「炎上するアメリカ社会の姿?家族の存続を願うコリンズはアメリカ社会を写す鏡?」ダーク・シャドウ Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
炎上するアメリカ社会の姿?家族の存続を願うコリンズはアメリカ社会を写す鏡?
ジョニーファンにとってこの作品の前半はズッと彼がスクリーンの中心的存在で出演しているので、相変わらず、大いに楽しめる、彼の魅力満載の1本だと思うけれど、個人的には、「ウ~ん」もう正直食傷気味だってとこも有りましたね!
ジョニーは、確かに個性的で良い俳優さんなので、私は彼が以前は好きでしたけれど、あまり最近は、俳優として、芝居に冒険をしてくれていると感じられないので、今一気が進まないと言うか、気分が乗らず、飽きて来た感じがするのは、私の勝手な気のせいだろうか?
映画フリークである私は、彼にはもっと、ファンをアッと驚かす様な変化の有る役処をドシドシと続けて演じていって欲しいものなのだが、これは彼のファンである私の単なる個人的な我が儘であろうか?
ティム・バートンとのコンビも勿論ゴールデンコンビなので、気心知れた信頼関係の或るこの2人が組めば、興行的にも有る程度の水準をキープ出来るので、ハズレは無しと言うところなのかもしれないが、その事は、1つのマンネリズム化を招き、映画としての面白さとか、映画の迫力や新鮮味と言うところでは返って逆効果になってしまっている気がしてならないのだ。
今回の本作品も、結局のところ衣装や、化粧なども凝っていてそれはそれで良いのだが、200年振りに、この世に再び蘇ったバーバナスのタイムシフトした70年代の、アメリカの音楽や、ファッションや芸能などのポップカルチャーに造詣が深く無いと、何故、このシーンで、このギャグが出て来るのか、そのギャグの意味が中々解り難いのだ。カーペンターズが当時の流行だったと言う事だけでは無い事も含めてね・・・
エリザベス(ミシェルファイファー)が家庭教師としてやって来たヴィクトリア(ベラ・ヒースコート)との会話から、エリザベスが家族を護り抜こうと必死になっている様子が覗えるのだが、その姿はコリンズ家を護る事=其のままヴェトナム戦争で傷つき、破壊された家庭を護り抜いているアメリカ社会を象徴し、その事は、今イラクやアフガニスタン戦争で破壊させられたしまったアメリカの家庭が、家族を護って、家族の回復を願っている事の象徴として、このコリンズ家の存在が有る様に思われるのだ。
そして魔女のアンジェリーク(エヴァ・グリーン)が家庭を1番大切にして護り抜こうとしているバーナバス・コリンズを誘惑し、心からのバーナバスを愛していたと愛を伝えるが、それは決して愛では無と告げるバーナバスは、今のアメリカ社会の姿をそこに重ね合わせているのではないだろうか?そしてアンジェリークの魔力によって破壊されつくしたコリンズ家であっても、絶対に家族がいる限り、どんなに最悪の状況に陥っても必ずや、家族の不和をも乗り越えて、復興して見せるとキャロリンとエリザベスが力を合わせシーン、家族が1つになり、将来の再興の決意を見せるコリンズ一家はそのまま、戦争で、そして経済も破綻したアメリカ社会が必ず、将来的に復興を遂げて見せると言うアメリカ社会を重ね合わせて表現していると思うのだ。200年前の社会から蘇るバーナバス・コリンズとは、アメリカ建国の精神の本当の意味での回復を願って止まない、今のアメリカの姿をそこに重ね合わせている様に思うのだが、それは単なる私の勝手な思い込みだけだろうか?
ストーリーの先が観ていて中々読めずに、その都度小さな驚きと期待を持って最後迄観て行く事が出来る映画だったが、あなたはこの映画をどの様に評価するのでしょか?