ケンタとジュンとカヨちゃんの国のレビュー・感想・評価
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大好きな映画
規範に従っていれば息苦しい世界しか無い。
じゃあ壊せば、光が見えるのだろうか?
現実は水平線のようにどこまでも残酷。
向こうに楽園など無い。
続いているのは同じ海。
カヨちゃんの愛情飢餓故の愛情深さが沁みる。
そばにいてくれるなら誰でもいい
それは言い換えれば、相手に対する無償の愛だ。母性と呼ぶのかは微妙だが、母性的ではある。
依存的なジュンと人生を切り拓きたくて欲求不満を抱えているケンタくん。
ジュンはケンタがいればいいけどケンタは違う。
救いのない映画だが、三人の悲劇を観ていると、登場人物の代わりに勝手に希望を探してしまう。
自分の人生にあるものを見つけるきっかけにもなるかもしれない映画。
飼い主に噛み付く犬は愚か者か、戦士か。
色んな人の感想が知りたくなる。
一瞬見えた光の正体を掴め
キャストの気合いがこっちまで伝わってきそうなほど熱かったね。作品がではなく演技面ね。
特に、今まで演技が上手いと思っていなかった松田翔太の熱演にはビックリした。
押し潰されていく水風船のような役柄を緩急をつけて、破裂した瞬間は最高の迫力で演じたと思う。
作品の内容については、よってたかって安藤サクラ演じるカヨちゃんを罵りまくるだけの青春ものかもしれないと一瞬考えたけど、いくら役とはいえ余りの扱いに安藤サクラが可哀想になったので、ちょっと真面目に考えてみる。
人は壁にぶつかった時それを壊して乗り越えようとする。その先に自分がなりたい姿、目指したい事柄があるからだ。
だけど、壁の向こうに何があるのかわからない場合はどうだ?
作品の中では頭が悪いから、育った環境などのせいで価値観が狭いから、としているが、今の苦難を乗り越えたら良い未来が待っているかもしれないと漠然と考える人がいても、その人が特別おかしな人とは思わない。
壁とは己に課せられた障害である。その障害が何であるかさえ理解できていないケンタは、盲目に壁の先に何かがあると信じている。
信じているからただ壊そうとするが、壊しているものが自分に課せられた障害なのかどうかすらわからない。
しまいには自分が壁を壊しているのかどうかすらわからなくなって、壁を壊し向こうを見た兄に会いに行こうとする。
ジュンは壁に囲まれた世界の中でケンタと共にいることを望んだ。
何があるのかわからない壁の向こうには興味がなく共に育った兄のようなケンタにすがるように生きている。
終盤の公園での一幕で言う「俺にはケンタくんしかいないから」と、その行動は壁の中の今を、ケンタと離れずに済む未来を守ろうとしたジュンなりの精一杯だった。
なりたい自分、目指したい事とは、夢または希望という。
夢や希望を抱かずに現状に不満を募らせるだけでは破滅的な結果しか得られない。
まずは夢や希望が何なのか、から知らなければいけない。そして安藤サクラはそんなにブスではない。
ぶっ壊した先に
何かあるはず。今よりマシなはずだ。何か変わるはずだ。別の世界に行けるはずだ。そう思いたい。
でも、そんなのは幻想である。彼らを待っていたのは地の果て。信じていた救世主は生きる屍。結局何も変わらないどん詰まり。楽園なんてどこにも無い。
何か虚しいよ。
ケンタがちょいちょい言ってた『俺とお前は違う。』
何が違う?何も違わないよ。所詮同類。
この作品のカヨちゃんの役割って何だったんだろ?
愛に飢え、誰にでも股開く尻軽。ノリで言った『愛してる』を本当バカみたいに信じる痛い女。
結局この子もケンタとジュンと同じ、自分じゃなく他人に希望を見出だす人間なのかね?
好きな役者さんが出てたら見るべき
高良健吾さんはバカっぽいけど無邪気な役がほんとに似合う。ヤクザ役でも隠せない素直でピュアな所が垣間見えて、どうしようもない人なんだけど、なんかほっとけない…と思わせる。高良さんの人柄なんでしょうか。罪な男ですね〜笑
だからこの作品のジュンに対しても、不思議と怒りが湧かないのかもしれません。カヨちゃんに対してブスブス言ってる時も、小学生が好きな子に言うブスと同じくらいピュアに聞こえる気がします笑
安藤サクラさんは私の中で演技派女優部門第2位に値する女優さんです。
あんな風に自分をさらけ出して演技をすることは出来ないと思うからか、安藤さんを見てたら胸がスッキリします。
感情を抑えられないケンタと感情を抑えてるジュン、自由だけどいつも独りぼっちのカヨちゃん。ケンタとジュンは最後に一緒に進むべき道を決めますが、カヨちゃんは置いてかれて、また1人で自分の居場所を探す日々が続くのだと思うと、理不尽な終わり方だなと思います。あと、裕也は轢かれる前にケンタを撃つことが出来たのでは?
ストーリーは、モヤモヤする部分が多々ありましたが、役者さん2人の演技に星2点、裕也の痛ーいに0.5点付けたいと思います。
それをやってみせてくれてるのがこの映画。 そしてその末路もみせてくれています。
キャッチコピーは「三人なら、生きられる」。
これがあまりに的を得てなくて残念です。
こんなコピーならない方がマシ。
この三人の心が通うことが、劇中ではありません。
ちょっと度の超えた若者が、今ある自分の国を壊してみたら、
新しい国がきっとあるはず!ってことで旅に出るお話です。
誰でも一度は、すべて投げ捨てて、どこかに遠くに逃げたいなーって考えたことがあると思います。
それをやってみせてくれてるのがこの映画。
そしてその末路もみせてくれています。
人生において、恣意的な劇的な変化ってなかなか難しいことだなと。
ちょっとずつ意識して変えていくのが理想ですね。それもまた難しいけど。
ずしん、、、
ひどく悲しい映画でどうしてやることも出来なかった
「SR2」に出てた安藤サクラがいいんだよね~だんなさんになった柄本タスクもチラと出てる
松田翔太はなにやっても決まる!DNAだね
監督は大森南朋のお兄ちゃんで麿赤兒の長男
「まほろ駅前多田便利軒」とかも撮ってる
五感で観る。
最近思う、映画館で見るべき映画とは何なのかを。
DVDリリースの期間が早い現代、DVDで事足りてしまう作品も溢れる。
そんな中で、この映画はまさに映画館で見るべき映画な気がした。
DVDで見ていたとしたら、退屈で一時停止したり、
流してみたりしてしまうかもしれない。
この作品は、映画の世界に没頭し、全身を使い感じ取る映画だ。
正直よく解らない。
あまり多くの語らない。
破壊と虚無の世界。
光と影と、爆音と無音。
五感を使い、感じるとしか言いようがない。
出演者の演技も狂気じみていて、素晴らしい。
宮崎将のあの虚無な演技は、凄まじいし、
カヨちゃんのウザさも凄いし、
松田翔太の鋭さも、高良健吾のユルさはあれはもう生まれつきか、
多部未華子だけがなんだか浮いていた気もする…。
映画好きはぜひ映画館で。
大衆向けな解りやすい映画が好きな方はやめておいたほうがイイ、退屈なだけだから。
岡村信康の主題歌がずしーん
病気や事故などで幼い頃に両親を亡くしてしまった人は多いと思う。両親がいてもパチンコ屋の駐車場で車の中に詰め込まれていた人もいるだろう。それでも、この映画のケンタとジュン、小さい頃から施設で育ってきた2人を見ていると、子どもの将来にとって親の存在はとても重要だと思わされた。帰る場所がないというのは、とても寂しくて悲しいものだ。
深く刺さる
久しぶりにこんなに深く自分の感情に突き刺さる映画を観た。
観た後、すぐに消化できるわけではないけど、ずっしりとくるものがあった。
でも、今、こういう時代にこの映画を観ることができてよかったと思う。
今、自分が感じている閉塞感とか、抜け出したいもの、壊したいもの、立ち向かっていきたいもの、たくさんあるけど、そう簡単にはいかない。それでも、希望を抱きたい。壊しても壊れないものがあるのかもしれないけど、何事も自分自身で納得いくまでやってみて見いだせることこそが大切なんだと感じた。
この映画の細かいこととかはよくわからないけど、何か深く感じられる、そしてそれが心に残る、そんな映画だった。
私たちの望むものは...閉塞からの逃避
この映画のラスト、40年近く前にラジオかよく流れていた岡林信康の名曲「私たちの望むもの」がスクリーンから流れてくる。それを懐かしく聞きながら、今を描いているにもかかわらず、70年代の匂いを演出から終始感じていた意味がわかったような気がした。どこか70年代の映画のような演出やキャラクターの造り方なのだが、それが今の青春群像を的確に表現して見せている。そこが、とても興味深い作品なのだ。
この作品は、孤児施設で育って大人になり、ビルの解体工事を生業にしている、言わば現代社会の片隅で生きるケンタとジュンが主人公だ。しかし映画が始まって30分くらい、ケンタ役の松田翔太とジュン役の高良健吾があまりに顔が綺麗すぎて、小さい頃から苦労してきた年輪を感じなくて、なかなか映画に入っていけなかった。
実はこの作品、監督も役者も芸能人二世が中心というエリート揃いだ。だから、そんなエリートたちが社会の片隅に生きる若者を演じる、ということだけで、この作品を毛嫌いするような人がいても仕方ないかもしれない。しかし、その苦労を知らないような顔立ちの役者たちだからこそ、今の若者、今の青春群像を演じられていることを、まだ見ていない人たちに強調しておきたい。最初はしっくりこなかったエリートの役者たちが、社会の片隅や底辺に溶け込んでいくうちに、自分たちだけでは切り開くこともできない、恐ろしい運命へと導かれていく若者の姿を、見事に演じきっている。
今年、上半期で一番の映画は韓国の「息もできない」だが、この作品のシチュエーションも「息もできない」に近い。まともに育てることもできない両親から生まれたケンタとジュンは、愛情も家族の幸せも知らない。そして絡んでくるカヨちゃんも愛に飢えている日々を過ごしている。そんな人生だからこそ、見せかけだけでない、本物の愛や幸せを求めたいと思う。だからこそ、現代の閉塞的な社会から逃避したい、と思う気持ちは、普通に社会の中で暮らしている我々よりも強いのだ。そこを理解しないと、この作品の物語に共感する人は少ないかもしれない。実際、試写が終わったあとの観客の声はあまりいいものではなかった。普通に見れば「クラい、重い、長い」内容なのだから、観たあとの後味もそういいものもではない。しかし、この映画には普段は見落としてしまう、目をそらしてしまう社会とそこに生きる青春が描かれていることを、観る人にはしっかりと認識してほしい。この作品の社会も、私たちが暮らす社会なのだ。
この作品から70年代を感じたのは、ラストの岡林の曲だけではない。この映画を見ていると、昔の「赤ちょうちん」や「妹」、「あらかじめ失われた恋人たちよ」などの70年代の若者の青春群像映画を思い出して仕方なかったからだ。それは演出意図かもしれないが、現代の閉塞感があの時代に似ているからなのかもしれない。そんな危機感も感じさせてくれるこの作品、ぜひ多くの若者たちにみてほしい。
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