「米林監督の優しさが滲み出てくるような、心暖まる作品でした。」借りぐらしのアリエッティ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
米林監督の優しさが滲み出てくるような、心暖まる作品でした。
監督が米林監督に交代して、宮崎監督の深層心理に深い根ざした、人間をジェノサイドしていく残酷な「祟り史観」が影を潜めて、こころが何ともほっこりす、優しさに溢れた作品に仕上がりました。
脚本は宮崎監督が書いているのに、監督が替わるとこうも、表現の波動というか、作品の印象が変わってくるものなのですね。米林監督は、小地蔵の感じるところとても優しい人だなぁと思いました。
きっとこの路線でシブリの新時代を作られることでしょう。
テーマは、暗に人間によって滅ぼされていく絶滅種の悲哀を描こうとしています。さらりとしかテーマに触れません。観客の目線で、あくまで映像で感じ取って貰おうという奥ゆかしさにいたく共感しました。
その点、結構自己主張の強い宮崎監督では、テーマに背く相当数の人間たちを懲らしめてきました。自然界の精霊たちや魔物たちに自分の考えを代弁させて、数多くの人間を犠牲にしてきたのです。ポニョだって、考えてみればとても残酷なストーリーです。
ところが本作では、誰も死にません。本当に子供にも安心して見せられる作品です。その分オカルチックなアクションが少ないところは、これまでのジブリファンの方には物足りないかも知れません。
しかしアリエッティと少年の翔との触れあう姿は心打たれることでしょう。翔は、心臓病の手術を控えて、死を覚悟していたのです。もうほとんど種族として絶命しかけている孤独なアリエッティに、病人の子供の目線で接することで、「同悲同苦」という共感・共生を描き出したでした。翔の描き方に監督の限りない優しさを感じたのです。
色調としても、従来の作品よりも一段と美しい仕上がりでした。
舞台となる古い屋敷には、緑で埋め尽くされています。そこにアリエッティの紅の衣装がとても映えます。何となく、緑に囲まれた庭の雰囲気が『西の魔女が死んだ』に似ていました。色調も、パステル気味で優しい色合いです。
そして何より優れている表現は、小人のスケール感覚で人間の世界をリアルに描き出しているところです。前半父親と人間界に借り物にいくところは、スリル感たっぷりの冒険として描かれます。人間にとっては当たり前の高さでも、アリエッティたちには、危険いっぱいのロッククライミングとなります。バリアフリーの段差をチョット考えさせられるところですね。あの手この手の登攀方法のアイディアには感心させられました。
そんなわけで大きさの表現が巧みであるところが本作の特筆すべき所でしょう。
だから人間にとってかわいいペットでも、アリエッティたちにとっては、「怪獣」にしか見えません。特に翔が勝っていたデブネコのニーヤは、アリエッティを見つけるといつも襲いかかるどう猛な怪獣でした。
でもニーヤは単なる性悪な猫ではなかったのですよ!
ラストのちょっといいシーン。翔の元を黙って去っていこうとするアリエッティ一家を発見したニーヤは、いつものように襲おうとせず、翔に一家の居場所を教えようとするのです。
このときニーヤに遭遇してしまったアリエッティは、怖さで硬直するのです。しかしニーヤはじっと無言で見つめて、何かを悟ったようにきびすを返すのですね。なかなかの名シーンだと思いました。
もちろん本作は、善人ばかりではありません。アリエッティ一家の家を見つけてしまったお手伝いのハルは、一家のひとりを捕まえて得意満面。それはまるで弱い相手をいたぶりたくなる、人間の業の深さを象徴しているかのようなオバタリアンぶりを発揮しています。
このハルさんの声は、樹木希林が担当しています。顔つきも仕草も本人そっくり。余りに似ているので試写会場の大爆笑を誘っていました。意地は悪いけれど何処か憎めないキャラなんです。
ところで借り暮らしの小人の住人たちは、空想の産物なのかもしれません。でも何かモノを無くして、それが見つからないとき、床下に暮らしている小人が使うために持って行ったと考えれば、あきらめもつくし、楽しいと思います。アリエッティ一家に言わせるとそれは盗んだのではなくて借りているとのこと。人間は彼らが借り暮らしをするために存在しているようなのですね。この設定だけで、本作は魅了されそうです。だって探しても探しても見つからないときのイライラを解消してくれる、つまり、人生の正しいやり過ごし方を教えてくれているのですからね。
PS
景色の舞台は野川公園だったのだそうです。ご近所の方は何処かで見たような景色だと感じられますよ。