「嘘と、門」冬の小鳥 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
嘘と、門
フランス在住の韓国人であるウニー・ルコント監督が、主要なキャストを韓国人に、舞台を韓国に設定して描く、一人の少女を軸にした人間ドラマ。
養護施設、そこに集まる子供たちと彼等をそっと見守る大人たち。ここに構成された要素を観る限り、慈愛と幸せに満ち溢れた陽の物語を想像させる。しかし、その予測は大きく裏切られる。
純粋無垢に思える施設の生活を描きつつも、いたる所に小さくも卑劣な痛みを撒き散らし、一人の幼い少女をじわじわ、じわじわ、追い詰めていく。その完膚なきまでに陰湿な仕打ちは、そのまま、同様の境遇をおってきたルコント監督自身が自分に課した、前を向いて生きていくための試練のようにも思えてくる。
劇中に用意されている舞台、養護施設には2つ、小さな門が建てられている。決して頑丈な作りではないが、それは施設の子供たちの前に仁王立ちで立ち塞がり、物語の中で異様な存在感を発揮する。
冒頭、主人公ジニはその門をよじ登り、施設の外に出ようとする。そこでまざまざと見せ付けられるのは、計算しつくされたかのような、よじ登りやすい構造を備えた門の姿である。ここで、観客は気付かされる。この門は、外からの侵入者を食い止めるという本来の役割よりも、内部の子供たちに対して、施設の外に行き場の無いことを暗に理解させるための装置として機能している。
「勝手に出て行けばいいよ。でも・・それからどうする?」
施設に対する謝罪、家族になると約束した仲間の裏切り、会いに来るといったジニの父、道化のアメリカ人。この物語には、あからさまに嘘が散りばめられている。その全てを嘘だと気付き、抗おうとするジニは笑顔を封じることで、自分を保とうとする。だが、そうする度に嘘は獰猛に牙をむき、2つの門は容易に開かない。少しずつ、そして確実にジニは心を痛めていく。
施設を出る前に行う写真撮影で、ジニは初めて笑う。私の後ろの席で本作を観賞していた初老の女性は「ああ、笑った笑った」と嬉しそうにつぶやいた。そう、これが大人がジニに求めていた答えであり、嘘だった。笑顔という嘘を覚えたジニの前で、門は易々とその口を開いた。
簡潔な言葉と、極めて冷静な映像。その中で展開されていたのは、生きるためにジニが、嘘を手に入れるまでの物語。施設を飛び出し、里親の姿を見つけても、彼女は笑う事無く、真っ直ぐ、清潔な眼差しで世界を見た。それが、ただ嬉しかった。
かえって、嘘という名の愛想で世界を泳いできた自分はどうか。ジニの真っ直ぐな眼差しをまだ、私は持っているのか。一つの作品で私の胸に溢れてきたのは、幸せであったろう。でも、同時に、あの日の小さな抗いを想う懐かしさだったのかもしれない。