劇場公開日 2010年4月10日

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「。必殺シリーズの撮影監督をしていただけに石原監督の映像美は、冒頭からおお!と感動させてくれます。」獄(ひとや)に咲く花 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5。必殺シリーズの撮影監督をしていただけに石原監督の映像美は、冒頭からおお!と感動させてくれます。

2010年4月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 主演の前田倫良が地元山口新聞のインタビューで答えているように、一見するとこれは松陰の話ですよと言われない限り、表面的には牢獄内の出来事の話としか思えないところもあります。吉田寅次郎という一人の青年が野山獄の中であった出来事として描かれ、それが結果として松陰だったというかんじなんです。明らかに石原監督は、吉田松陰の偉人性を切り捨てて、幕末という時代に翻弄された吉田寅次郎という一個の青年の人間味あるところを描こうとして取り組んだものと捉えるべきでしょう。
 そしてその中核のエピソードを、松蔭に似つかわしくないラブストーリーに置き、さらにそれを獄の中という意外な場所で展開させることにより、映画的には興味をそそられる作品となったと思います。
 試写会場でも、松蔭の伝記的作品でもあるにもかかわらず、若い女性が目立ちました。恐らく主演の前田のルックスと、ラブストーリー仕立てが意図どうり受け入れられているのではないでしょうか。

 ただ監督の意図した寅次郎はやんちゃっぽい感じで、これが松蔭かと思うと軽いのです。主演の前田も文献で調べてきた吉田松陰像と監督のやんちゃっぽい寅次郎とのギャップは感じたようです。だから前田は、多くを読んだり見たりし過ぎた部分のではと自問自答し、その意味では「松陰先生像」で自身を縛ったのではと考えたようでした。そのイメージから抜けるのに苦労したようです。

 たまたま会場で本作品の前田プロデューサーと直接お話しすることが出来まして、大変不遜ながら、従来の松蔭像とかけ離れていないかと、率直に質問しました。
 前田氏は、松蔭の一面としては、本作のような人間味のあるところが多分にあったのだと解説してくれました。作品の松蔭については、地元の山口の研究家でも、非常によく実像を表現しているとお墨付きを得ているとのことです。

 ただ映画を松蔭伝として拘らなければ、すこぶるいい出来だと思います。必殺シリーズの撮影監督をしていただけに石原監督の映像美は、冒頭からおお!と感動させてくれます。獄中という背景としては動きようがないセットでの撮影だけに、ともすると単調になりがちな絵柄になりがち。そこを四季折々に、変化をつけて、多彩な表情を持たせたところは素晴らしいと思います。

 加えて、寅次郎に次第に思いを寄せる久子の表情の微妙な変化が素晴らしい。姦通の罪で野山獄に投獄された久子は、生きる望みもなく、日々を空しく生きていたのが、寅次郎と出会ってから、次第に顔に正気が戻り、恋する女の顔に変わっていくのです。
 久子を演じている近衞はなは初の大役ながら、いい仕事を残してくれました。でも、お父さんの目黒祐樹との共演のところでは、結構緊張したようですね。

 ちなみに野山獄内は出入り自由で、囚人同士自由に交流できたので、こんなラブストーリーが成立したのでした。

 ぐっと印象に残るシーンとしては、 松陰が野山獄を一度出てまた戻ってきたところで怒り散らして何も食べようとしない場面が出てきます。そこへ久子が説得にくるのです。松陰が久子に「あなたに、僕の何がわかるというのか」とくってかかると、久子から「わかります」と激しく一喝されるシーンがよかったです。情熱に任せて突っ走ろうとする松蔭を冷静に受け止めて支えようとする久子の気丈さが印象的でした。

 また、松蔭の台詞で久子に向けて「過去など関係ない、大切なのは、あなたが今何をしているか、これから何をするかが大事であって、過去にあるのではない。」という意味のことを語ったことや、同じ牢獄の囚人に身分など関係なく、学問こそがそのひとの偉さを図るのだと説いた言葉が、印象深く残りました。
 教育によって、人はどんな過去を背負っていようとも、いかようにでも変わっていけるものなのですね。

 但し本作には、吉田松陰先生としての魂がないが残念です。石原監督は、自分の理解する範囲でしか松蔭先生を描こうとしませんでした。そこが偉人伝の限界だろうと思います。本気で描こうとしたら、監督も切腹覚悟で本気にならないと、松蔭先生の熱血火のごとき情熱や大和魂の凄み、「威」というものを表現するべきでしょう。

 少なくとも、なんで松蔭先生が死に急いだか。なぜ吟味のお白州で、わざわざ時の老中間部詮勝の暗殺計画を告白したのか。維新の人柱となった松蔭先生のお気持ちを、もう少し忖度してほしかったです。
 国難の現代に活かすことを標榜しているのなら、なおさらです。

 その激しさの片鱗を、主演の前田は感じて、時折凄みある表情を見せていました。何かを感じたのに違いありません。それを演技指導で、やんちゃな寅次郎に戻してしまった監督の演出には、多いに異議ありです。

流山の小地蔵