瞳の奥の秘密 : 映画評論・批評
2010年8月17日更新
2010年8月14日よりTOHOシネマズシャンテにてロードショー
強い推進力の陰に、ささやきかけるような親密さが潜む
気配が主役の映画だ。
が、あいまいなムードや自己陶酔的な気分が立ちこめているわけではない。主役は人だ。そして時間だ。気配とは、人と時間が精妙にからみ合ったときの産物だ。
いいかえれば、「瞳の奥の秘密」は、人の輪郭をあやふやに扱っていない。細部をゆるがせにせず、登場人物の情感を暴走させていない。つまりこの映画の気配は、「節度」によってもたらされている。
映画は、1974年のブエノスアイレスと2000年のブエノスアイレスを往還する。74年のアルゼンチンでは軍事独裁政権が猛威を振るっていた。妖怪が闇でうごめき、司法の独立などはまったく保障されていない。
そんなとき、一件の強姦殺人事件が起こる。刑事裁判所の捜査官ベンハミン(リカルド・ダリン)は容疑者の検挙に執念を燃やす。被害者の夫モラレス(パブロ・ラゴ)の眼には暗い光が宿る。容疑者ゴメス(ハビエル・ゴディノ)は必死の逃亡を図る。ゴメスを追うベンハミンは、若い上司のイレーネ(ソレダ・ビジャミル)に寄せる思いをつのらせていく。さまざまな糸がもつれる。もつれた糸は、26年の時間を経てもほどけない。
監督のファン・ホゼ・カンパネッラは、もつれた糸をさらに撚り合わせる。すると、スリラーが別の側面をはらみはじめる。謎解きに欠かせぬ強い推進力を感じさせる一方で、映画は観客の耳にそっとささやきかけるような親密さを獲得するのだ。この親密さが、冒頭に触れた「気配」の種となることはいうまでもない。「瞳の奥の秘密」はコクのある映画だ。細部の撮り方にも、観客を飽きさせない工夫がいくつかほどこされている。
(芝山幹郎)