「華やかな、現代への挑発」大奥 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
華やかな、現代への挑発
「木更津キャッツアイ」の演出で知られる金子文紀監督が、盟友である二宮和也、柴咲コウを迎えて描く、皮肉の利いた人間ドラマ。
男性が、化粧をする。この事柄について論じる事が既に男女偏見であることは明確である。乳液、眉毛の手入れ、口紅。「男性」が念入りに自分の身体を手入れするという一点に注目するから異質に映る。
だが、身体を清潔に、美しくありたいという人間の本質を考えると、そう色眼鏡でみる事態ではない。使う道具は女性も男性も同じ。「男性は、もっと質素でよい」と頭を悩める論者こそ、根底は差別主義に繋がると考える向きもある。
本作の「男女逆転」というユニークな挑戦の先には、この問題に一石を投じようとする強気の挑発が透けて見える。
男女の比率を逆転させ、文化の担い手を女性から男性に置き換えたことから展開が動き始めるが、観客は物語を追いかけていくうちに容易に気が付く。
「これ・・男女が変わっただけで、実際の歴史をなぞっていないか?」
そう、ここに本当の意図が見えてくる。
煌びやかに着飾り、女性の将軍様をお世話する男性を肯定する視点には、あくまでも女性の役割をそのまま男性に押し付ける姿勢が貫かれ、「男性だったこうする」という予測を巧妙に排除し、男女逆転から生まれる変動を拒絶しようとする試みがある。
観客が「なんだよ・・・男性も女性も変わらないじゃないか」と落胆すること。これこそ、作り手の目論見である。
「男のくせに」「女のくせに」時代錯誤の文句のように聞こえて、実は今でも日本社会に根強く残る感覚。人気のジャニーズアイドルと女優を押し出し、娯楽として差し出すことで、この感覚を改めて問い直そうとするならば本作が私達に与えてくれる意義もあるだろう。
男性と、女性。その境が曖昧になる現代社会にあって、突如として現れた本作。エンターテイメントという華やかさを掘り返すと、変わり続ける時代にただただ呆然とする私達を挑発し、自問自答を誘発する意識がある。