ペルシャ猫を誰も知らないのレビュー・感想・評価
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ロックってある時代までは、体制と戦う武器だったんですよね。
西洋文化は規制されるイランで、彼等は牛小屋や地下室などで当局の目を盗んでバンドの練習をしています。
コンサートを開くのにも許可が要るのですが、伝統音楽以外は認められません。
イランの音楽を初めて聞いたのですが、凄く面白いんです!ロック、ヘビメタ、ポップスが、イランの伝統音楽とミックスされてる。新鮮です。
そして「ロックの核心は反体制、反権力」というカート・コバーンの言葉を思い出しました。
メッセージ性が強い。まるで70年代のロックを思い出します。そして西洋色が強い。
だからこそこの国では、彼等は日の目を見ない。
特にHipHopグループ「ヒッチキャス」のライムは、格差社会に対する痛烈な批判で迫力があります。まるでICE- Tのアルバム「Body Count」に出会った時のような衝撃を受けました。かなり凄かった!彼等に対抗できる、米国の現役ラッパーが直ぐに思い浮かびません。でも彼等もきっと、この国では直ぐには大成しない。どんなに才能があっても。
冒頭、本作の監督バフマン・ゴバディが歌うシーンがあります。監督自身も、撮影には当局の許可が要り、自由に映画制作ができない鬱憤を抱えているのですが、それを歌で発散している。そんな監督が出会う、二人のミュージシャンがネガルとアシュカン。
でも許可が下りないなら、ゲリラ撮影すればいい!と、同じく音楽で体制と戦うミュージシャン達と、逮捕覚悟で本作を撮ったようです。
タイトル「ペルシャ猫を誰も知らない」
イランはその昔、ペルシャと呼ばれていました。そこで有名なのはペルシャ猫。イランの法律では猫を外に出すことはできません。
どんなに素晴らしくでも知られることのないイランのミュージシャン達と、家の中に閉じ込められたペルシャ猫を重ねたタイトル。
本作の撮影後、ネガルとアシュカンはイランを離れ、監督も国内に留まるのは危険と判断。イランを離れたそうです。
ミュージシャン達は確かに体制批判をしているのですが、でもそれは祖国への愛が根底にある。けれど、生まれ故郷から離れなくてはならない。離れないと好きな音楽や、映画は撮れない。
イランが拒む西洋文化とは、つまりキリスト教でもあるのだけど。信仰心皆無な私には、この辺りを語るだけの知識と、諸々配慮した言葉選びができる自信がないので、「よく分かりません」と逃げます。すみません。
けれど、ただ純粋に熱く音楽を(自由に)演奏したいだけの才能ある若い子達がこうして戦い続ければ、いつか壁が崩れる。そう、願いたいです。
マグマは、夜空の夢を見る
「亀も空を飛ぶ」などの作品で知られるバフマン・ゴバディ監督が、本国イランでのゲリラ撮影を強行して描く青春ドラマ。
そう遠くない昔、灼熱のマグマを吹き上げる噴火の瞬間をテレビで観賞した事を思い出した。寒々とした夜空、微かに光る星に混じって赤々と燃え盛る熱の帯。現地住民には大変申し訳ないが、その荒々しい衝動と、光と闇の劇場に、胸がざわついた。外に、出たい。空を、染めたい。そんなすさまじき欲望が、画面を通して網膜を燃やした。
本作を観賞していると、その時に感じた心の揺れが瑞々しく蘇ってくるのを感じる。物語の軸として、芸術、音楽の規制に苦しむ男女が、何とかして自由に音楽を奏でるために奮闘するという展開が用意されている。しかし、この作品の根底に流れているのは、一組の若者が辿る音楽紀行に留まらない。
その表向きの仮面の裏には、イランという国家が当然のように貫いてきた統制、異文化の迫害に対して、国民が長年胸に溜め込んできた欲求不満、抑えきれないエネルギーを大らかに認め、肯定する視点が色濃く反映されている。
地下の奥深くで、不衛生な牛舎の一角で、そして廃墟の高台で、秘密裏に繰り広げられる音楽の宴。一見すると、その鬱憤の象徴のような描写に同情すら覚えてしまうが、当の演奏者は後ろめたさや、悔しさの感情は薄い。むしろ、そこで起こる幸福に身を委ね、今を生き抜く力強さが満ちる。作り手はここに、物語を超えた自国、イランへの絶対的な信頼と、希望を見ている。
俺等は、まだやれる。まだ、人生を楽しめる。いつか、俺達の力で世界を、この国を変えてやる。そんな可能性が、未来が信じられる確かな主張が物語りに溢れ出し、観客の心さえ奮い立たせてくれる。嬉しい、嬉しい。
最終的に、若者の挑戦は思いも寄らぬ形で失敗することになる。それでも、この物語が主張する未来と、光への確信は消えない。確かに映像となって、世界に届いている時点で。
夜空を、見たい。その一心で、灼熱のマグマは私達の前に踊りだした。イランの国民は、既に夜空の存在を知っている。そして、必ず空へと昇る。そんな可能性を信じさせてくれる、人間の熱さ、輝きに彩られた名品だ。
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