「28年の時を経て描かれる、新たなる映像革命」トロン:レガシー 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
28年の時を経て描かれる、新たなる映像革命
【イントロダクション】
前作『オリジナル』(1982)から28年の時を経て、ディズニーが新たに描く映像革命。失踪した父の行方を追う息子が、デジタル世界へ足を踏み入れる。
前作の主人公ケヴィン・フリン役にジェフ・ブリッジスが続投。フリンの息子サム役にギャレット・ヘドランド、謎の美女クオラ役にオリヴィア・ワイルド。
監督は、後に『トップガン/マーヴェリック』(2022)や『F1/エフワン』(2025)を世界的ヒットに導くジョセフ・コシンスキー。脚本はエディ・キッツィスとアダム・ホロウィッツ。
【ストーリー】
1989年。エンコム社のCEOとなったケヴィン・フリン(ジェフ・ブリッジス)は、息子サムを残して突如謎の失踪を遂げてしまう。
時は現代。27歳となったサムは、父の遺産として会社の株を相続して筆頭株主となっていたが、経営陣に加わる事はせず、自社の技術で利益を貪ろうとするディリンジャー家の子孫や現行の経営陣を妨害していた。
ある日、父の親友であり、サムの親代わりでもあるアラン(ブルース・ボックスライトナー)のポケベルに、父からと思われるメッセージが届く。アランは、かつてフリンが経営していたゲームセンターの鍵を渡し、サムの意思に委ねる。サムはゲームセンターに赴くと、隠されていた秘密の作業部屋を発見し、コンピューターを操作する。すると、背後に設置されていたレーザー光線により、コンピューター世界「グリッド」に転送されてしまう。
サムは、幼い頃に父から聞かされていた話が本当であった事に歓喜するが、すぐさま「はぐれプログラム」として拘束され、プログラム同士が対決する「ゲーム」の参加者に割り当てられてしまう。訳が分からずもゲームで勝ち抜くサムだったが、脱走を試みた事で協力なプログラムと戦闘させられる事になってしまい、負傷して出血した事から「ユーザー」である事が明らかになる。
拘束され、連行されたサムの目の前には、若かりし日の父と瓜二つのグリッド世界の支配者が居た。再会を喜ぼうにも、父の様子に違和感を覚えたサムは、彼が父によって生み出されたプログラム「クルー」である事に気付く。
クルーは自らの手でサムを始末する為、「ライト・サイクル・バトル」へ参加させる。サムはチームメイトのプログラムと協力し、互角の勝負を繰り広げるが、クルーの力の前に窮地に立たされてしまう。
その刹那、突如バトルに謎のマシンが乱入し、サムは謎の美女・クオラ(オリヴィア・ワイルド)に助け出される。
【感想】
シリーズ最新作『トロン:アレス』鑑賞の予習として。
前作『オリジナル』の公開時、当時最先端であったはずのコンピューターグラフィックス(CG)映像も、それをすっかり過去の物にしてしまう程進化した圧巻のCG表現が目を惹く。当時としても、まさに謳い文句である“映像革命”の名に相応しいものだったであろう。
前作でも一際目を引いたライト・サイクル・バトルの演出は、グリッドを直線でしか曲がれなかった前作から圧倒的に進化し、縦横無尽に駆け抜ける姿が見ていて楽しい。そして、本作ではクライマックスでのライト・ファイターによる空中戦でも描かれており、陸・空において当時の最先端CGによるバトルを堪能出来る。
更に、グリッド世界をサイバーパンク的な街並みで表現する演出も、よりスタイリッシュで洗練されたものに進化している。
序盤のサムによるエンコム社に対するハッキング行為、アランに鍵を渡されてかつての父の職場に足を運び、グリッド世界に迷い込むまでの一連の行動の語り口のテンポが良い。幼い日の父との思い出、大人になったサムのキャラクター性、ライト・サイクル・バトルで活きてくるバイクテクニック等、必要な情報も丁寧に提示されていく。
父との感動の再会に、一捻り加える展開も面白い。クルーの見た目は、サムにとっては最後に見た他の姿のままであり感動的だが、同時に見た目が当時のままというのは違和感にもなる。グリッド世界に囚われた事でプログラム化され、「歳を取る」というサイクルが無効化されたと考えれば納得も行くが、すぐにサムは目の前にいる相手がフリンの生み出したプログラムであるクルーだと気付く。
実際の父との再会は、クオラに助け出された後に用意されており、すっかり歳を取った見た目に何処か安心感を覚える。
しかし、序盤のテンポの良さ、捻りを加えた父との再会後は、如何せん要素が散漫化し、物語的な盛り上がりも失速し始めたように思う。
特に、タイトルにもある「トロン」の活躍は、街の名前に用いられている他には、サムとのゲーム・バトルと、クライマックスでのライト・ファイター戦で書き換えられたプログラムに抵抗してサムやフリン達ユーザー側に味方するという申し訳程度。
サムが「トロン・シティ」に舞い戻って、レジスタンスのリーダー・ズースことキャスター(マイケル・シーン)と部下のジェム(ボー・ギャレット)に協力を仰ぐも、既にクルー側に寝返っているという件も回りくどく映る。
1番残念だったのは、キーパーソンの如くポスタービジュアルにも登場していたクオラの活躍の少なさだ。その正体がフリン達の予想を超えて誕生したアルゴリズム、ISO(アイソー)の生き残りであり、フリンは未知の可能性に満ちたクオラをクルーの脅威から遠ざけたかった。しかし、その未知の可能性や能力が発揮される展開が無く、脚本上で完全に持て余してしまっている。仕舞いには、サムと共に現実世界へとやって来て、共に朝日を浴び、「めでたし、めでたし」といった着地を見せるが、データ上の存在でしかなかった彼女が現実世界へ転送される際の質量を構成・形成したのは何だったのであろうか?最後の最後に随分と雑な解決法だった。
DVD収録の際の面白い試みとして、上映当時のIMAX鑑賞環境を再現する為に、画面比率をシネマスコープとビスタサイズが混同している状態で収録されている。製作側が「ここぞ!」と気合いを入れているシーンが何処なのか判別出来るというのは面白い。
前作ではフリスビー状だったディスクも、本作ではよりスタイリッシュに、武器としての扱い方も洗練されていた。惜しむらくは、ディスクを用いたアクションに動きとしての迫力や面白味が薄く、十分に描き切れているとは感じられなかった点だ。
音楽を担当したダフト・パンクの楽曲は素晴らしく、サイバーパンク調の本作を見事に引き立てていた。先述したズースとの件も、彼らの曲を披露する場だったと解釈すれば分からなくもない。これはSF映画であると同時に、音楽映画でもあるのだ。
【総評】
前作と比較して格段に進歩したCG表現、現代的なアプローチを見せる世界観とバイクアクション、ダフト・パンクによる優れた音楽と、改めてこの世界観を復活させる意義は感じられた。しかし、その描き方は十分とは言えず、要所要所で持て余している印象を受けた事も確かだ。