぇ?と
いうプロフィール構成などを見ても男と女がいればこそ。
この作品では女性から発する彼への一言が効いている。
冒頭では「性格が最低」終盤では「そう振舞っているだけ」
さて、どちらが本当のマークなんだろう??
私は語られるすべてが本当の彼なんだろうなと思うが。
今や「Facebook」は世界最大のSNSとして発展し、
彼は当時世界最年少の億万長者となったそうだが、
今だに家にも車にも服装にもまったく興味を示さず^^;
(映画の服装は実際の服装だそうで)
その巨億の富を自身で運用なんて気はまるでないらしい。
私も今作を観てまず思ったのだが、なんというか、
好きなことを好きなだけやれれば幸せなオタク魂全開の
ビジネス系でなく、技術職人系だな、このヒトはと思った。
だから古現実派のエドゥアルドとはまったく噛み合わない。
「広告はクールじゃない」という発想自体が彼そのもので、
ナップスター創設者ショーンの考え方に近いものがある。
しかし、ビジネスはノリで成功するほど甘くはない。
ボート部との一件にしても、端から彼は双子を相手にせず、
アイデアを実際に活かしたのは俺だ、お前らにできるか?
と言ってのける。彼にアイデアを使われ、ボートでは負け、
学長には軽蹴される双子があまりに哀れで^^;泣けてくる。
ちなみに一人二役だったそうだが、双子に見えた!すごい。
中盤以降は、双子と親友から起こされた訴訟シーンと、
過去の回想シーンが交互に流れるので、弱冠観辛くなる。
女性相手にズバズバ言いたい放題のことを言い、
自身を支えてくれた友人の存在すら損得でしか測れず、
利用価値があれば何でも使うが、礼儀恩義には不道徳、
パーティーなんて大嫌い(爆)、だけど自分の才能だけは
絶対だ!!と信じて疑わないあの性格。周囲のオトナを
黙らせるほどの弁舌を持ってしても、理解説得は不可能。
彼にあるのは豊かな才能とそれを利用するユーザーたち。
でもおそらく彼はそれでいいのだ。目的は達成したし(爆)
まるで扱いにくい子供を見せられたような作品だったが^^;
新米弁護士からの言葉を受けとり、彼が返した反省には
やっとそこから少しずつ、対話が成立していく予感がした。
人間同士の繋がりは、常にキャッチボールだ。
彼のネットワークがどうかリアルに拓けていきますように…
(日本ではFacebookが流行らないらしい。実名登録だから?)
うーん…
フェイスブックの歴史というよりは、フェイスブックが出来上がるという何か爆発的な現象の肯定を描いた作品という感じでした。
頭の良い、でもアスペルガーで他人とコミュニケーションが取れない「社会的にいかがなものか?なオタク大学生」が彼女に振られた腹いせに作ったサイトがきっかけでフェイスブックが生まれた、というのは解ったのですが、とにかく登場人物たちのモラルの無さにイライラしてしまい、すみませんが私には面白さがわかりませんでした。
弁護士と原告側とを交えての和解交渉の場面=「現在」と「回想」とを織り交ぜて進むストーリーというのも最近の映画としては良くある構成で特に目新しさも感じません。マークが親友を蔑ろにしてまでショーンの提案に傾倒してゆく理由も視聴者側に伝わってきませんでした。
見終わった後も、特に何も残らず、フェイスブックが何なのかもいまだわかりません。たとえオスカーをとったとしても、2度は観なくて良いです。
IT'S COOL!
ラストの落としどころにやられました。
冒頭からのスピード感、登場人物たちのクールでスタイリッシュな描かれ方。 そしてあのオチですよ。 巧いなぁ 実に巧い。 この映画がただのIT映画におさまらず、きちんと人間くささも描いているラストに、ミョ〜な安心感を覚えたのは私だけではないはず!
以下、ネタバレ感想。
主人公のマークは天才です。もちろん自信と傲慢さをも持ち合わせています。それゆえに人を傷つける。未熟なんですね。まだ社会性が身についていないのです。
ネット上にどんなに繋がりを形成しても、Facebookの会社が拡大してもなお、彼は孤独です。むしろさらに孤独になっていきます。 これはまさに現代のネット社会を皮肉ってますね。
最後にマークはFacebookに登録してる元カノに友達申請をし、ページを何度も更新する。 ああ…、やっぱりこの天才も人の子なのね。パソコン画面を見つめるあどけない表情には、普通の19歳の男の子の顔が読み取れます。 この表情に、お姉さん、正直ノックアウト。最後、個人的趣向感想になりました。失礼しました。
まあとりあえず面白い
うーん。そうですねえ、まあとりあえず面白いとは思いましたが…。
Facebookそのものを描くのではなく、人間ドラマになっているのは事実ですが、それでも私には、Facebook人気に便乗して作られた作品のように思えました。
変化の早いIT業界で、Facebookが本当に成功したと言えるかどうかを判断するのはまだ時期尚早だと思います。そしてマーク・ザッカーバーグはまだ26歳。普通に考えればこれからの人生の方がはるかに長いわけです。サービスとしても、マークの人生としても、結果が出たとは言えないこのタイミングで、彼の半生を描くことにどれだけの意味があるのかよくわかりません。
しかも、内容はずいぶん脚色が加えられていて、事実とは異なるらしいです。結果として、私がうけた印象は、どちらかというとネガティブなものでした。
映画の中のマークはものすごく偏屈で、本人に悪気はないのかもしれませんが、ある意味デリカシーに欠けるというか、非常識というか、周りに気遣いができないタイプ。私の目には、彼女に嫌われたり親友から訴訟を起こされたりしても当然に思え、決して彼に対して同情や共感の気持ちは湧いてきません。
彼がFacebookを作ったのも、利用者に楽しんでもらえるのが喜びというよりは、利用者の求めるサービスを提供して上手くやった自分を喜んでいるようなニュアンスでした。Facebookというサービスの印象もちょっと悪くなったかも。そんな映画を、このタイミングでよく作ったなあ。
私もFacebookのアカウントを持っているのですが、ユーザビリティ的には気になるところが色々とあって、それと映画のネガティブな印象を勝手に結びつけてしまいます。
登場人物の早口のセリフ。予告編を見て「早いな」とは思っていましたが、英語圏の人にとってはどうなんだろう。私は基本的に字幕頼りなので早口でも関係ないのですが(^^;)、一部、英語が聞き取れたところで、字幕が端折られていることもわかりました。あのセリフを全部字幕にしたら読みきれないのは当然ですが、どれだけ情報量が減った(=内容が薄くなった)か、ちょっと気になるところ。
映画館は、割とお客さんが入っていたと思います。ゴールデングローブ賞をとった影響もあったでしょう。普段映画を見ない人はエンドロールで席を立つ割り合いが多いのですが、今回も多かった気がします。
ところで、この映画はPG12指定らしいのですが、どこがよろしくなかったんだろう。もしかしたらパーティでマリファナか何か吸っている場面があるからかな。しかし、仮にマリファナがなかったとしても、アメリカの若者のあのパーティの雰囲気は、個人的には全然受け付けないなあ。アメリカに生まれなくてよかった(^^;)。
最初の数分で・・・
最初のバーでの会話のシーン。
ふたりの切り返しのみで、怒濤の会話を数分見せる。
ここで主人公の頭の回転の速さと、性格の悪さと、それでいて悪気の無さと・・・彼のことをわからせてしまう。
この冒頭のシーン素晴らしい。
あとは映画的に派手な見せ場も無いし、残るものほとんど無いか・・・
この映画にタイミングを合わせてなのか、資産のほとんどを寄付してしまうなど、とてもCoolな青年です。
つながる友は量ではなく質について悩むよね
毎度、社会の皮肉を上手い事切り取るフィンチャー監督。
“デジタル・エイジ・カルチャー”なんて言葉あるんですね。
得体の知れない時代の孤独を鋭くエグった今作、
実話をベースにしてるのもあるから信憑性バツクンw
この「現実ではない仮想世界」がここ数年で
「現実を補完する拡張社会」にまで発展してることが
実はネットしてる人でも気づいてるようで気づかない、
知らず知らずに社会がハックされちゃってる怖さw
冒頭とラストが秀逸。
非コミュの主人公が作った理想のユートピアで
気軽に繋がれる5億人の友達を得ても、
たった一人のガールフレンドの心は得られない。
おまけに少ないリアル友達を失った孤独。
結局、彼にとっての幸せは念願は叶ったのでしょうか?
と観客に委ねた問いかけw。
どんなに世界最年少のビリオネアでも、この一面で
自分は彼よりももしかして幸せかもしれないと、、、
そう思う観客は少なくないかもしれないですね。
マーク・ザッカーバーグって強欲で人でなしな奴!
なんて感じる人も多いみたいだけど、この作品見ると
フィンチャー監督の愛ある演出で一概にそうも言えない。
マーク自身は、ファイナル・クラブへ入れない劣等感を
きっかけに、自分の能力を正当に評価されたい願望と
価値ある物として生み出した“Facebook"を
世間に知らしめたかった部分が彼の本心。
泥沼裁判になったけど嫉妬にまみれた金欲や悪意は
むしろ周囲の感情の方が目立ち、
やり方に非はあるにせよ単なる人でなしとも思えない。
実際、成功した後も誰よりも夜更けまで働く姿や
その責任感は“Facebook”を誰よりも真剣に大切に
思っているそんな彼が伺える訳でw。
アメリカは、勝ち抜いて上に立つという厳しさを知ってる分
実力者の富みに対して素直に賞賛できる国。
(失敗すればいいのにとは思ってるかもしれないけど)
あんなにとんがった彼も今はまだそんなに憎まれてないハズ。
エドゥアルドにした仕打ちも一見、裏切り行為に見えるけど
ショーンが持っている経験とエンターテイメント性の助言も
理論的に間違ってるようにも見えないこともあったりで、、、
「仕事と友達は別」というのも社会の常識とは言いつつ
あの流れでしかもあの若さでは、エドゥアルドには
仕方ないとはいえ、やっぱちょっと可哀想だった。
でも、無価値の30%より数十億のコンマ%をあげたかった
マークに愛がなかったわけじゃないんだよねー(切ない)
ま、そんな理論で我が道をひた走るマークも女弁護士に
「事実がどうであれ、判断するのは感情ある人間ですから…」
的な一言にはぐぅの音もでない様子だったけどw
日本は“Facebook”より“mixi"ユーザーの方が多いけど
あのアイビーリーグの香りが漂うブランド感、
資格や地位がなくともセレブと繋がれるワクワク感。
きっと、当初では大興奮だったに違いないと思います。
期待通り
巷では「21世紀を代表する一作」とか評価されてるけど,やっぱり評価され過ぎの感は否めない。結局この宣伝文句って要はこういう題材を取り上げた映画が初めてだったからってことに尽きると思う。その分では内容は至ってシンプル。「成功と引き換えに友情を失う」ってことだけど,そこを丁寧に作り上げてるなぁと思う。
全編会話劇の映画で冒頭からマークが喋りまくる。この役を演じたジェシー・アイゼンバーグの「目の動き」に個人的にハマった。殆ど目線を動かさずに相手だけを見る。その目の動きでイノセンスなんだけど高圧的で自分より劣ると思った相手には上手に立とうとしがちな性格が垣間見えるなぁと思った。だから後の展開でウィンクルボス兄弟を「裏切る」展開にも何となく納得出来た。
彼女に振られた腹いせがフェイスブックのきっかけになっているけど,その割にはその後フェイスブックのディテールやその繁栄具合を示すのが「アクセス数」の一点にしか存在しなくて,それで良いのか?と思ったりもするが,フェイスブックを使ってない自分なりに解釈すると,友達を増やすということのみに価値があるからそれ以上繁栄を表す表現は必要ないと意図的に演出しているということなのだと思う。結局,マークは女とやりたかっただけだし。
と理解すると「インターネット社会に対するステレオタイプ」が残ってるようにも思う。フェイスブックが如何に凄いかということに対して説明していないから。でもこれも大学の「ファイナルクラブ」との対比で解決するのかな。ファイナルクラブという一見華やかにして排他的な組織社会をバカにする存在がフェイスブックだということが表現できてると思う。
映画の中で印象的だったのはマークとエドゥアルドの電話のシーン。人物をスクリーンの同じ位置に置いて背景で起こっていることの対比をさせている。ここに「2人の後ろで世界が変わろうとしている」というニュアンスを感じた。実際,マークは自分の意図しないところでエドゥアルドを排他しようとしてたことを後に知ることになっているし,エドゥアルドもいつの間にかフェイスブックの中で厄介者扱いになっている。マークとエドはフェイスブックという「交友関係」を広げすぎた余り互いを見失っていたんだなぁと思ってすごくエモーショナルに感じた。
マークは「クールなSNS」を作ることだけを考えてきた。そしてショーンパーカーと出会うことで自分の目指すものを掴むのだけど,大きくなったオフィスの壁のデザインとかなんかやりすぎてしまった印象を受けた。マークはオシャレノイローゼにかかってしまっていると思った。それがエドゥアルドとの軋轢を決定的にしたことは言うまでもないと思う。
細かいところにいちゃもん付けると,やっぱり音楽が絡むと上手くいってないように思える。インターネットが絡むからって電子音楽的なBGMは逆にギクシャクしてしまう気がするし,クラブ描写は素人の自分から見ても「ないな」と思う。ダサかった。敢えて客観的に見てダサくなるようにしてるのかもしれないけど。
でもこういう映画ってやっぱり「今」見ることで得るものが大きくなると思う。ツイッターにハマってそこでしか言いたいことを伝えられなくなっている自分を客観的に見て「これでいいのか...」と思うこともあるし。現実にこうやってパソコンに向かって誰とも知らない人にこの映画の感想を伝えることが既にデヴィット・フィンチャーが伝えようとしていることの一部になっているのではないかとも思ってしまう。
結局絶賛トーンになっちゃった。冒頭のとおり褒められすぎてるように思うけどそれでも見てよかったなと思う作品でした。
何を求めて見るのかによる
個人的な感想として
ITが普及した時代でも人間の基本的欲望は変わらないということです。
映画の中でデビット・フィンチャー監督は人の欲するものを美化することなく描いていきます。
その対象が、名声であり、金であり、愛であり…。赤裸々に
ITで人々に支持される上での共通点として
クールさ、無料であること、早さ、があります。
主人公マーク・ザッカーバーグが所属する世界一の名門、ハーバード大学。
(当時の名称)「ザ・フェイスブック」はその名門所属の学生からしかメンバーを集めませんでした。
クールさを演出するためです。
また、無料で公開しておりながらバナーを貼り付けることなく、広告収入に頼らなかったのもクールなSNSというイメージ戦略に一役買いました。
(ミクシィの場合、会員が「東大生」だけということにはなりませんでしたが、あえて紹介制の「完全会員制」を導入していました。
紹介されないと入会できないというハードルがかえってクールなイメージを作り上げていたと思います)
ITに求められる早さに関しては「フェイスブック」では一悶着あり、SNSをリリースしてからマークはアイデアの盗用として訴訟されます。
この業界ではどんなに優秀なアイデアであってもそれは一秒で早くリリースした者にしか恩恵は得られないからです。
今や、超有名IT企業となった「グーグル」ですが、経営者トップ3人が三位一体となって成長していきました。
しかし、「フェイスブック」では創設メンバーのマークとエドゥアルドの2人に、IT界の大物、ショーンが加わることで運営体制の歯車が狂っていきます。
ショーンが介入してからの「フェイスブック」は圧倒的な資金と驚異的スピードでその登録者を増やしていきます。
一方で、マークとエドゥアルドの信頼関係に入ったヒビは大きくなっていき、どうなっていくのか…。
ここから先を知りたい人は劇場へ足をお運び下さい。
ちなみにこの映画のポスターですが、非常にシンプルです。
主人公マーク扮するジェシー・アイゼンバーグが登場しているだけでキャッチコピーに
天才
裏切り者
危ない奴
億万長者 とだけ書かれています。
個人的感想としては「天才である部分」と、「危ないやつとしての表現」がもう少しあってもいいと思いました。
あえてキャッチコピー風に書くなら、マークの印象は
正直者(自分自身に)
裏切り者(ハーバードでの同志にとって)
不器用(生き方)
(それでも)億万長者(になってしまった) といった感じでしょうか。
個人的には上にあげたことも理由の一つとして
5点中3.5点の評価にしました。
ちなみにあるサイトのレビューを見ると「ソーシャル・ネットワーク」を観た人の評価の平均点は80点より上くらいでした。
それでもありがちなアメリカ的なハッピーエンドで終わらせない部分にむしろ好感を持ちました。
映画「セブン」でも漂わせていたデビッド・フィンチャー監督特有の「後味の悪さ」(笑)がかえって観客に考えさせることになっていて良かったです。
私はIT界の抱えるスピード感や熱を感じたかったから、それに関しては満足を得ました。
タイトルにも挙げましたがドラマティックさや、知的興奮を求めて観にいくのなら正直あまり点数はあげられないような気がします。
いい映画でした。
主人公のマークは、アスペルガーっぽい感じで、会話もたいてい噛み合わない。しかし、天才。酔った勢いで簡単なsnsを作ってしまったり…。
青春映画としてはベタな演出が皆無なので、ボーっとしてるといつのまにか終わっている。そんな映画。
ナップスターの胡散臭い社長にマークがどんどん引っ張られる場面では、まるでアムウェイの勧誘に乗せられてる若者を見ているようで古傷が傷みました(>_<)
劇中にハーバードの大学生や、派閥、いじめ、パーティー、講義の様子などが描かれていて、興味深い。世間的にはエリートに違いないんだが、人間的にはその辺の若者と大差ない んだと納得。 ただ、日本の大学生よりタフでしっかりしてるけど。
最後にネタバレ。ラストにマークが、フェイスブックで振られた彼女の名前を検索にかけます。すると、元彼女のプロフィールが…。 マークは友達申請して、何回も何回も更新する。 返事が待ちきれずに。
snsという新時代のツールが、新しい孤独を生んでいるという仮説が浮かんだりもしました。
まあ、マーク・ザッカーバーグは孤独だけど資産はある。ワシは孤独で資産がない🎵
すべてがあってFacebookが生まれたんだね!
僕の場合は、マークのことを名前ぐらいしか知らなかったので
最後まで楽しくみれました。
ほんまエンジニアとして天才やったんすね~
マークは!(ハッキングとかかんなり興奮)
キャストもよかった~
マークはオタクっぽいし、ショーンはちょい悪でチャラっぽいし
エドゥアルドは一番普通っぽく視聴者に一番ちかいかも!
あんまりお金に執着してなさげな純粋なエンジニア
天才マークと、ビジネス家としてそれを利用したいのか単純に
サポートしたいのかわからないショーン
エドゥアルドはその2人の展開についていけなく嫉妬してしまう!?
いや~おもしろかった☆
ただ、IT関連じゃない人、今回一緒にみにいったひとも
そうなんすけど、あんまおもしろくないかもですわ。
Facebookやマークという人物に詳しい人もそうですが!
みんなに共感。余韻に残る人物像。
<1回目の鑑賞後のレビュー>
率直な感想は物足りない。話はfacebook立ち上げから100万人を突破し成功を納めた話や訴えられた話を中心に振り返りながら展開していく。
すごく主人公マークには共感もてたし、みんなの言い分も気持ちもよく描かれてたと思う。いい作品です。また観たいしDVDも買うでしょう。
ただ物足りないのは訴訟が復活の国だから最後はすべてお金で強制終了みたいなのが残念。その時やその後のシーンも観たかったな。盛り上がるだけ盛り上がり、最後で急に終わるなんて。
スッキリしないからまた観ようかな。と思わせるのは人物をしっかり描いていたからだろうな。
最後に友達承認を待つ姿が少し悲しかった。
<2回目観賞後のレビュー>
この物語には2つの時間軸が流れる。マークがfacebookを作り出し100万人越えするまでの半年間。訴訟されてる数日間。過去から現在に向かいながら時間軸が交差していく。
考えてみると半年間余りで西海岸のあのすごいオフィスでCEOになり、会員数100万人突破させることだけでも驚くべき事実だ。
その一方で友達や恋人を失い、ビジネスパートナーまでも失っていく孤独さ。その瞬間に手にした「CEO bitch」と書かれた名刺。失ったものと手にしたもの。すごく印象深く描かれている。
個人的にはニューヨークでピーターと出会ったシーンでマークが繰り返し、おっしゃる通り!とつぶやくシーンは唯一自分と同じ価値観の人物に出会えた瞬間だった。あまり感情を出さないマークにとって印象に残っている。
2回目見終わって、1回目よりもこの作品が好きになった。facebookをやってるやってないに限らず、facebookを知らなくても十分に楽しめる作品。12歳以上の制限はあるが、是非観てほしい1本です。
ちょっと難しかった・・・?!
視覚というよりも、字幕を追うことの方が多い映画だったように思います。とにかく、セリフを読むことが多いで、ボーッと観るのは向いていないです。好き嫌いがハッキリ別れる映画だと思います。
ハーバードが育てたネットワーク
ベン メズリックの「フェイスブック世界最大のSNSでビルゲイツに迫る男」という長いタイトルの ノンフィクション「THE ACCIDENTAL BILLIONAIRES」を映画化したもの。映画「ゾーデイヤック」、「ベンジャミンバトン数奇な人生」を作ったフィンチャー監督による作品。
フェイスブックを創設したマーク ザッカーバーグが 19歳でソーシャルネットワークを作るところから、現在にいたるまでの道のりを映画化したもの。
弱冠26歳の現在活躍している青年が、わずか6年のあいだに 史上最年少で億万長者になった過程を描いた作品。
アメリカ映画
監督:デヴィッド フィンチャー
キャスト
マーク ザッカーバーグ :ジェシー アイゼンバーグ
エドワルド サリヴァン :アンドリュー ガーフィールド
ショーン パーカー :ジャステイン テインバーレイク
キャメロン ウィンクルボス :アーニー ハーマー
クリステイ リー :ブレンダ ソング
マリリン デプリー :ラシダ ジョンズ
ダステイン モスコヴィツ :ジョセフ マゼロ
マーテイン ターナー :マックス ミンゲラ
ハーバート大学の秀才達が 続々と出てきて みな早口でしゃべりまくる。言っていることの内容もすごいが、頭の回転が速いだけでなく そろってイケメン。この映画 ハーバードの回し者ではないかと思うほど「さすが ハーバード すごい!」と思わせる。優れた秀才のいるところには 秀才達が集まる。歴史のある古い校舎、立派な図書館、校内のパブ、質素な寄宿舎、レガッタ競技、ボールダンス、学長の権威主義と俗物性、学食、上級生の下級生いじめ、などなど大学生活の様子が次々と出てきて 興味深い。歴史ある大学の校風がとてもイギリス的だ。大学とは学問をするところで、若い人たちが 本気で学び生活する場なのだということがよくわかる。
出演者の全員が 並みの人の3倍の速さと 3倍のボキャブラリーの数々を駆使して会話しているので 大学生の雰囲気も本物っぽい。ちなみにマークが最後に自分のPCでポチンとキーをたたいて「友達」にする弁護士の女性ラシータ ジョーンズは 実際ハーバード出身だそうだ。
映画として、よくできている。映像は美しく、監督が自由自在に役者を動かし操作している。せりふが多いので どの役者もものすごい厚さの台本と格闘したことだろう。じつにハーバードっぽい雰囲気を 監督も役者たちも脚本家もこなしている。とても完成度の高い映画だ。
オーストラリアの国営ABCテレビで、新作映画を二人の評論家が紹介する番組がある。マーガレットとデヴィッドという年配の評論家が 互いの意見をぶつけ合う様子がおかしくて 何十年も続いている人気番組。辛口の批評が多く、新作で公開直前なのに「こんな映画は見るに値しない」と断じる作品も出てきて おもしろい。その二人が この映画に5点満点をつけたので、びっくりした。ミヤザキ ハヤオの「ポニョ」以来のことだ。めったのない。
実際、映画を観てみて、なるほど と思った。
ストーリーは
マーク ザッカーバーグと同級生の女の子は 学生ホールで話をしている。彼女は 話をきちんと聞こうとせず、自分の知識や考えを矢継ぎ早に披露するマークの態度に怒って 絶交を言い渡す。
そこで ひとり寮に戻ったマークは 腹いせに PCで彼女を始めとする同級の女子学生全員に関する個人情報を公表する。名前や出身、あだ名やサイズまで公表されて、女子学生たちは人気投票のえじきとなった。マークのやったことは男子学生たちを 大喜びさせ ハーバード校のなかで注目をあびることになる。
マークと親友のエドワルドは 双子のウィングルボス兄弟と出会う。兄弟はマークがやったような技術を使って 友達作りのネットワークを作る というアイデアを持っていた。メイルアドレスをもっている人同士が ネット上で次々と友達となり その環を広げていくことができる。そんなつながりをマークは エドワルドやウィンクルボスと 協力して 大学で組織作りしていく。そんなネットワークが大学の新聞で話題になったところで、マークとエドワルドに ナップスターの創始者 ショーン パーカーから招待状が届く。
マークとエドワルドが会いにいってみると、ショーン パーカーは 派手に女遊びをして、お金を湯水のように使いながら、PCの可能性について 次々と話を一方的にまくしたてる。エドワルドは ショーンを ただの誇大妄想の精神分裂症患者としか思えずに嫌悪するが、マークはショーンの生活態度や俗物性に、惹かれていた。
そしてマークは大学を離れ、エドワルドにもウィンクルボス兄弟にも言わずに フェイスブックをショーンの会社に売り渡し、その経営に関わっていく。裏切られたエドワルドは深く傷つき、双子のウィンクルボス兄弟もアイデアを盗まれた、として訴訟を起こす。訴えられたマークは、、、
というお話。
脚本を書いた49歳のアーロン ソーキンは この映画は 「友情と裏切り、「嫉妬と忠誠心」を描いた人間ドラマだ」 と言っている。
マークひとりが自分では予想も期待もしていなかったのに フェイスブックによって一挙に億万長者になって 現代のヒーローになったことを私たちは知っていたが、実はこんなアイデアや そこに至る道でハーバードの学生達が知恵を出し合い 友情や信頼がフェイスブックを育ててきたのだ、ということがわかる。利益を独り占めしたマークは後に エドワルドやウィンクルボス兄弟に 和解金を払うが、彼にはハーバード精神や その中で培われてきた友情や信頼は失われ、2度と回復することはできなかった。映画では、一人の天才の孤独な姿が その無表情の裏に、よく表されている。現役で活躍する26歳の青年を通じてハーバード大学の校風や青年達の姿が生き生きとと描かれている。優れた人間ドラマだ。映画としてとても完成度の高い よく出来た映画だ。
ハーバードの生徒会長に立候補するウィンクルボスは マークの裏切りにあって 兄弟や他の友人達が訴訟を起こそうとしても、断固として反対して「否、ハーバードの学生はハーバードの身内を訴えたりしない。」と言い切る。選ばれた紳士の模範、ここにあり という感じで ほれぼれする。一人で双子役を演じ、立派な好青年の代表選手をそつなく演じている。 実際の彼ら兄弟は、北京オリンピックに、国を代表して出場した。頭の良い人はスポーツもできる。
ナップスターの創始者、ショーン パーカーを演じたジャステイン テインバーレイクは 6つのグラミー賞やエミー賞をとった有名なシンガーソングライターだ。彼が頭の良い人だということがよくわかる。
フェイスブック加入者は5億人を軽く突破した。
毎日何気ない会話をフェイスブックで様々な人たちと交し合う。権威ある親がいて兄弟 親戚 祖父母かいるといった大家族を中心にした社会は崩壊した。子供を中心とした核家族さえ もう確かではない。家族のない社会で 何かを書き込めば 必ずどこかの誰かがPCで読んでいて 返事や答えを書きこんでくれるフェイスブックは 現代の人々を孤独を救う家族の代理のようなものだろう。
MIXIと違って実名で登録することが決まりだ。偽名でなら何でも言いっぱなしだが、実名では黙っている日本人にはなじめないかもしれない。しかし、 実名で結びつくネットワークの強さは、そのうち、世界を変えていくだろう。
最新医療の知識を僻地で受け取ることもできる。
ロシアで またジャーナリストが殺された。政府の汚職とチェチェン反政府運動に関わっていたジャーナリストだった。中国では ノーベル文学賞を受賞した作家が拘束 収監されて、その妻の自宅拘禁になっている。フェイスブックや ツイッターは こういった人権に関わる運動に 今後大きく貢献することになるだろう。
とても良い映画だ。
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