「「涙活」の必要性」酔いがさめたら、うちに帰ろう。 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
「涙活」の必要性
最近、女性の間で「涙活」なるものが流行っているらしい。「涙活」とは「能動的に泣くことで心のデトックスを図る活動」だそうだ。意識的に泣いてストレスを発散しよう!ということらしい。確かに思いっきり泣くとスッキリする。落ち込んでいる時は、泣いた後に少し前向きな気持ちになれたりする。しかし泣くには体力がいるし、本当に悲しかったり、本当に絶望していたりすると上手く泣けないものだ。永作演じる主人公の妻も、そんな悲しみを上手く表現できない人だ。
売れっ子漫画家由紀にはやっかいな存在の元夫がいる。戦場カメラマンである安行は、重度のアルコール依存症で入退院を繰り返している。彼の母と共に何かと“何故か嫌いになれない”元夫の面倒を見る由紀。大量に吐血して救急車で運ばれる安行に「大丈夫、まだ死なないよ」と冷静な言葉をかける男前な性格の彼女は、仕事をバリバリこなしながら、2人の子供を育てている。
ここに描かれるのは一風変わった家族の形だ。浅野演じる安行は、酒を飲むと暴力的になることもあるが、子供たちには優しい父親だ。子供たちも父親の惨状(?)には慣れていて、入院する度に、お見舞いに行くことを楽しみにしている。そもそも安行は、戦場で見る悲惨な光景に絶えられずに酒に走ってしまった、元来心の優しい気弱な男なのだ。それでも酔っ払って、妻の描きあげたばかりの原稿を破り捨てるような夫に、心底愛想を尽かさないのは何故だろう。彼女は元夫に対して、一時外出中には「(酒が飲みたかったら)飲めば?」とか、腎臓がんで余命宣告された後には「なかなか死なないねぇ」など、一見無責任で残酷な言葉をかけるが、そこには夫婦間にしか分からない微細な愛情と信頼関係があるのだ。元夫の命が残り少ないと告げられた時、彼女は医師に「最近哀しいことと嬉しいことの区別がつかない」と言う。どちらの感情も体中を支配して自分をいっぱいいっぱいにしてしまうから、自分でも哀しいのか嬉しいのか解らないのだと・・・。そう、彼女は元夫から、様々な嬉しいことと、おそらくそれ以上の哀しいことを受けたので、素直に自分の感情を表現できなくなってしまったのだ。安行は、患者仲間や医師や子供たちや母や元妻などから支えられ、勇気づけられ、穏やかな死を迎える準備(心も体も)を整えることが出来たのに、彼女の方が理性的にではなく、本能的に彼を送る準備ができていない。「涙活」は彼女にこそ必要な活動だろう。
彼が余生を送るために、再び家族で暮らし始めたある日、料理をしながら彼女がふいに泣き出すシーンがある。その涙は嗚咽となり、彼女の体から激しく発散される。よかった、もう大丈夫、これでようやく彼女は素直に彼を送ることが出来る。この心の平安が穏やかなラストシーンに繋がっていくのだ。
さて、ここまで由紀の目線で語ってきたが、本作は安行目線で描かれている。物語のメインは、アルコール病棟での他の患者たちとの交流だ。右を向いても左を向いてもダメダメな男たちのダメダメな日常をユーモアとペーソスを交えて描かれていく。このダメダメな男たちに比べて本作に登場する女性たちが「デキる女」なのが興味深い。仕事と家事を完璧にこなす由紀を始め、華道の師範である安行の母、手におえない患者を軽く諌める女医など、皆強く逞しい。中でも注目なのが、由紀のアシスタントだ。市川実日子演じる彼女は、出番も少ないしセリフもほとんどないが、アシスタントとして仕事や食事の用意などで先生を支える一方、複雑な家庭の事情(?)を全て解っていて敢えて何も言わない優しさと強さを持った女性だ。
本作は漫画家の西原理恵子と写真家の鴨志田譲の実話に基づいている。この原作は鴨志田の著書によるが、西原原作の『毎日母さん』も、小泉今日子と永瀬正敏という実際の元夫婦の共演で映画化されている。この夫婦の物語が妻目線ではどう変わっていくのか、こちらもチェックしておかなければ。