「主人公に満島ひかりでは、美人過ぎて「中の下」には見えなかったです。その他多いに異議ありの内容。」川の底からこんにちは 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
主人公に満島ひかりでは、美人過ぎて「中の下」には見えなかったです。その他多いに異議ありの内容。
ぴあフィルムフェスティバルの優秀作からの作品ですが、他のレビューアーたちが絶賛しているほどの良さを感じられませんでした。
一介のOLが故郷に戻って、シジミ工場を立て直すという話です。愛すべき主人公が、父親の病気により、田舎に帰って父の経営する「しじみのパック詰め工場」の工場長に。漁師町のたくましいオバチャンたちに囲まれながら、あきらめ続けていた彼女に予想外の変化が起こるというもの。その立て直す過程があり得ないことなのです。
パッケージを変えたことで突如シジミがバカ売れ出す、なんてあり得ることでしょうか。加えて経営面でも、自分が駆け落ちしたことのある女であることを赤裸々に従業員にぶちまけるだけで、それまで澱んでいた職場が活性化するなんて、皆さんの職場で考えられるでしょうか。恐らくは、シナリオを考えた石井監督の社会体験の欠乏が、実際の仕事の現場感覚とのズレを起こしているものと考えられます。
自らシジミ工場でバイトしてみるとか、ドラッカーの経営の本を研究して、従業員のマネジメントについて極意を学んでみるとか、もう一段社会の実情に即した設定を考えて欲しかったです。
それにしても、本作の主人公佐和子の人生観が凄いのです。グーダラで妥協の日々を送っているだけならいいのですが、さらに口癖のように、自分のことを「中の下」だと言い、はなから、いろいろなことをあきらめて生きていたのです。まぁ、そのあきらめが妙に潔く、身の丈を知った行動の数々は地に足がついていて、清々しくさえも映るように、監督は、主人公に満島ひかりという美女を起用して、佐和子の人生観がそも成立するかのような演出に持って行っています。
そんな考えの佐和子に従業員も共鳴して、仕事に精を出した結果、倒産しかかった工場も立ち直るという、マイナス思考で全てがハッピーになれるという何とも倒錯した信条で展開された作品なのです。
監督にいわせれば、「本気で人と向かいあえば心が通じ合うものだ」といいたいがための、マイナス思考なのでしょう。しかしその本気とされているものが、劇中の木村水産社歌にあるような「金持ちひとりもいない」とか、「いざとなりゃ政府をぶっつぶす」という富めるものへの嫉妬心から、歪んだコンプレックスを忍ばせているのなら、それでは絶対に人の心は、通うわけないと思うのです。
集団の中で、人は皆プラスになる方向を求めています。リーターに対して、常に明るい未来に向けて打開する展望を求めているわけですね。そんなところへ、佐和子みたいな、もともと不幸なんだから、居直って頑張ろうよといわれても、そんな経営者では不安だからと言って、即刻従業員たちは辞めていくことでしょう。
もう一つだめ出しをすれば、予定調和にならない展開したいがために、不自然な設定が目立つことです。満島の起用自体も、佐和子の自虐キャラにはミスマッチです。どこが「中の下」なんでしょう。また恋人の健一がせっかく佐和子の故郷まで、追いかけてきていながら、職場の同僚の女の誘惑にはまって駆け落ちしてしまうのも不自然過ぎます。
さらに、佐和子の故郷の松江のおばさんたちは、過去に駆け落ちした人間を、人間失格者として村八分にしてしまうのです。でも、いくら地方都市のおばさんでも、駆け落ちしたぐらいで「人でなし」扱いをするほど、いまどき封建的な考えの人はいないでしょう。だから、駆け落ちした過去をバレないようにと、怯える佐和子の演技も違和感を感じてしまいました。
それでも、「愛のむきだし」などの映画で一躍、注目を集めた満島ひかりの演技力は、本作でも本領発揮しています。「わたし中の下の女ですから。大した女じゃないですから。でもみんなそうなんですよ!駆け落ちしましたよ。青春だったんですよ!」と従業員に開き直るところのキレた演技の凄いこと!瞬発力あふれる演技がのって、グッと心をつかまれました。
満島ひかりでは、美人過ぎるのですが、反面彼女の演技力に救われている作品だと思います。