スイートリトルライズのレビュー・感想・評価
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リアルすぎて
内容にドラマの様な盛り上がりの展開もなく
ただただリアルな心情と人間臭さを描いた作品だなと
そこが逆に印象に残りました。
愛してるのは伴侶
ただときめきがない物足りない
そして外からきた誘惑に勝てず互いを裏切る
でも心の芯の方はぶれないのよね
最後の「行ってたわただいま。あなたは?」「もうすぐ帰る」
ここ印象的だったなぁ。
肉欲+ただダラダラと過ぎる生活への潤滑油みたいなもんなんだろうね。
やられた方はたまったもんじゃないが
しかし
この映画は不倫してる側から見たら、いいお手本になると思うけどね。
激しく求められたり、必要とされたり、会ってる時間が楽しかったり、愛してるという言葉があっても
それら全部が嘘とは言わないが、
やはりそれは軽薄なもので、燃え上がる程激しくはないけど、夫婦の繋がりはもっと奥深く強固なものなんだということを
ま 人それぞれの恋愛の形 浮気の形 不倫の形あるけれど
普通に見れました。楽しいとかワクワクとかそういった感情なくごく普通に
記憶を共有する夫婦
江國香織による原作は、映画の公開前に読もうと思い購入。実際読み始めたのだが、半分読んだところでその面白さを見いだせずに、そのまま一週間程放置してしまった。
まだ時間が有るからと思っていたのだが、個人的な都合で急遽今日観る事になった理由も有るのだが…。
愛情は有るのに肉体関係は無い。近くに居ながら遠い存在の夫婦関係。
この奇妙な間柄を、中谷美紀と大森南朋が絶妙に演じている。
同じ屋根の下に住みながらも、携帯で連絡を取り合う等、普通に見たら異常な夫婦関係で有りながら、この2人の中では至極当然の様な居心地の良さに包まれている。しかし…。
一見何の変哲も無いお互いの不倫関係がこの後描かれて行く。すると、これまでの居心地の良さが少しずつ変わって来る。
それ自体は一般の人達と殆ど変わらないのだが、この夫婦に関して言えば、お互いの好み…例えば映画の中で描かれている事で言えば。妻は絶えず夫が今何を食べたいのかを(口には出さないが)考えている素振りが見える。互いに秘密を共有し始めると、何故だか食事の意見が(テレパシーを発信した様に)一致をしたりする。
不倫に溺れながらも、2人は共に“罪の意識”に苛まれている。
「体温が欲しかった…」と語る妻。
「怖い」と呟きながらも無邪気に笑う若い娘に対して、何も返事を返せない夫。
だからこそ記念日には極普通の夫婦の様に装ってはみたが、逆にしっくりと行かなくなってしまう。
電車に乗っての帰り道。2人の立ち位置には、永遠に交じ合わないこれまで以上の距離感が存在していた。
だから男の行動と独占欲に対して、夫にも言わない自分の本音と「愛してる」の一言を…。
一方、意を決して若い娘に会うが、結局その肉体に溺れる夫。
何も変わらない。変わろうとはしない。
その流れのまま行こうとする2人。
だが2人ともその罪の意識だけは共に有る。
事件を目撃した妻は、自宅に置いて有る大事な2体のテディベアに繋いで有る○を取り、新たな夫婦の門出に送る。
また、日課の散歩コースに居た犬の○。
夫に頼んで一緒に埋○してあげる。
その時の妻の《行為》を只じ〜っと見つめるだけの夫。彼は妻が好む“愛情表現”を率先して行う様になる。これまでだったら戸惑うだけだったのに…。
この時に犬の持ち主の昔の出来事を珈琲を飲みながら聞く妻。
傍らの写真の横から取り出す砂糖。その入れ物は一見すると…。
思い出すのは記念日の帰り道。遠くなってしまった夫婦の距離感。電車からほんの一瞬目撃した有る物を持つ人…。
何も変わらない2人だが、いつの日かどちらかの罪が明るみになった時…妻は《それ》を犬の持ち主から譲り受ける事だろう。
だって2人は…。
“記憶を共有したのだから”
(2010年3月14日 シネマライズ UP theater )
大人なお話し
浮気なんかしてはダメだと頭で分かっていても、たらたらとした毎日のなかで、あんなに「好きです」攻撃を受けたらちょっとうらやましいなーって思ってしまいました。
まぁ、朝から窓拭きをするよくできた妻に普段からなれませんけど。
興味・・・ないんでしょ?
女性に圧倒的な支持を獲得している作家、江國香織の同名小説を、「ストロベリーショートケイクス」で女性のいやらしさ、可愛さを丁寧に描き出した矢崎仁司監督が映画化。
「興味・・・ないんでしょう?」
矢崎監督は、沈黙で埋め尽くされた世界を繋ぎあわせ、必要最小限の言葉達を厳格に、執拗に選り分けて使い、卑猥な、それでいて極上の幸せに満ちた物語を作り出す。しかし、この物語に向き合う上で常に、観客の頭につきまとう言葉が、冒頭の一節である。一つ一つの台詞が完璧な間と必要性の元に用意されているはずなのに、何故か全ての言葉が空を切っている虚しさに満ちている。
「興味・・・ないんでしょう?」
作り手は、ある一つの答えの元にこの世界を描いているように思える。それは、全ての愛が、恋が、そして物語が、永遠に続くことはありえないという諦めと、安心である。
冒頭、テディ・ベア作家である主人公の女性が、ベアを作るシーンを粘着に追いかける場面がある。キュート、そして無邪気の象徴であるテディ・ベアも、作る段階において見えてくるのは、ワラを鉄の棒で押し込んでいく力強さ、そして黒い、甘い瞳を作るために、鋭い針をベアに突き刺す残虐性。甘い物語は、決して甘いままではいられない。汚いし、臭いし、苦しい。この諦めが、本作をより複雑に、かつ華麗に飾り立てていく。
嘘、強がり、そして欲望。寂しさをそんな独りよがりの衝動で誤魔化しても、虚しい。なぜなら、それは、いずれ終わるから。恋愛という素材をテーマに挙げつつ、その裏で人が人として生き、終わっていく悲しさと、幸せを語りだす。だからこそ、全ての言葉が空を切る感覚があるのかもしれない。どうせ、大仰に物語を語っても、観客の人生に変化はつけられないから。きっと、一瞬の道楽に過ぎないから。作り手は、残酷に利口である。
寂しい。きっと、それは終わるまで癒えない。だから、今だけは幸せを味わいたい。その願いの元に観客に届けられた麻薬のような快楽。今はただ、その夢に溺れていたい。
と、書いていながらも、私は心の奥底で思ってしまう。
「こんなレビュー・・・興味、ないんでしょう?」物語は、人を卑屈にする。
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