「興味・・・ないんでしょ?」スイートリトルライズ ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
興味・・・ないんでしょ?
女性に圧倒的な支持を獲得している作家、江國香織の同名小説を、「ストロベリーショートケイクス」で女性のいやらしさ、可愛さを丁寧に描き出した矢崎仁司監督が映画化。
「興味・・・ないんでしょう?」
矢崎監督は、沈黙で埋め尽くされた世界を繋ぎあわせ、必要最小限の言葉達を厳格に、執拗に選り分けて使い、卑猥な、それでいて極上の幸せに満ちた物語を作り出す。しかし、この物語に向き合う上で常に、観客の頭につきまとう言葉が、冒頭の一節である。一つ一つの台詞が完璧な間と必要性の元に用意されているはずなのに、何故か全ての言葉が空を切っている虚しさに満ちている。
「興味・・・ないんでしょう?」
作り手は、ある一つの答えの元にこの世界を描いているように思える。それは、全ての愛が、恋が、そして物語が、永遠に続くことはありえないという諦めと、安心である。
冒頭、テディ・ベア作家である主人公の女性が、ベアを作るシーンを粘着に追いかける場面がある。キュート、そして無邪気の象徴であるテディ・ベアも、作る段階において見えてくるのは、ワラを鉄の棒で押し込んでいく力強さ、そして黒い、甘い瞳を作るために、鋭い針をベアに突き刺す残虐性。甘い物語は、決して甘いままではいられない。汚いし、臭いし、苦しい。この諦めが、本作をより複雑に、かつ華麗に飾り立てていく。
嘘、強がり、そして欲望。寂しさをそんな独りよがりの衝動で誤魔化しても、虚しい。なぜなら、それは、いずれ終わるから。恋愛という素材をテーマに挙げつつ、その裏で人が人として生き、終わっていく悲しさと、幸せを語りだす。だからこそ、全ての言葉が空を切る感覚があるのかもしれない。どうせ、大仰に物語を語っても、観客の人生に変化はつけられないから。きっと、一瞬の道楽に過ぎないから。作り手は、残酷に利口である。
寂しい。きっと、それは終わるまで癒えない。だから、今だけは幸せを味わいたい。その願いの元に観客に届けられた麻薬のような快楽。今はただ、その夢に溺れていたい。
と、書いていながらも、私は心の奥底で思ってしまう。
「こんなレビュー・・・興味、ないんでしょう?」物語は、人を卑屈にする。