ソーシャル・ネットワークのレビュー・感想・評価
全55件中、21~40件目を表示
ソーシャルネットワーク
マーク ザッカーバーグにとってのFacebookとは垣根を取り払うことだ。大学内でも顕在する階層。その代表とも言えるヨット部の双子の兄弟。彼らの作りたい排他的なサイトとそこから排除されるべきマーク自身が、あいいれるわけがない。
ハーバードの学生なら誰でも平等でいられるマークのFacebookは彼にとって居心地の良いものだったはずだ。
更に言えば、取り繕う事のできない彼は、取り繕う事の出来ないサイトを作る事で、壁を取り払おうとした。
自分をさらけ出す事で損をしている彼自身。Facebookでは皆んなが同じように自身をさらけ出してしまうリスクを負う。
社会性とは何か。見せたい物だけを見せ、都合の悪いものには蓋をして社会の目には触れさせない。そうしたうわべだけのお付き合いを社交と言うのか。
マーク ザッカーバーグの目指した真の垣根の取っ払いは成功したのか。
Facebookは自慢だけでなく恥態も載せているのか。
ネットタツゥという言葉がある。一度書き込んだことは消えない怖さ。でも、本当に消えていないのは事実だということを考えさせられる。
SNSとヒューマンドラマ
マーク・ザッカーバーグ自体の生い立ちやFacebookの成り立ちには興味を持っており、それらを知るだけでも面白かった。
また内容的にはIT関係をある程度知っている私でも話の流れが分かったので、ITやSNSが少しでも生活の中に入っている方には理解できる内容であったのではないか。
マーク・ザッカーバーグが当事者で主役なのにひいき目の作りでないのも面白い部分であり、各所にユーモアも含められており良かった。
悲哀な天才
スポーツ"超”万能か、家が"超"金持ちか。それとも"超"天才。3タイプの人間しか入学することのできないハーバードの雰囲気、すごく格好良かった。留学したい(笑)
Facebookのような、大きい何かを成し遂げるには、才能だけではなく少々の批判を聞き流し周りに目もくれず進み続ける胆力も必要だ。
あまりに友情や愛情を欠いてしまうと作中のザッカーバーグのように裁判を起こされ負けてしまうけどw
セックスをする相手はいるのか?
映画「ソーシャル・ネットワーク」(デビッド・フィンチャー監督)から。
冒頭「話が飛んでついていけない」という台詞をメモしたほど、
テンポよくストーリーが展開する。
フェイスブックが、これほど普及したポイントがいくつかわかった。
「友達の情報がみられるサイトを作ろう」が発端であり、
「大学の社交(ソーシャル)の全てをネットに持ち込むんだ」と意気込む。
「交際ステータス、興味あること、セックスをする相手はいるのか?
みんなが何より知りたい情報だ」と語り、
「その情報の中心が『ザ・フェイスブック』なんだ」と根底に流れている
考え方がわかったのは、とても有意義であった。
また「シンプルで、派手でも下品でもない」サイトのデザインに、
「サイトに商品広告はダサイ」「広告はクールじゃない」と言い切る。
こうした視点で、自分も参加しているフェイスブックを眺めてみたら、
確かに、私の社交(ソーシャル)の部分が、浮かび上がっていた。
ただ「セックスをする相手はいるのか?」って情報は、
今の大学生には知りたい情報かもしれないけれど、大人の私たちには
どうでもいい情報である気がしている。
まぁ、ビデオテープもインターネットも「アダルト」がなければ、
こんなに普及しなかっただろう、という人もいるから、
なんでも爆発的に広がる時は、こうした「エッチネタ」は大切な要素、
そう思って、気になる一言に採り上げた。いかがだろうか?
P.S
「『ザ』」を取れ」というアドバイスが、ターニングポイントかな。
「ザ・フェイスブック」と「フェイスブック」、シンプルさは明らかだ。
なぜこの作品がアカデミー賞作品賞を受賞しなかったのか。。。
見たの11月ですけどレビューを書いておきます。
まず見て思ったのが「なぜこの作品がアカデミー賞3部門止まりだったのか」ですね。英国王のスピーチは見ていませんが、英国王のスピーチはどうあれこの作品がアカデミー賞作品賞をとるべきだったと思います。
全体的にはとても速いテンポで進んで行きました。
最初の女子大学生の格付け、あそこはとても楽しかったですね。
「facebookの原点はこれなのか!」なんて思っちゃいました。笑
それからはずっとfacebookが出来るまでの裏切りなど・・・。
最後のジェシー・アイゼンバーグ演じるマーク・ザッカーバーグがルーニー・マーラ演じるエリカ・オルブライトのfacebookの「友達になる」を押し続ける所は興味深かったですね。
真実はどうあれ、とても楽しむことが出来ました。
僕的にはアンドリュー・ガーフィールドが演じたエドゥアルドが一番好きですね。
これは自信を持ってお勧めすることができます。
映画のポスターが気になり観た映画。
原作は既に読んでいた。
映画化されていたのはポスターで知った。
珍しく原作より面白い映画だった。
Facebookを作った男を巡って、
金のドロドロした話などが描かれている。
Facebookを作った目的などもストレートで良い。
男と女が出会う場所を露骨な出会い系サイトではなく、
少しオブラートに包んで提供するサイト。
私も含め、映画を観てからFacebookが日本でも流行りはじめた。
観る前にFacebookを始めよう
日本ではmixiやGREEなどが有名で世界中に無数にあるSNSの中で世界最大の利用者数を誇る「Facebook」。その創始者マーク・ザッカーバーグの半生を実話を元に描いた本作。アカデミー賞では大本命で賞レース前哨戦を総なめにし確実視されていたのですが、公開時期が早過ぎて印象が薄くなりかけた時期に公開された、アカデミー会員の大好物であるロイヤルファミリーを描いた「英国王のスピーチ」に主要部門を全て掻っ攫われた非常に気の毒な作品でもあります。
頭の良い人同士の会話の掛け合いというのは掛け値なしに面白味が十分あり、会話だけでも説得力と緊張感が増してきます。特に裁判物で弁護士同士の討論シーンなどはポピュラーですが、本作のはやや異質。ザッカーバーグや周りの学生とそれに群がる人々はハーバード在学生や頭の良い人ばかりなのでとにかく会話のテンポが異常に速く、それが初めから最後まで全編を通しています。会話に会話を被せていく話し方は最初こそ違和感はありますが慣れると非常にテンポが良く、観る側に与えられる情報量が多いのに割とすんなり入ってくるのはやはりフィンチャー監督の手腕とアーロン・ソーキンの脚本の良さに他ならないでしょう。このテンポと自然な話し方を追求した監督は1シーンで平均50テイク、多い時は100テイクを役者に要求したようです。鬼ですね。過去の作品も同様のスタンスなので大物俳優が怒って帰っちゃった事もある程です。話の流れもFacebookを設立して拡大していくまでとかつての仲間達との裁判の模様が断片的に折り込まれて興味が削がれない様にしているのも上手いです。
フィンチャー監督のチャレンジ精神や遊び心も面白い点の一つです。過去の作と比べほぼ無名のキャストを起用しています。実話なので実在の人物に似ている役者を起用したとの事ですが、ザッカーバーグ役のジェシー・アイゼンバーグは確かに似ていますがそれ以外の人物は似ている人と似ていない人との差が大きいです。特にナップスターの創設者ショーン・パーカーは実物はオタク丸出し野郎ですが映画ではジャスティン・ティンバーレイク・・。違い過ぎでしょ(笑)。ショーン・パーカーはアルマーニが大好きという事からティんバーレイクのクランクインはアルマーニでのオーダーメイドでの衣装合わせだったそうです。羨ましい限りで・・。脚本を手掛けたアーロン・ソーキンはザッカーバーグの態度が悪過ぎて出資を断わる社長役でカメオ出演。ウィンクルボス兄弟は双子の役者を探したが見付からなかったのでアーミー・ハマーが一人二役を演じています。不自然なエフェクトが無くかなり丁寧に作り込んでいます。これは観た後に知ったのでびっくりしました。
とはいえ、日本ではまだ根付き始めたばかりのFacebookを題材にしているので実際に利用していないとよく分からないシーンが多い事も確かです。友達との何気ない会話で思いついた「既婚」か「独身」かが分かる機能を追加する下りはまさにそういうシーンです。元々このSNSを作るきっかけになった理由が異性と出会うためとハッキリ明言しているので大切な方と一緒に鑑賞しているFacebook利用者は、自分はそういう使い方はしていない!と言いたいと思いますが言えば言うほど気まずくなるでしょう(笑)。エドゥアルドを裏切る理由は使えないからという点は分かるが唯一の友達を失うという事を考えられなかったのかという疑問が残るし、ウィンクルボス兄弟を無視し続ける理由やショーン・パーカーが捕まった後の尻すぼみ感があるので観た後に思わずインターネット検索しちゃう方も多いのでは?と思いました。
という事で、映画館で観るには情報量が多くて大画面向きとは言い難いのでレンタルで借りてきて、観る前にFacebookを利用してある程度使い方を熟知してからお友達や一人で観るのがオススメです!
現代っ子
そもそも論として、生存中の人物のごく最近の事象について、さも真実であるかのようにドラマ化すること自体いかがなものかという気がする。
しかも、一方当事者へのインタビューのみで、客観性には大いに疑問があるのに。
そういったリアルを騙った胡散臭さを抜きにして、単純に物語だけを見ると、サクセスストーリーと仲間割れというありがちな内容。
とはいえ、現代的な特徴が加味されていて、成功に至るプロセスが急過ぎで、泥臭さが見えない。
そのためか、さほど世間に揉まれず、大人になりきれないままで巨万の富だけ手にすることになり、その後の確執がとても子供っぽい(怒って口座凍結→反発して会社から排除など)。
こういった傾向は、メイン2人に限らず、ショーンや金持ちの双子などの他の登場人物も同様で、これほどの巨額な紛争でありながら、とても「軽い」印象になっている。
敢えて、そういう風に「現代的」に描いているのだろうから、あのやたらと早いセリフ回しも含めて、上手い演出なのだろう。
もう一点、ネットワークツールを創設しながら、本人は彼女も友人も失うという結末は、ある意味ネット社会への皮肉か。
おもしろかった しかし主人公の価値観は・・・
見てて楽しかったです。
でも最初から協力してくれた親友を裏切ったり、周りが見えなくなり、よくわからない起業家と手を組んだ主人公の性格が悪い気がします。
でも最後は起業家の麻薬使用を密告して、本当は後悔していたのかな?
レビューにもありましたが、フェイスブックについて触れられていないのが残念でした。
最近のツイッター、フェイスブックブームがあるからこそ、一体SNSは何の役割を果たしているのか教えてほしかったです。
余談ですが主人公の親友がイケメンでした。w
排他的な天才の半生(反省)記
野望を胸に次々と事業を拡大、最年少の億万長者に上り詰める一方で、アイデアや資金面を巡り、衝突が絶えず、泥沼の訴訟合戦に呑み込まれていく顛末をノンストップで突き進む。
頭一つで一攫千金のアメリカンドリームと、ちょっとしたトラブルがすぐに裁判沙汰となってしまうアメリカマネーゲームの裏表の怖さは、凄まじいビートの速さでこそ、浮き彫りになったと思う。
しかし、ネット社会に疎く、デビッド・フィンチャーのブランドで釣られた私みたいなライトな魚には、今作の膨大な情報量とスピードに辟易するばかりだった。
主人公は終始、薄情なキャラなうえに何事にも他人ごとやから、彼がネット掲示板にもたらした革命と功罪がイマイチ実感できない。
敵と共倒れしなかったのは、確かに立派やと思うけど、陰湿で全然羨ましくない。
そりゃあ、いつも独りぼっちやわと思った。
まあ、そういう映画なんだと云われちまったらそれまでやけど。
では最後に短歌を一首
『網交わす 選ばれし顔 釣る宴 神と泥棒 共喰いの舟』by全竜
まったり観れた
内容的に淡々と観る事ができたので、まったりできました。
ちなみに私は、彼好きですw
好きと言うか、憎めないと言うか。
彼が成功するまでの道のりももちろんこの映画の大事なポイントですが
それよりも人間関係に注目できるようになっていますね。
自分がこう!って思ったら親しい人に何を言われても貫いちゃう。
自分の目標の邪魔になるなら、親しい人でも蹴落としちゃう。
悪気は特にないけど、自分が大事だから。そこは曲げない。
確かに一見かなり性格悪いって言うか、いわゆる自己中ですし、
コミュニケーションのうまく取れない変な奴ですが、
そこが人間臭くていいなと。
そのあたりが観れたのと、
フェイスブックの生い立ちに興味もあったので
そこも単純に楽しめました。
世界1の年少お金持ちって
すごく高評だったから
どんな感じだろうと思ったけど
考えさせられる映画だった
最初は淡々と早口でどんどん進んでいったが
後半は引きつけられた
主人公は傲慢かとおもったら
情があついひとなのかなとぉもった
人付き合いが苦手なことも
お金持ちになるのは
争いが増えることと失うものがあるんだなってぉもった
でもきかっかけで小さなひらめきからつながるんだなとぉもった
ただただ
見入ってしまいました。 主人公のセリフの早さに加え、ストーリーの流れも他とちょっと違う。 色々考えていると、ストーリーに追いつかないかも。
主人公は大学生さながらに億万長者になったすごい人だけど、ほんの一瞬だけ見せる幼い感情は、やっぱり若者だったんだな・・と、ちょっと親近感も沸かせるシーンもあった。
最高じゃないか!
ソーシャルネットワーク、本当に面白かった。
二つの訴訟を中心に青春の光と影を描くといった、言ってみれば地味な本筋ですが、様々な工夫がこらされていてテンポよく最後まで連れて行ってもらえた感じです。
私、文章苦手なので以下よかった点をいくつか箇条書きで。
・音楽が最高。タイトルバックで流れた、甘いピアノと不協和音が同居した印象的な曲が終盤最も重要な親友との仲違いのシーンでもう一度かかるとは。
・話を締めるために、ときたま声の異様に低い役者に喋らせていたところ。ボート兄弟や投資家の横付でいた黒人など。耳がどきっとした。
・冒頭のセリフ。彼女との口論シーンにでてくる『ユーアーアスホール』と、終盤新人弁護士がつぶやく『ユーナットアスホール』が対になっていたところ。
とりわけ、エンディングのマークのあの表情ですね、やっぱり。もしかしたら自分もあんな顔で日夜モニターを見ているかもしれないな、と思いじんわりした気持ちになりました。
短い間にたくさんのことが起こったけれど、最後は結局、一人。前にはpcが一台。ハードディスクのカラカラした回転音だけがガラス張りの部屋の中に響くシーンはぞわぞわしてしまいました。
そっきゃ、
興味はないけれど、 なにか、
今注目されている映画を観たい気分でした。
見終わって一番印象に残っているのが、
最後のシーンで、マーク・ザッカーバーグが
何度も更新(劇中ではrefreshって言ってた?)
しているところ。
SNSをしたことがある人なら、
とてもわかる行為だと思います。
そんな時に出てくる"史上最年少の億万長者"
のテロップの文字が、とても切なかった。
結局、そういうことなのかな、と少し思いました。
ボート漕いでる人が魅力的に見えたのはじめて。
自分の頭の中を抜け出せなかった男の話
IT用語に疎い僕にとっては『フェイスブック』も『ナップスター』も
古代サンスクリット語だか何だかに聴こえるので、この映画は
『フェイスブックを創った男の実話』とかではなくて
一種の青春ドラマとして観ていた。
まぁ事実関係については書籍やらウィキやらTV番組の再現VTR
(その内やりそうだ)を見れば済む話だろうし。
それにしても面白い映画だった!
色々書きたいが字数も足りないので、
主人公マークとその友人エドゥアルド、そして“ザ・”ショーンに軸を置いて書きたい。
『ナップスター』開発者のショーンに心酔してゆくマーク。
思考回路は似ているのに人(特に女性)を惹き付けるショーンを見て、
『彼は自分に足りない物を持っている』と勘違いしてしまったのかも。
彼と組めば俺も“クール”になれる。皆の尊敬を集められるし、
彼女を振り向かせる事ができる、なんてね。
2人は似通った部分があるが、やはり違う人間だ。
悪気は無いが無自覚に相手を傷付けるマークと、
目的の為に相手を意図的に踏み台にするショーン。
どちらもとんでもない野郎には変わりないが、
後悔を感じてるだけマークの方がまだ憐れに見えるし、
地位と金を得る事が目的のショーンと違って、
マークは強烈な自己顕示欲の裏に『人と繋がりたい』
という願いがやっぱり在ったと思う。
ただそのやり方は称賛とか羨望とか、そんな浅ましい感情に任せた方法だった。
「窓に書いたアルゴリズム、覚えてる?」
そう話すエドゥアルドに、黙って微笑み掛けるマーク。彼らだけの共通言語。
マークがその口を閉じたのも、謝罪の言葉を口にしたのもエドゥアルドに対してだけだったか。
同じひとつの目的、そしてその目的に近付いてゆく喜びを共有する事。それが彼らの繋がりだった筈なのに。
人の青春時代を描いたドラマでは主人公が成長する姿がよく描かれる。
けどこの映画の主人公は、あれだけ猛烈な勢いで動き回ったのに、
結局は大事なものを振り落としながら
自分の頭の中を駆けずり回っていただけだった。
きっと『俺はこれで変われる』と信じて走り続けていたんだろうにね。悲しい話だ。
けれど最後——
どんなプログラムも完璧に、超高速で叩き込めるのに、
『友達になりますか?』のたった1クリックをためらうマーク。
勇気が無いだけ?
いや、あれは相手の心を考えて、自分の行為を躊躇う事を学んだのだと思いたい。
<2011/1/22観賞>
全55件中、21~40件目を表示