闇の列車、光の旅のレビュー・感想・評価
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命の重みが国によって違うんだってわかる映画
MS13というホンジュラスのギャングの生態がドキュメンタリーっぽく描かれている。
アメリカへ移民(本作では彼らの事をそう呼ぶ)に向かう家族もそんな家族に同行するギャングの青年もどういう訳だか、人生というものに現実味が無い。
何となく「このままではいけない」というのはあるのだけど、現実の世界はハッキリとは描かれておらず、流されてアメリカに行こうとする感じ。 そのあたりの描写もなんだか人生ってそういうところもあるし、この国に生まれていたらきっとそうなるだろうって、何故か理解してしまう説得力がこの映画にはある。
とてもいい映画だと思うのだけど、ラストだけはもう少しドラマチックに造って欲しかった。(ラストもリアルはそんなもんだろうとは思うのだけど)
新天地での生活?
テグシガルパ (Tegucigalpa) というホンジュラスに娘、サイラをアメリカのニュージャージーから迎えに来た(?)父親。サイラは父親とおじさんと一緒にグアテマラを通ってメキシコへ。メキシコのレイノサ(テキサス州との国境)までの旅。そしてリオグランデ川(映画では大したことにない川のように見えたが、鳴門海峡のように渦に引き込まれるらしい)を越えて米国に入る?サイラ(Paulina Gaitán Ruízメキシコの女優)は賢そうで、意志の強そうな俳優が演じていて、この役にぴったりだと思った。育てられた祖母の元を去って、苦難を乗り越え(父の死や、家族との離別や好きな人の死)映画にはないが、究極的にニュージャージー州までたどり着くのだから。それに、テグシガルパからメキシコの鉄道のハブである、Tierra Blanca (ベラクルーズ州)まで少なくても1500Kの道を歩いて初めて列車に乗れるのだから。それに、ウイリーとの会話においても、自分のある人だと感じさせる。etc. ドラマだとはいえ、たくましさが十分にでていて好きだ。
キャリー・ジョージ・フクナガ監督はグアテマラからメキシコに向けて(中には米国に向けて)行く民の集団を『移民』と呼んでいる。サイラは父親がスポンサーになっていると思うから米国の移民として入国できるとおもうが? いや、父親は米国市民権なし『不法移民』で米国をでて、ホンジュラスに娘を迎えにきたのかもしれない。列車の屋根に乗ってメキシコを横断するとき、メキシコ移民局の警察?に捕まるのを恐れて逃げるから。他に、他のエキストラ『移民』も出ていて、列車の屋根の上で、日々を過ごしていた人たちが『移民』になれるかどうか理解にくるしむ。『移民』をしたい人々の集団を『移民』と監督は言ったのかもしれない。
メキシコシティーあたりを列車が通過するとき、こどもたちが石を投げ『移民』をいじめて追い出しにかかるシーンがある。しかし、よく観察すると、列車の屋根にいた集団がメキシコの北へ行くほど減ってきているということがわかる。この集団は皆が米国を目指しているわけではない。親戚や友を訪ねて新天地での生活を目指すもの、収入を得に行くものなど色々の人々の集団だと察する。
2018年ごろの『キャラバン』と言われていた、主にホンジュラスからギャングを避けて逃げてきた集団難民の大移動とは時代が違う。この映画ではホンジュラスでギャングが少なかったのかもしれない。
メキシコでは12歳の少年スマイリー(Kristyan Ferrer )は祖母が止めるにも関わらず自分から進んでギャングの道に入って行く。その場所にいたら、ギャングになるのは避けられないし、ギャングのいうことを聞かなければ家族が殺されてしまうかもしれない。それに、ギャングになるための洗礼は(いうらしいが)13回(以上)も殴る蹴るの暴力をうけ、人を一人殺すことにより組織に認められるらしい。それに、刺青の多さがこのギャングの階級の象徴らしいが。
この映画の中でキャスパー(Edgar Flores)というギャングの名前からウィリーへと変わる彼の心の変化が印象的だった。両親なしで育ち、人の愛も経験したことがないが、このギャングの組織が家族意識が強く、そこで育っていく。ある女性にも初めて愛情を感じて(実際のキャスパー役エドガーフロレスは18歳で、まだ恋愛をしたことがなかったらしい)組織には秘密にしても愛を育てていくが、それも、失い、根本的にあった正義感のためか、ある女性が殺されて光景を想像して、その憎しみが増したためか、ボスを殺してしまう。逃げられない、どこにも行けない気持ちがサイラによって癒されていき、人間の心を取り戻していくシーンが好き。人間って、諦めちゃあいけない!いつでも変われるんだと!と思えるが、ウィリーが変わっていっても、ギャングの組織は追ってくる!
最後になぜSin Nombreという題なのか考えてみた。『私はサイラ』間をあけて『私はウィリー』という列車の屋根での自己紹介は印象的だった。ギャング仲間ではウィリーという名前はなく、死んでいく。名前はあってもないようなものだった。ウィリーという名前が新しい人生を歩み出せる本当の名前。
個人的にだがグアテマラから陸路で入って、ホンジュラスのコパン・ルイナスにあるコパン遺跡のマヤ文明の遺跡を見にいったことがある。この遺跡は再興されてしまって、マヤ文明をそのまま残してあるわけではないし、再興の仕方が、全く考古学を知らない人がセメントで塗り固めたようでひどかった。
ギャングの逃亡
理不尽な社会の中の片隅にある"小さな希望"。
非常に心を激しく揺さぶる、とにかくズッシリ来る映画です。カスペルという少年はギャングの世界に生きているけど、その世界に居場所を持てない、スゴく孤独な存在です。唯一の心の有り処でさえ、ボスのリマルゴに殺されて(コイツがとにかくクズ野郎)、乗り込んだ列車の上で思わずリマルゴを殺した結果、カスペルに助けられたサイラの旅路を手伝うことに。
ざっとこういうあらすじですが、この少年は被害者であり加害者である立ち位置なので、彼の最期は悲しさよりも自業自得と思いました(悲しくはありましたけど、仕方無いが先行したので)。スマイリーを結果的に地獄へ誘った元凶ですし、一つの善意ですべてが不問になるってことは不可能ですし(そもそもどれだけ善を重ねたところで、不問はありえないから)。
じゃあサイラと過ごした時間がムダかと言うと、ムダではないです。カスペルがいなかったら、サイラは向こう(アメリカ)へ行けなかった。もしサイラと会えなかったら、きっとカスペルは変われなかった。世界がどれだけ残酷だろうと、一つの行為や出会い次第で人は大きな変化に出会える。そして死の瞬間で受けとるものは変われるはず。だからカスペルという少年の味方で僕はずっとありたい。世界がどれだけ非難しようとも、微力だろうとそうありたい。
『チョコレート』の"背中越し"に匹敵しているラストシーンは、静かですが力強くて、微かな救いに満ちてます。メキシコ映画はほぼ初ですが、この時代にこの映画を見られてスッゴく良かったです。
悲しい
なぜかさわやかで眩しい印象
内容は重いはずなのに、なぜかさわやかで眩しい印象が残る。それは二通りの切ない失恋も描いているからだろうが、それと背景に広がる南米の街や景色に開放感があるから。
ギャングの役者、描写はリアルぽいが、この映画にはなぜか麻薬は登場しない。大人の事情でしょうか。
主役を追って女の子も電車を降りるシーンはきれい。一瞬ぞわっとする美しさのあるシーンだった。
ラストは先の見えない現実を描いて潔く。
☆☆☆★★ ※ 鑑賞直後のメモから 最初から伏線をしっかりと貼って...
メキシコの現実
名監督への一歩
やっぱりそれが現実なのか
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