「愛されたかっただけなのに。」悪人 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
愛されたかっただけなのに。
ずっと見たいと思っていたまま、10年が経過していた。スマホ普及による凄まじい情報化社会になる、移行時期、境目時期にある2010年だったと記憶している。
作中でも折りたたみ携帯電話やメールでのやり取りが出会い系に使われていて、今やアプリで出会った人との結婚も主流になりつつある時代。背景がよく見えない相手との出会い方に疑問を抱く意見は今後も消し去られる事はないだろうが、顔がわかる合コンやナンパで出会ってもクズはいる。
出会い方や出会う数や相手のステータスより、出会った縁をどれだけ大切にできるか、人の気持ちを見つめ尊重できるか、が結局自らをも温めてくれることがよくわかる作品。
台詞が少なくても演技で伝わってくる俳優さんばかり。
満島ひかり演じる佳乃が自分で撒いた種なのは否めないが、実家の床屋を抜け出す人生を踏み出すために、久留米で一人暮らしを始め、孤独を感じる中ナンパしてきた大学生の増尾に入れ込んでしまったのは、深津絵里演じる光代が、佐賀の国道沿いに人生が集約されているところから裕一と出会い違う世界を知り人を好きになり、大胆な逃避行を選んだのと気持ち的には変わらない。
妻夫木聡演じる祐一に対してや家族への振る舞いを比べれば、佳乃は利己的で光代は優しく包容力と見えるが、見栄を張ったり利己的な嘘をつくかどうかの違いだけなことに気付く。
肉体労働でもいつも長崎から久留米まで来てくれた妻夫木聡演じる祐一は言葉数が少なくても佳乃をちゃんと愛してくれていたのに、裏切り、母親から置き去りにされた過去を持つ祐一を捨てるような言葉を吐いて傷つけ、まさおに振られひどい仕打ちを受けた腹いせに、祐一をレイプ犯に仕立て上げるとまで罵った佳乃の言動は簡単に許される物ではない。友達といても見栄を張り嘘をつき、保険の仕事に協力もしてくれているお父さんをも社会人にもなって都合よくあしらう佳乃。
それでも、亡くなれば悲しむ両親はいるわけで、人間誰かしらが誰かの幸せを願っている。増尾のように、そういった事すらわからず、軽んじて大きな顔をする者はやはり嫌なやつである。常に周りに友人や女性がいて軽口をたたくには事欠かないが、中身薄。
一方、地域の老人や祖父の病院通いを献身的に助け、無口で決して派手ではないが優しい若者だった祐一。車が好きで同世代という点以外、増尾とは正反対だが、両親が大切に想っている佳乃の命を奪ってしまったのは祐一。
「世の中、大切な人すらいない人間が最近多い。
失う物がないから、強いかのように振る舞うが、人間そういうものではない。」
そう話す、娘を失った悲しみの淵にいながらも、娘の欠点にも気付いていた父親の言葉は重く沁みる。それでも、娘を失えば仇を打ちたい怒りにとらわれ、理性で必死に制御する悔いと取り返しのつかない悔しさと、やり場のない怒り、思い知らせたい怒りと葛藤する、柄本明演じる父親役がとても印象に残った。
佳乃も祐一も光代も、愛を求めて必死に生きて前に進もうとしていただけなのに。嘲笑う増尾でさえ、奥底には孤独があり、取り繕った強さなことが露見される。
被害者の父親と、加害者を育てた樹木希林演じる祖母という2人の間にも、大切に育ててきた子で良いところも沢山ある子とわかっているのに、何を間違えてこうなったのかという自責の念が共通していると思う。
途中まで、悪い事はしていないと思っていた祐一は歌舞伎なら正義を示す赤を着ているが、途中、自分の罪を自覚し後悔にかられてからは悪人の青に変わる。祐一を守っているかのように見える光代が赤を着始めるが、光代との幸せを台無しにした後悔と殺人の悔いに苛まれ、祐一を苦しませているのは光代でもある。でも、所謂殺人犯なんだから、俺は悪いんだ。祐一がそう言いたいかのように、光代の首を絞めるラストシーンは、光代に何も背負わせず祐一を悪者として忘れる事で幸せになってほしいという、去り際の祐一の九州男児としての男気を感じる。祐一の過去を知り、もう一度灯台に置き去りにさせたくないと、一度交番に匿われても抜け出して灯台にどうにか戻ってくる光代に、祐一はやっと見つけた愛の喜びと共に、佳乃から何を奪ってしまったのかもよくわかるようになっただろう。
何にも巻き込まれない保証は全くないけれど、本物の愛に出会える事だって出会い系はあるようだ。辛い思い出の場でもあるが裕一と光代の思い出の場でもある灯台を訪れた2人の瞳はキラキラしているし、会って話し身体を重ねる2人はとても美しかった。
先に光代に出会えていれば。
でも、佳乃への誠意を通したがために、踏み外した祐一。満島ひかりを殺めた翌朝の解体現場でも、祐一の瞳は澄んでキラキラとしていて、佳乃も祐一も増尾も、まだ未来ある若者が、未熟者がゆえ、人の心を踏みにじったり、取り返しのつかない行為をして仇となる、非常に惜しい気持ちになる作品。
「お前は悪くなか」作中何度も出てくる言葉。
仮に結果に対して何らかの関わりがあったり、何らかの非はあったのだとしても、自分を責めていたとしても、責任を背負う立場ではなかったりする。
みんなが悪人要素はあって、そうやって社会的に犯罪者迄にはならない悪人もいるが、殺めてしまえばどんなに良いところがあっても悪人。作中の本当の悪人は、無責任に祐一を取り残して育てず、事件後平然と現れて文句を言う母親のように思えてならないが。
そういう人ほど自覚なし。
その人が本当は悪人でないと知っていても、世間から見たら殺人犯。祐一に初任給で買って貰った大切な巻き物と共に、孫を守りたい気持ちを断ち切り、実際に被害者がいる現実と向き合う覚悟を表すかのように、事件現場に結ばれた祖母の巻き物に心が苦しくなる。
どんなに愛した人でも、鉢合わせた被害者の父親の気持ち、世間の声を考慮すれば、被害者に加害者側が今花を手向けるのは勝手にあたると遠慮し、相反する気持ちと向き合う光代。どちらも、「お前は悪くなか」と声をかけられた事で、現実と向き合う強さが出た部分もあるのかもしれない。
口は災いのもと。言葉は罵るよりも、誰かを軽くするために使いたい物である。