劇場公開日 2010年12月1日

「『スターウォーズ』と比べて、何かが足りない。やっぱりキムタクが!」SPACE BATTLESHIP ヤマト 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5『スターウォーズ』と比べて、何かが足りない。やっぱりキムタクが!

2010年12月10日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 かつて東宝は、映画「スター・ウォーズ」に対抗し「惑星大戦争」を製作したけれど、こちらは怪獣映画のノリのままで、特撮技術の差は歴然としたものでした。
 しかし、30年の時間を越えて、日本でも特撮を得意としたロボットや白組などのプロダクションが立ち上がり、「ALWAYS三丁目の夕日」では、ハリウッドに負けないくらいの特撮に成功しました。これらの作品を監督した山崎貴監督が、持てる才能と技術を詰め込んだ本作では、やっと「スター・ウォーズ」に対抗しえるスペースバトルシーンが実現できたと思います。恐らく日本の特撮シーンにおいて、最高レベルに達したといって過言ではないでしょう。冒頭のヤマトが地中から浮揚するトーンなど、オリジナルを見て育った「ヤマト世代」のものとして、そのリアルな実在感に、おおっ!と感動してしまいました。

 けれども、何か違和感がぬぐえません。
 やはり一番の違和感は、キムタクです。10月に公開されたアニメ『REDLINE』の吹き替えでもそうでしたが、彼にかかると全てがキムタク色に変えられてしまうのです。そのクセのある台詞回しで、ヤマトがキムタクの出演したトレンディドラマに置き換えられてしまったような違和感が大きかったと思います。
 また、森雪にも違和感を感じます。オリジナルでは、じっと落ち続ける白百合のような可憐なキャラだったが、なぜかツンデレ系の戦闘機パイロットに変更されています。ツンツンしているのが気になるのです。
 そして、ホントに二人の台詞の掛けあいを見ていると、イスカンダルに向かう悲壮感たっぷりのヤマト艦橋にいるというよりも、「どこかのオフィスでやり合っている恋に落ちそうなふたり」に見えてしまうのですね。
 しかも、森雪のツンデレぶりはそんなに根性がなく、割と簡単にキムタクと恋に落ちてしまうのは、安っぽいトンディドラマのノリのママではないでしょうか。

 ところで、柳葉敏郎の熱演が評価されていて悪くはないとは思います。でも、そこのシーンへつないでいく過程を見ていると、どうしてもわざとらしさが気になります。
 オリジナル一作目の大きなテーマは崇高な目的を遂げるため、犠牲となっていくものたちの愛が綴られていることです。その滅びの美学の切なさ、儚さに、多くの人が共感し、ヒットの要因となったのでした。そういう点では、実写版はアクションや特撮が中心で、「美学」という微妙なディテールが描けていないのではないでしょうか。
 それを強く感じたのは、沖田艦長の地球を見つめながらこと切れるラストの名シーン。このシーンでは、オリジナルほどの哀愁を感じませんでした。これは演出の感性の問題であると思います。

 さらにガミラスの設定にも疑問を感じました。
 ガミラスをより形而上的な存在にしたことで、イスカンダルとガミラスの関係が分かりやすくはなったと評価はできます。しかし、オリジナルのような人間に近いキャラでなくしてしまったことによりガミラスvsヤマト&地球の対立の構図が見えにくくなってしまったのです。そもそも地球侵略の目的すら、あのキャラでは存在感がしません。
 本作のガミラスが、どこにでも登場しえる、物質と高次元の霊的存在の中間みたいな存在ならば、あえて戦艦を使った戦争を仕掛けなくても、惑星を乗っ取ることくらいたやすかったはずです。
 加えて、本作のガミラスが地球を破壊する意図も、見えてきませんでした。人としての感情を持ち得ない、「存在」としてのガミラスであれば、「意地」や「名誉」のためという概念が、オリジナルのガミラスと比べて似合わないのです。

 特撮で達した技術は、確かに評価すべきでしょうけれど、ではこれでもって『スターウォーズ』サーガ全編と比べた場合どうかというと、まだまだ差は歴然としてあります。ヤマトとストーリーも近いテレビシリーズの『ギャラクティカ』と比べても、ドラマ性で不十分でしょう。

 続編を作るのであれば、作品の重厚感や微妙な演出上の間の取り方など課題として、今後に期待したいと思います。

流山の小地蔵