マラドーナのレビュー・感想・評価
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マルビナス戦争、つまり、フォークランド紛争があった。 ベオグラード...
マルビナス戦争、つまり、フォークランド紛争があった。
ベオグラードの破壊された内務省を見てマラドーナは聞く『誰の仕業か?』
この映画の演出家は考える。『西欧、NATO、国際社会、アメリカと責任を分散されたくない』と、それで、
『西欧の教育。受けた私にとって非難とは個人の行為に対して行うものである。ソラナNATO事務総長と答えた』とこの映画の演出家は答えた。
すると、マラドーナは『スペインの社会主義者か』と。
さて。ソラナNATO事務総長は社会主義者でもなんでもない。しかし、フランコ政権に反対して、かつて投獄された経験があるなどある。
それは、ともかく、西洋の教育とは個人の責任を追求すると言う言葉にいささかこの演出家の偽善が見えた。それが分かったので良かった。
マラドーナは一期一会のスーパースターに過ぎず、サッカーを個人として見るに至らしめた奇妙なアイドルとして僕自身は見ている。キダイの名選手な訳ではなく、キャッチーなビッグマウスだと思っている。ただし、僕にとっては、サッカーが見るのはつまらない。と気が付かせてくれた偉大な人物。過激な発言が、サッカーの興行にうずく裏の社会を赤裸々にしてくれれた正直者として、評価している。そう、マラドーナをね。
やはり、僕にとって偉大な名選手は個人的にはペレであり、グループとしては、ベッケンバウアーである。
この映画を見てて、昔見た旧国営放送の関西のお笑い芸人を使って突然普通の家へ訪問させる『鶴◯ 家族◯乾杯』を思い出した。僕なら無視するけどね。たとえ、ツ◯ベエでもマラドーナでも。
『ドナルド・ブラッドマン』って言えば、イギリスでは、マラドーナなんかよりもぜんぜん有名。
『ウェイン・グレツキー』って言えば、北米では知らない人はいないだろう。僕はたまたま知っていた。たまたまね。
いずれにしても、集団スポーツゆえ、世界的な名選手などいない。興行では良いか。スポーツを政治に利用しなくても良いと感じた。そんな作品。マラドーナにカリスマ性があって、そのカリスマに取り憑かれた稚拙な演出家とカストロ爺さんだと思う。昔、かの国でアメリカのバスケット選手を自国に招いた独裁者と同じ手法。アメリカのキャピタリズムは痛くも痒くも無い。マラドーナがいなくともいくらでも、エンターティナーはいる。のかなぁ?最近のエンターティナーはつまらない。
反米を唱えれば、反体制では無いと先ずは冷静に思うべし。
マラドーナ賛美
ディエゴマラドーナのドキュメンタリーが公開される準備として鑑賞。
そもそもサッカーの知識も歴史も南米の社会情勢も知ってる大前提で話は進むのだから、神の手すら知らない私にとってなかなかハードルが高い。
しかしながら、人なのか土地なのか不明だったりする言葉の数々を調べながら噛み砕いて行くと、単に監督がマラドーナ大好きってのが主軸にある。
マラドーナの偉大さを見ろ!詰まるところそんな作品だった。
まずは、監督がマラドーナを好きな様子を散々に見せつけられる。
例えば、監督とマラドーナの雑談の様なインタビュー。
身を乗り出し話に乗りたいのをかろうじて抑え、第三者として問いかけをする場面が度々みられるし、マラドーナ教のサポーターの店に招かれ妖艶なポールダンサーのもてなしを受けるシーンでも、マラドーナのプレーを見る方が高揚するなんて熱い語りが入ったりする。
そしてマラドーナの賛美。
マラドーナのプレイ、マラドーナとナポリ、マラドーナとアルゼンチン、マラドーナと反米活動、マラドーナとカストロ、コカインと戦ったマラドーナ、マラドーナと家族愛などなど。
落ちぶれたイメージが伴うコカインネタですら、乗り越えたと良いイメージに表現するベタ惚れ様だ。
公開されたもう一本のドキュメンタリーと比べると偏りまくったこの作品、結構面白いかも。
アメリカは泥棒
今作でマラドーナが南米で反米のアイコンになっていた事を恥ずかしながら初めて知りました。
1976年から1982年迄の軍事独裁政権、1982年のフォークランド紛争、1986年ワールドカップの神の手ゴール。不穏な時代を生きたアルゼンチン国民はずっと英雄を待ち望んでいた。そこに神の子が降臨した。マラドーナは苦しむアルゼンチン国民を救った神なのだと本気で思いました。
神の子マラドーナ、ネオリベの女王サッチャー、南米の新自由政権、反米政権の全てが私の中で繋がりました。何故いつも反米政権が続かないのか。これは日本も韓国も同じなので、とても興味があります。マラドーナを介して国際政治を想像させる手腕は、やはりクストリッツァ監督だからこそだと思います。
☆☆☆★ ※ 鑑賞直後のメモから 前半はマラドーナを【革命家】とし...
☆☆☆★
※ 鑑賞直後のメモから
前半はマラドーナを【革命家】としてみる映像を並べ立てながらの、《アメリカ市場主義批判》になってはいるが。後半は完全に1人の信者として満足し切っているのがどうも(´-`)
ただ単に、マラドーナを《神》と崇めてしまい、側に居られるだけで満足しているクストリッツァ。
お前…会いたかっただけだろ!(ㆀ˘・з・˘)
2009年12月23日 シアターN渋谷/シアター2
サッカーの予備知識がないと観ない方が良い映画
ドキュメンタリーなのだがマラドーナ(題材)の問題か、監督のメッセージが伝わってこない。マラドーナを崇拝している部分と冷静にドキュメントを追い続ける姿勢がごちゃ混ぜになりこの映画を表現していると言えよう。個人的にマラドーナは素晴らしいプレイヤーだと思うし、多分40代のサッカーファンなら必ず、ベスト5に入れるだろう名選手だ。しかし彼の破天荒な言動や行動はそのカリスマ性ゆえに現役時代は光で引退後は闇だ。まるで5人抜きのシュートと神の左手の様に。人生においてもコカインにおぼれ入退院を繰り返す。もう駄目だと何度も世間の人は思っただろう。しかし彼は復活し、メディアに繰り返し現れる。だがこれだけは言える。宗教ともあがめられる彼のゴールは色あせない。あれ以上のゴールは生まれない。最後にこの映画で一番納得したのは、カリスマのサッカー選手を支えたその妻と家族が一番素晴らしく、頭が下がるほどの愛が彼を支えたということだろう。
彼のような英雄はもう現われないと思う
2008年スペイン・フランス合作映画。91分。2010年46本目の作品。言わずと知れたサッカー界の永遠のスター、マラドーナを題材にしたドキュメンタリー映画で、エミール・クストリッツァ監督がメガホンをとっている。
内容は;
1,アルゼンチン代表マラドーナはワールド杯の対イングランド戦であまりにも有名な「神の手」ゴールについて、幾十年もへた現在、クストリッツァ監督が真相を暴くべく、本人を交えたさまざまな検証を試みる。
2, そこで見えてきたマラドーナの素顔や時代背景、イギリスに対するアルゼンチンの歴史的価値観が浮かび上がる。
3,そして、今現在、マラドーナは本当の心情を激白する。
サッカーに対して、それほど知識がなく、ただ昨年のワールド杯でのマラドーナ監督がとても印象に残り、さらに監督があのクストリッツァということもあり観ました。
マラドーナが現役として最高潮にあった時代、政治というものを民衆の力で変えられると信じられれていた時代におけるマラドーナの「神の手」は、反欧米の格好の的であったイングランドが相手ということもあって、民衆のカタルシスとなり、瞬く間に英雄になっていった。この考察がとても面白かったです。
マラドーナ本人はかくしてメディアや民衆の力によって、カストロやゲバラと並ぶほどの革命の象徴として崇められるようになり、そして彼の生活は荒れ果てていく。マラドーナ本人が本当に革命を起こしたかったのかは不明だが、世論に踊らされていく姿がとても痛々しい。
そんな彼の姿を観ても、わたくしはずっと奇妙な感覚を覚えていました。それは、たぶん、政治の力そのものが衰退している昨今、ここまで革命に対して情熱的になれる当時の空気を見ても、どうしてそこまで熱くなれるのかが理解できなかったからだと思います。
マラドーナ自身が果たして本作で描かれている人間像ほど、世の中を変えたいという願望をもってサッカーをしていたのかは疑問。彼はただ純粋にサッカーをしたかったのではとも思う。そして、そう思えば思うほど、本編に登場する本人の姿が痛々しい。
社会派クストリッツァ監督らしい切り口で描かれた、新しいマラドーナ観。サッカーが好きなだけで観たら退屈するかもしれませんが、なかなかのヒューマンドラマでした。
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