バグダッド・カフェ 4Kレストア版のレビュー・感想・評価
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ビジョンとマジック
#バグダッドカフェ 4Kレストア版を名古屋の初日(#伏見ミリオン座)で観ることができました。
35年前っていうから、学生時代。
スクリーンでの再会は、そんなに時が経ったとは思えないほど心がときめく。
高校時代から映画館に入り浸るようになり、それくらい大好きな映画として5本の指の1本で、ビデオはもちろんレーザーディスクにDVDが出る度買い直して、いつも身近に居て欲しい映画だったから、この歳になって再び映画館で鑑賞(人が作った芸術作品)、いや観賞(大自然の美しい風景)できることはこの上ない幸せなのでした。
やはり、若い頃や今までと違った部分に目が行き、どこを切り取ってもいい場面なんだけど、今の自分にストレートに突き刺さるシーンを改めて堪能することができた。
ビジョン。
二つの光り。
ここがめちゃめちゃ胸騒ぎする。
何でも無い主人公とまわりの配役それぞれがいい味出してるんだよなぁ。
すごい俳優とか、飛び抜けた才能の役じゃない普通の人たちが、淡々とその冴えない日常に文句言いながらも、実は人と人のつながりの中で美しく生かされている。
お互い亭主を捨てたジャスミン(ヤスミン)とブレンダ。
そんなことは露知らず、人種も生まれも育ちも性格もまったく正反対の二人が、客の旅行者と店の経営者という立場で出会ってしまう。
なんと必然な出来事だろう。
そこには不思議なキャラの同居人があちこちに居て、それぞれが趣味の世界を楽しみながらここでの生活を愛し、実に活き活きと家族のように暮らしてる。
この地に立ってジャスミンが見た不思議な二つの光りと、画家の描いた二つの光りが、すべてを物語っているように感じる。
輝かしい希望とか、とにかく何かわからないけど、そこにはビジョンがある。
二つの偽の太陽であれば、幻日なんだろうけど、真ん中にホンモノの太陽が無いから、光学現象ではない。
画家が、宇宙エネルギーの何万もの鏡が太陽の光を反射させると語ったように、まさに啓示としてのビジョンだ。
それは相反するもの同士のはずのジャスミンとブレンダが出会うことで、最初は衝突しながらも、徐々に受け入れることで生まれたハーモニーというか相乗効果が、この店を瞬く間に魅力的な空間に生まれ変わらせた。
バグダッドのセンターとして、トラック運転手が心から休める店として大繁盛する。
旅行カバンに入っていた手品セットが功をなしたジャスミンの手品の腕もすごいけど、魂を震わすブレンダの歌声がまた素晴らしくいいのだ。
あの重苦しい演奏だった息子のピアノまで、そのときから名ジャズピアニストに生まれ変わったのだから。
まさに、マジックだ。
もう一つのビジョンとして、あの二つの光りは、やはり男と女ということか。
亭主を捨てたブレンダは本当は寂しかったから、エンディングで戻ってきて抱き合う。
一方、ジャスミンの亭主はあれからどうなったか、ドイツに帰国してまた一人で再入国して戻り、なんと画家と結婚して永住権まで得る。
本当に、どっちもよかった。
映像エフェクト処理されたオレンジ色の世界で、渇いたモハヴェ砂漠のハイウェイに溶け込むサウンドトラックがずっと永遠耳から離れない #コーリングユー とか、80年代カルチャーとしてとても話題となった映画だけど。
そういう表面的な心地よさの下に幾重にも敷かれた、何でも無いような日常の一つ一つが実は素晴らしい可能性を秘めていて、いくら反発しようと心さえ動けば、自分の意思とは関係なく、一度動き出したら止まらない、思いもよらぬ方向へ導いてくれる。
そんな #ビジョン と #マジック という魅力的な世界が観るものに感動を与え、映画館を出た後に自分の中へ落とし込んでいける。
そんな映画なんだと、何度も観ていながら改めて感じました。
大学生の時に話題になっていた作品。 午前十時の映画祭で初鑑賞。 序...
タイトルしか知らなかったけど、 こんな感じの映画だったんですね 変...
タイトルしか知らなかったけど、
こんな感じの映画だったんですね
変な表現だけど、
なんか微妙に凄くいい
数日経って思い起こす時の方がじわじわ来る
メインの2人の女性の、どちらもいい感じ
ところどころよくわからないシーンもあったけど、
みていて嫌じゃないし、そんなに引っかからない
不思議な魅力
あと、曲もいい
頭に声が残る
35年経った今でも印象深い80年代のミニシアターブームを牽引した代表作
1989年の日本公開から35年。
『バグダッド・カフェ』が 4Kレストア版になって再上映されているとのことで、クリスマスのイルミネーションが眩しく煌めくYEBISU GARDEN CINEMAさんへ。
『バグダッド・カフェ』(1989)
ジェヴェッタ・スティールが歌うテーマ曲「コーリング・ユー」と黄色い給水塔をブラシで清掃する主人公のキービジュアルが35年経った今でも印象深い80年代のミニシアターブームを牽引した代表作を久々に鑑賞。
舞台はイラクの首都ではなく、アメリカのカリフォルニア州の砂漠地帯にあるモーテル兼カフェ「バグダッド・カフェ」。
ドイツから旅行に来た夫婦が道中で喧嘩別れ、夫人・ジャスミン(演:マリアンネ・ゼーゲブレヒト)が「バグダッド・カフェ」に滞在する中で、女主人ブレンダ(演:キャロル・クリスティン・ヒラリア・パウンダー)たちの警戒を解きつつも徐々に心を通わせ、夫の荷物にあった手品セットで手品を習得し客前で披露することでカフェが大繁盛するハートウォーミングでファンタジーな作品。
久々に鑑賞すると映画の作法を無視した斜めの構図や独特の色彩調整、粒子の粗いざらついた映像など「バグダッド・カフェ」自体を浮世と離れた理想郷、ユートピアのように描いているのではないかと感じましたね。
常軌を逸したブレンダのジャスミンへの拒絶が、徐々に相互理解と尊敬、友情が芽生えるストーリーが実に素敵で、ジャスミンに恋する老人ルディも名優ジャック・パランスがペーソスの漂う演技が見事です。
作品内容も映画史に残る名作ですが、やはり「コーリング・ユー」の楽曲ヒットと、黄色い給水塔のキービジュアルの世間へ浸透、ミニシアターブームのなかで、本作品が流行の最先端のファッションのように洗練、昇華されたことも大きいですね。
昨今、映画オリジナルのテーマ曲のヒットや、ポスタービジュアルが部屋で貼られるぐらい認知と人気を獲得した作品は随分と減りましたね。
特にポスタービジュアルは配信会社によってデザインがカスタマイズされるので「この作品ならこの絵柄」とすぐに想起することが難しくなって「バグダッド・カフェ」みたいな成功例が減ってくるのは寂しいですね。
スクリーンで観れて嬉しいな
初公開当時は田舎の中学生で知る由もなく、この映画を知ったのは18歳ごろ。『ニューシネマパラダイス』や『ベルリン・天使の詩』と並ぶミニシアターブームのパイオニアながら、リバイバルに出会えず観たことはなかった。
サンフランシスコには同じ名前のカフェがあって、そこのミートローフが好きでよく行ってた。
名曲Calling Youにのせて初めての『バグダッドカフェ』は、なんだかつかみどころがなく不思議な空気感。ポットはドイツらしくてカワイイ、デザイン的には東ドイツっぽい印象。でもなんで旅行にわざわざ持ってきた?
朝から晩まで怒鳴ってるブレンダうるせーと思いつつも、あの有名なタンク掃除!なんか嬉しい。
はじめは謎のヤスミンに訝しげだった人たちも、次第にヤスミンの人柄に惹かれ、カリカリうるさいブレンダも表情が柔らかく笑顔になる。
オシャレ映画の金字塔は、ものすごい多幸感に溢れていた。
ヤスミン役の女優さん、『ある一生』のおばあちゃんだった!今もご活躍でなにより。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 映画によるマジックの様な至福の108分間。
映画で詩を謳う
晴々と生きる
ヤスミンに心無い言葉を言ってしまったことから、カフェの主であるブレンダは、これまで周囲に当たり散らしてきた自分の態度を省みる。
そこから育まれていくヤスミンとブレンダの友情は、見ていてとても幸せな気持ちになった。
サロモの子供の母親はいなくなったのか、ヤスミンは夫と別れたのか、そうなんだろうなと思わせつつ、映画は一人一人の事情を細かく描くわけではない。でもそれが良いなと思う。何を抱えようが彼らはそこにいるというのが。
ヤスミンのビザが切れて帰国を余儀なくされたとき、映画はここで終わるのだと思った。
ブレンダの横暴な態度に家を出たものの、ずっと見守っていた夫が代わりに帰ってくるのかなと。
でも先に帰ってきたのはなんとヤスミン。再会したブレンダもヤスミンも晴々としていて、依存し合うわけでもなく、自分が好きなようにありのまま生きている感じがした。
ヤスミンの最後のセリフ、ああふたりは本当に友達なんだなあという実感があってよかった。
トップレスの方がセクシーよ
小説か何かでタイトルは覚えがあり、気になって鑑賞。
よく分からない夫婦喧嘩×2から始まり、不機嫌な人間とマイペースな人間しか出てこない。
ちょっとした誤解から警察呼ばれたりコミカルさはあるが、序盤は退屈。
明確に流れが変わったのはヤスミンが本格的に掃除をはじめたあたりから。
ここで今までとまったく違うBGMが流れて分かり易い。
ヤスミンのおおらかな人柄が、少しずつ周囲の人間を包みこんでいく。
正直、市販のセットで学んだマジックで盛り上がるのは他に娯楽のないあの場所だからだろう。
ただそれだけでなく、“ヤスミンだから”だという説得力があるのは見事。
良くも悪くも彼女のキャラクター頼りのため、映画的なエピソードが無いのは評価を分けるところか。
ビザ切れで帰国してから戻ってくるのが早すぎるし、途中の電話も活かされないのは気になる。
ヤスミンの旦那にも言及されないし。
男どもが揃いも揃って仕事してない(カヘンガ除く)し、サルはずっとどうやって暮らしていたのか。
タトゥーイストの美女だけ去ったのは何を示す?
脱ぐ必要性と、コックス(COX=Cocks?)の名前の関連性を勘繰ってしまう。
最後のマジックショーの雰囲気は素敵だが、サスガに長いのでエンドロールと被せてほしかった。
砂漠の乾いた色彩の中に、青空と衣装の黄色が映える画面は好き。
唐突に断片的なカットが入ったり、色々と考察要素はあるけど、今観て新鮮かというと…
全体で観て、ヤスミンの性格が旦那と喧嘩別れするところだけ浮いてるように感じてしまう。
あの景色に再会した!
魔法瓶で始まりマジックで終わる、魔法と奇跡、癒しと救済の現代の御伽噺。
20年ぶりくらいに観たけど、やっぱり良い映画だ。
記憶にあった以上に、御伽噺のようにメルヘンチック。
田舎町に舞い降りた「聖者」が起こす、
魔法と奇跡、癒しと救済の物語。
何度か観たことのある映画だし、わざわざ無理して行かなくても良いかな、と思っていたのだが、『どうすればよかったか?』と『きみといた世界』のあいだの時間つぶしにちょうどよかったので、シネ・リーブル池袋で観た。
結果的に、とても幸せな気分になれたので、行ってほんとうによかった。
パーシー・アドロンの映画はこれくらいしか観た記憶がないが、『バグダッド・カフェ』に限って言えば、僕の若いころはシネマ・ライズ公開だったこともあってか、「渋谷系」のイメージが間違いなくあった。でも今見直しても、別にオシャレな映画でもなんでもないよね(笑)。
むしろ、人種や出身を超えて友情を結ぶ大切さを問う本作は、今の時代にこそ真にふさわしいともいえる。
なぜ僕がこの映画を大学時代に初めて観たかというと、
実は大学で僕は奇術愛好会に属していたのだ(笑)。
本当は京大ミステリ研やワセミスみたいなミステリ・クラブにあこがれていたのだが、母校に本格ミステリ研究をメインとするサークルがなく、やむなく入ったのが奇術愛好会だった。
奇術愛好会といっても実態は結構本格的な体育会系のノリで、年三回のステージショーを通じて、そこそこ力の入ったステージを披露していた。僕は大変エキサイティングな青春をこのサークルで過ごした。
というわけで、かつての僕は『バグダッド・カフェ』を渋谷系映画としてではなく、「マジック映画」として観たのだった。
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ここでいきなりだが、僕のマジック映画ベスト10をあげておく(時代順)。
『魔術の恋』(53)(トニー・カーチス主演のフーディニの伝記映画)
『魔術師』(58)(イングマール・ベルイマン監督による魔術一座の物語)
『ヨーロッパの夜』(61)(チャニング・ポロックの鳩出しが見られることで有名)
『テラートレイン』(81)(デイヴィッド・カッパーフィールド出演のホラー)
『バグダッド・カフェ』(87)(本作)
『プレステージ』(06)(マジック監修はデイヴィッド・カッパーフィールド)
『幻影師アイゼンハイム』(06)(奇術演出はCGが多くてイマイチだが、良設定)
『イリュージョニスト』(10)(ジャック・タチ執筆脚本のアニメーション)
『俺たちスーパーマジシャン』(13)(デイヴィッド・カッパーフィールド出演)
『ナイトメア・アリー』(21)(元映画の『悪魔の往く町』にもマジシャン登場)
何度も名前の出てくるデイヴィッド・カッパーフィールドというのは、アメリカを代表するマジシャンで、ちょうど僕が大学で現役マジシャンだったころの「絶対的ヒーロー」だった。僕は有楽町の東京国際フォーラムで、彼の「フライング」の実演に触れて、文字通りむせび泣いたものだった。
『バグダッド・カフェ』で演じられるマジックは、本人が市販のマジック・セットを持ち出して独学で練習しはじめるくだりがあることからもわかるとおり、学生マジックレヴェルでもよく実演されるような、比較的オーソドックスなものばかりである。
多少、「カメラからは耐えているが、カフェにいる客の視点からは耐えていない(耐える耐えないというのは、隠しているものが見える見えないをさす奇術用語)のではないか」と思われるスライハンド(手先の器用さを用いたマジック)や、その照明では種が隠せないのではないかと思われる演技(とくにダンケン=ダンシング・ケーンのシーン)もあるが、基本的に1カット、カメラ・トリックなしで「本当に舞台上で実演するとおりのマジック」を実際にやっているので、大変フェアで気持ちがいい。
ざっと思い出すだけで、シルク、カップ&ボール、フラワー、コイン、腕切断イリュージョン、ダンケン、あとはクラッカーを出したり、卵を出したり。
いずれも古典的で有名なトリックではあるが、結構な練習を必要とするものばかりで、彼女たちが師匠もなしに短期間で人に見せられるレヴェルで習得するのは非現実的だし、一般の観客に毛花を渡してしまうのもどうかと思う。その後のステージ・ショーに関しても、とても素人レヴェルではない演出と衣装が導入されていて、実際はいろいろ嘘くさいところがある。
ただ、そんな些細なことはどうでもよくなるくらいに、本作は「マジックの効用」をうまくつかんでいる。
英語で、奇術と魔法は同じ「マジック」。
奇術は小さな魔法だ。
さびれたカフェに火をともす魔法。
疲れた人々の心に火をともす魔法。
人と人を結び付けて幸せにする魔法。
ここでは、マジックがそういうものとして位置づけられている。
奇術って、「タネ」と「知識」と「訓練」さえあれば、だれでも「ステージ側に立たせてくれる」少し特別な演芸なんだよね。
僕みたいに、舞台経験もなければ眉目秀麗でもない人間であっても、練習さえすれば、「人に見てもらえて」「人に喜んでもらう」ことができる。ちょっと「着ぐるみ」に近い、魅力増量の特殊効果が、マジックには間違いなくある。
マジックするよってだけで、お客さんは最初からわくわくしてくれるから。
演技者以上に、タネと手先に集中してくれるから。
『バグダッド・カフェ』は、そういうマジックの本質を物語にうまく取り入れている。
肥った異邦人の女が、砂漠の最果てにあるカフェで、マジックを通じてお客さんに「小さな不思議」と「小さな幸せ」を与え、それが人と人の縁を結び、やがてみんなを大きな幸せで包んでいく。
マジックは魔法。誰でも奇跡は起こせる。
そんな御伽噺を、ドイツ人がアメリカを舞台に撮った。
それが日本で単館ロングランの記録をつくるような大ヒットを巻き起こす。
マジック愛好家の僕にとって、『バグダッド・カフェ』はやはり特別な映画である。
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『バグダッド・カフェ』は今考えると、
ずいぶんと時代を先取りするような映画だった。
黒人と白人とインディアンが手を取り合って仲良しになっていく、ボーダーレスな映画であり、「移民」や「流れ者」が地元住民に受け入れられていく幸福な映画でもある。
それぞれの夫に置き去りにされた女ふたりがカフェを再興させる、シスターフッドの映画であり、「女性版のブロマンス映画」のはしりともいえる。
それらの要素が、まったくの押しつけがましさやうさん臭さを感じさせず、アンチポリコレの僕ですらすんなり受け入れられるくらいの自然さで、物語として巧みに組まれている。
結果的に、地元民も、流れ者も、カラードも、白人も、みんなが幸せになれるある種の楽園としてバグダッド・カフェは成立し、ドイツから来たディヴァインみたいな肥った女は、ある種の「市井の聖女」として位置づけられる(息子の弾くピアノを聴くヤスミンの背後からは後光がさし、老画家の描くヤスミンの肖像には常に頭光が描き込まれる)。
砂漠にそそりたつ黄色い給水塔。
常に手元に戻って来るブーメラン。
こわれたコーヒーメイカー。
ドイツコーヒーの入った魔法瓶(マジック・ジャー)。
名曲「コーリング・ユー」。
幾多の「象徴物」に彩られて、『バグダッド・カフェ』は「伝説」となった。
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●パーシー・アドロン自身は、ニュー・ジャーマン・シネマの監督たちとはかかわりもなかったし、さしたる影響も受けていないとインタビューで答えている。ただ、ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』(84)を彼が知らないとはちょっと思いにくいし、『パリテキ』でも見られた「異邦人の眼差しでとらえた幻想の国アメリカ」というテーマを、アドロン流に敷衍したものが本作だとはいってかまわない気がする。
●本作の場合、補色を強調した強烈な色彩美(監督いわく、色彩感覚についてはサルバドール・ダリの絵を意識したらしい。魔法瓶や給水塔に共通する「黄色」は「優しさ」の色とのこと)と、主題歌「コーリング・ユー」のけだるい響きによって、「幻想のアメリカ」を強調している点は見逃せない。
●「コーリング・ユー」は、今ではスタンダード・ナンバーとして歌い継がれている名曲だが、もともと「この映画のために」つくられた楽曲であり、前からある曲の流用ではない。監督の依頼では、ガーシュインの『ポーギーとベス』に出てくるアリア「サマータイム」のような曲を、という要請だったらしい(まさに異邦人から見た「アメリカ」だ)。
●「コーリング・ユー」と並んで本作を彩るのが、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」だ。カフェのピアノでブレンダの息子が弾き続けている楽曲。壁にはバッハの肖像画がかけられている。ドイツつながりの部分で、アメリカの片田舎でドイツ人女性が受け入れられていく「土壌」として、バッハ受容が描かれているのかもしれない。
単なる騒音扱いされていたピアノの練習が、ヤスミンを触媒として、美しい旋律として「化ける」瞬間の演出は本当にすばらしい。
あのとき彼は、はじめて自分のためではなく、聴いてくれる誰かのために弾いたのだ。
●旧弊を打ち払い、すべてを新しく始めることの象徴として、「掃除」が出てくるのも今風といえば今風な気がする。考えてみると、つぶれかけたレストランとかショップとかを再興させる話ってのは、『タンポポ』とか『王様のレストラン』とか山ほどあるけど(みのもんたの『愛の貧乏脱出大作戦』みたいなやつ)、『バグダッド・カフェ』もまさにその定型に乗っかってはいるんだな。
一度、劇的なまでに賑やかに変化した日常が、変化をもたらした当事者がいったん去ることで元の木阿弥に、という展開も、『サウンド・オブ・ミュージック』のマリアや、『美女と野獣』のベルなどでもおなじみの王道演出。
●実は、前から似た設定だなと思っているのが、シドニー・ポワチエ主演の『野のユリ』(63)。『バグダッド・カフェ』の舞台はモハーヴェ砂漠だが、こちらの舞台もアリゾナの砂漠地帯で、「東ドイツからの移民である5人の修道女」を、「車の故障でたどりついた黒人の青年」が助けて、礼拝堂を建設するまでを描く。シドニー・ポワチエは「神から遣わされた人物」として修道女たちに扱われ、冒頭は「井戸の水」から話が始まり、彼らはいっしょに歌を歌い、屋根にのぼり、礼拝堂の建築が進むにつれて、多くの地元民が援軍にかけつけてくれる……ね、いろいろよく似てるでしょ?
人種も出身も関係ないという思想や、流れ者が止まっていた時間を動かすきっかけになる流れ、登場人物全員が善意の人である点なども含めて、両作の共通点は多い。
●映画の顔としては、ヤスミン役のマリアンネ・ゼーゲブレヒトの特異な魅力と体当たりの演技(ちょっと春川ますみみたい)、それから、常にいらだっているブレンダ役のCCH・パウンダーのキャラクターが立っているわけだが、個人的にはジャック・パランスの老画家が素晴らしかった。映画のなかでも「銀幕のスター」扱いされる内輪ネタが出てくるが、まさかあのジャック・パランスがこんな役で復活するなんてね。
その他、寝てばかりのぐうたらウエイター、無口なタトゥーアーティスト、長期キャンプ中のブーメラン使い、インディアン保安官、トラッカーたちが登場する。
●画家がヤスミンを描き続けるうちに(何枚目かは裏のナンバリングでわかる)、だんだん持っているフルーツの形状がエロティックに変容し、それに合わせてヤスミンの服が脱げていく(ヤスミンが服を脱いでいく)流れは、いわゆる「天丼ギャグ」というやつでなかなか楽しかった。ただし、大変個人的な意見で恐縮だが、ゼーゲブレヒトの裸は必ずしも見たいとは思わなかったし、より正直にいえば、あんまり見たくなかった(笑)。
なんか、ヤスミンにセクシーな恰好させたり脱がせたりってのは、この映画で「是が非でもやらないといけないこと」みたいな真剣度で取り組まれているけど、このあたり、「肥っている/痩せているなんかで女性の魅力は決定されないんだ」といった強い意見表明でもあるんでしょうかね?
名作は何年たってもあせない
不思議な映画
不思議な感覚
すみません。序盤、自分はあんまり好きじゃないかも…と思って観てました。
だけど、ブレンダがヤスミンに部屋で謝った所あたりからだんだん面白くなってきて最後のマジックショーはとても解放的な気持ちで観れました。
さらに観終わって時間が経つにつれ、良い映画だったなぁと思えました。
キャラクター達も観ていくうちにどんどん好きになっていきました。
今思い返してもとても良い映画でした。
じんわり感動😌
物語はそんなに派手な事が起きる事もなく、ゆったりとしている。
バグダッド・カフェの女主人、ブレンダがすごく良かった!
物語の最初、彼女は自分の環境にウンザリしていて、表情、仕草、言葉使い全てがストレスの塊みたいになっている。
それがヤスミンと出会い、少しずつ自分の良い部分を取り戻していく。終盤のバグダッド・カフェでのマジックショーでブレンダは別人のように生き生きしていた。そして歌も上手い!
良い映画だった😊
生きる喜びを再発見する物語
ブレンダブレンダブレンダ
イギリスだっっけ?フランス?
例えばどっかの国じゃ蛾と蝶々を区別しないらしい、どっちもパピヨンだ。
そんくらい区別しろよ!とか思うけど、俺ら日本人だってクロコダイルもアリゲーターも同じワニって言うし、コングもモンキーもエイプもヒヒもサルやん。
で、英語圏じゃ魔法も手品もマジックらしい。
良いね、人が人を驚かせたり喜ばせたりする行為は全て魔法なんだな、魔法を掛けていた者が魔法に掛けられてたり、種明かしまで気づかなかったり。
もうそこにも区別は無いんだな、数十年ぶりに見たけどステキな魔法が掛かった映画だった。
大きな穴が空いた、乾いた何も無い砂漠に少しづつ水を注ぎ、魔法とユーモアと愛でいっぱいに満たす話しだ。
当時はVHSで見たけどブルーレイ買っても良い?
うん、ブレンダに相談してみるよ。
溜め息が出る程良い作品
ブレンダがあまりにヒステリックなので、最初の数十分間はしんどいなぁと思いつつ観ていたが…
情景が好みなのと、ヤスミンが丁度良い感じに控えめな性格でいてくれて、時折子供たちに見せる笑顔が可愛くて…
ザワついていた心も穏やかになれた
ヤスミンの存在が、乾き切っていた人たちの心を少しずつ潤わせて、繋げて、豊かにしていく過程が本当に美しかった…
再会のシーンは涙が出た
ショーシャンクが思い浮かんだ
4Kじゃなくて残念だと思ってたけど、むしろ良かった
映画館でまた観たいので、次は4Kにしてみよう
ピンク色のマジックアワーはアメリカ大陸ならではなのかな
生で見たいと思うほど綺麗だった
ヤスミンが徐々にはだけていく過程は可愛くて可笑しかった
彼女のちょっとした心情(襟を戻して又折り返したり、部屋に彼が尋ねてきた時に服を着る時間をわざととったり…)が垣間見えるシーンも凄く好き
絵、ブーメラン、タトゥー、手品…
ゲームもスマホもAIも知らない世界で、気に食わない人人がいてたとえ憎しみを感じたとしても、人は人を信じれるし繋がれる素晴らしさを改めて思い知らされた
良い映画に出会えて幸せだと感じた
夕暮れに舞い続けるブーメランを見て、急ぎ過ぎている自分に気がついた。
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