劇場公開日 2010年1月30日

「厳選した感、配役の素性そのもの、実に飾ってない良さだった。」ゴールデンスランバー(2010) jack0001さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5厳選した感、配役の素性そのもの、実に飾ってない良さだった。

2010年2月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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ゴールデン・スランバー;Golden Slumbersは、1969年のビートルズ後期のアルバム「アビイ・ロード」に収録された曲。
ポール・マッカートニーの作で、引き続き「キャリー・ザット・ウェイト」「ジ・エンド」、アンコール・ナンバーの「ハー・マジェスティー」と流れていくメドレー構成のもの。
おそらく回復不能となりつつあったビートルズの結束力を羨むかのような、ポール自身の告白的な部分が占めている曲だ。
昔、家路に帰る道があった・・・などという歌詞の出だしからも、4人が再び集まり愉快なひと時を過ごせることをどこかで望んでいた節が窺える。
だからこその「黄金のまどろみ」という名目なのだろう・・・実際には、実父のジム・マッカートニー宅へ行った際、腹違いの妹に読み聞かせた絵本のタイトルからの引用だったという。

誰しも忘れられない望郷の日々や、当時の仲間たちとの楽しい時間、あるい自分だけの大切な空間があるはず。
それを非現実的な逃亡劇とアクション感覚で表現したのが、2007年に出版された伊坂幸太郎の小説「ゴールデンスランバー」、その待望の映画化である。

国家権力に操られ、平凡な宅配ドライバーの青柳という青年が迷走していくストーリ展開だ。
原作ではいくつもの伏線が張られた四部作になっているらしいが、劇場版では複雑な部分はカットされ、青柳の逃亡ぶりをそのまま活かした構成だという。
仙台(原作者が学生時代を過ごし、そのまま定住している)を舞台にした内容のため、全てのシーンが同市内で撮られている。

とある宅配ドライバーが総理大臣暗殺犯に仕立てられるというのが、普通は信じられない選択だ。
ところが、人には言えないプライバシーや不当なものでさえ無意識に仕込まれてしまうという意味で、意外と宅配業者は盲点なのである。
著名人物から荷物の配達や集荷を承ることもあり、各人の自宅に窺うケースもあり得る。
実は街の情報通なのである・・・ある意味、彼らを敵にしてしまうと、その町に住めなくなることも考えられる。
逆にそんな宅配業者の盲点を突き、権力者が不当な横流しや流入に活用したところで、ほぼ発覚するケースは知られていまい。
だから、原作者の伊坂が主人公を宅配ドライバーという設定にしたのも、盲点を突く意外な存在感であることを何気に示唆している可能性もある。

各配役が見事なほどに当てはまっている。
主人公青柳役の堺雅人など、ほとんど地でやっている感じだ。
人柄そのものも、青柳と大して変わらないほど素朴で分かりやすいのかもしれない。
本当のところはわからないが、時折見せる彼のオフな姿などは、きっと表裏を気にもしない人というイメージだ。
その他、竹内裕子のちゃきちゃきとした溌剌さや、劇団ひとりの朴訥さ(実際の当人は人見知りが激しいシャイな人らしい・・・)など、きっと演技指導も何もないまま当人たちに「お任せ」だったのだろうと、中村義洋監督の手法が窺える感じだった。
更に脇役的なベンガルや江本柄の東京乾電池組の存在感は何とも言えない・・・お互いに顔も知らぬまま妙な連帯感で青柳をフォローしていく。
なぜかコミカルな暗躍ぶり、もっとも謎めいた人達だ。

大きな権力や陰謀に飲み込まれ追い込まれていく中、青柳は不思議な縁で命拾いを繰り返す。
そこでは、アンダーグラウンドな連中が彼の広告塔的(要は指名手配されたという)立場を利用していくのだが、次第に彼の素朴さや純真さに加担していく。

最後に残された武器は、人を信じることだから・・・

という青柳の一貫したポリシーに、関わる人たちのほうが次第に打ち解けていくあたりは、ヒューマンドラマタッチだった。

それに、青柳の父親役である伊東四郎のさりげない演技力は見ものだ。
息子の無実を徹底的に信じていることと、息子をかばう物言いと態度が、スクリーン全体でひと塊りになって向かってくるほどに熱く微笑ましい。
もっとも心に残った。

あり得ない導入部分だから、あり得ない展開と、あり得ない結末へと向かっていく・・・主人公の青柳を含めた関係者たち(一連の騒動に一役かった人たち)の「黄金のまどろみ」とは、むしろ過去の懐かしい想いではなく、この先いかなることがあろうと、何かを信じて止まない思いの中にあるようだ。

jack0001