プールのレビュー・感想・評価
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アイドル観光映画。 『トイレット』に出ていた女優さんが一言喋った台...
アイドル観光映画。
『トイレット』に出ていた女優さんが一言喋った台詞が『クール』だった。『トイレット』はカナダのバンクーバーとかが舞台で相手は白人だったが、この映画はタイ『チェンマイ』ここでの、その女優さんのセリフは日本語でたくさんある。
なぜだろう。多分、その女優さんは英語が喋らないからだろう。
しかし、絶対にタイでは日本語の会話主体で、絶対にタイ語は喋らない。なんか、ここでも日本人の脱亜入欧が見える。だから、日本人は英語が喋れないような気がする。
子供を捨てタイで一人暮らしすることがやりたい事なのだろうか?散文的でコントの寄せ集めのような話で、日本人のタイ人対する俯瞰した感覚がよく分かる。三島由紀夫先生の『豊饒の海』のような態度は今も変わらない。残念だ。
プール…不思議
タイトルが「プール」なぜだろう。
でも、そのきれいな水の入ったプールがなければ、最後まで観られなかったかもしれない。
単調で意味が分からない。京子が娘てある、さよと母親を置いてタイに来た理由が一番の謎。
只さよには、来た時と帰る時とは明らかに変化が見られた。一週間位、滞在したのかな(?)
その間に、母親である京子が、なぜ今の暮らしを望んだのか、何となくでも理解出来たのかなと思いました。
タイの素朴で、自然豊かな暮らし。
礼儀正しくも素朴で余計な事を考え過ぎないタイの人々。
最後には、私もそんな暮らし方をしてみたいと感じた程です。
画竜点睛を欠いている
自分のやりたいことをやった結果、娘を捨てることになった母親。当然娘はそれについて疑義を呈するが、母親は「あなたを信じていたから」ときっぱり言い放つ。それで娘も得心がいったようだ。
しかしいち視聴者として意見するならば、やはりどうしても娘の心境のほうに同情が傾斜してしまうし、母親の言葉に重みを感じにくい。そしてそれになんだかんだ説き伏せられている娘にも疑問符が浮かぶ。
もちろん、このような再生のしかたがあるのはわかる。互いの心にわだかまる不平不満を一切合切解消することだけが素晴らしい人間関係ではない。ときおり表面に波が立つことはあっても概して穏やかな、言うなればプールのような人間関係のほうがむしろリアリティという点では優れている。
とはいえ娘を捨ててまで異国に旅立った理由が描画されないせいで、母親の言葉のすべてが軽薄な自己弁護の様相を呈してしまっている。
全編を通して説明的な会話シーンが山ほどあるというのに、ここだけは「視聴者の良心的想像力にお任せします」という曖昧主義に逃げるのはどうかと思う。一番重要なシーンなのに。
そうそう、ゆったりとした長回しによって安穏な時空間を生成しているにもかかわらず、それによって生じた時間的遅延を埋め合わせるように性急かつ説明的な会話シーンが逐一挿入されるのも嫌だった。これらの積み重ねによって母親の言葉がエクスキューズの傾向をさらに強めてしまっているともいえる。
邦画の悪いとこだけを純粋培養するとこうなるという良い範型。
タイ
タイの景色、風、果物、プール。
観てるだけで癒されます。
ストーリーですが、私も母親が自分を放置しながら海外で他の子に手作りおやつ作ってたらへこむかも。
あからさまにスネないけど(笑)
小林聡美に母性を感じない。
はるばる来た娘に冷たすぎ。
娘の立場だと報われないなぁ。
この映画 画面は癒しだが 内容はそうではない
画面の穏やかさと 内容の 実は辛辣な部分が、ものすごく相反していて それを汲み取れないならば つまらないという感想になるように思う。
娘は 自分を日本に置いて行った母が タイで孤児を育てている事にまずショックを受ける。
だが それを問いただせるところまで心が回復するのに数日かかり だが母は娘がそういう風にある程度納得してくれるだろう事なんか当たり前の想定内。
私が グレたらどうするの?
ならないわよー。だってなってないでしょ?
うん。
かー!
悲しい!
悲しいけど言われた通りだわー。と娘は思う。
母と娘の
驚くほど突き放された 愛情 いや 理解?
いや 信頼?
母親は自分の母親(娘の祖母)に カッコウのように托卵し 自分は
自分がしたいと思った事は 例え自身が母親であろうが、する!
ってなんだい?
言ってる事は正しいような いや私には出来ないわ。
でも ここまでじゃなくても
「子どものせいで離婚しないとか そういう人生にはしたくない。」そう断言した友人もいたっけ。
「私は お母さんにいて欲しかった。」
やっと二人でゆっくり話せた時に言った娘の言葉に答える母親の 「そっか」
には 少し重みがある。
正解ばかりを描く映画でなくていい。
わかりきった大円団なんて実際は あまりない。
その内容を タイのチェンマイのリゾートをバックにやるわけで。
いやいや 脱帽。
ただ会いにいっただけ、修復はない。
つかみどころのない映画というのか、タイに行ってしまった母親に娘が会いに行き帰国する数日間を描いたようだが、娘はどうして家族を置いてタイに行ってしまったかが母親に対して不満だったが、なんだかのらりくらりとかわされてしまったようで、母と仕事仲間のようなほか3人の年配女性と手伝いの青年とタイの子供とのふれあいでゆったり気分に浸り、また別れるような、起伏のない、母も日本に戻らず、青年と娘の恋にも発展せず、食傷気味ななんだか疑問のようなフリーセックスの入る映画ではなく、性行為がなく、そういう面では良い映画なのだが、家族の修復や新たな家族や男女の結婚への出会いのような力もない。流れている葉っぱのような話だった。乱倫のない良い映画だが、何かの進展はなく、母親のおとなしい形の自由奔放を娘が確かめたような、なんだろう映画になってしまっていた。青年と娘が真面目な結婚してから性行為に至るような雰囲気の家族形成の映画や、母親の夫はどうしたのかというような家族修正の映画でないと面白みはない。
日常を切り取ったよう。 突然タイに渡航した母親がいるゲストハウスに...
日常を切り取ったよう。
突然タイに渡航した母親がいるゲストハウスに卒業旅行でやって来た娘。
そこには余命3カ月と言われた人や、日本の喧騒から飛び出した人、母親がいない現地の子がいて、みんなそれぞれの時間をのんびり過ごしている。みんな多くは語らないが、抱えたものを乗り越えようとしている強さも感じた。
とにかく。
あまり干渉しない空気感がいい!!
自分自身が干渉されるのが好きではないからか・・・。
てか、このゲストハウス、全くお客が来ないのが気になった。もうかってる!?
「めがね」や「かもめ食堂」見てないけど、気になってきた。
靴を脱いで向きを変えたのは、もたいさんだけ
映画「プール」(大森美香監督)から。
独特の間を持つ俳優さんたちが演ずる作品は、
一度ハマってしまうと、なかなか抜け切れない。(笑)
タイ・チェンマイ郊外にあるゲストハウスが舞台であるが、
メモをしながら、出演者の動きを観察していたら、
ストーリーとは関係ない、とても変なことに気付いてしまった。
宿泊者の共有スペースは、草履やサンダルといった履物を
手前で脱いで上がるのだが、もたいさんだけ、特別な動きだった。
履物を脱いだまま、そのままの向きで上がってくる人たちと違い、
もたいさんだけは、脱いで上がり、そのまま腰を下ろして振り返り、
履物の向きをくるっと変えて、揃えて置き直した。
それは演技なのか、いつもの彼女の習慣なのか、私にはわからない。
けれど、そのシーンが私の脳裏に非常に強く残っている。
こんなところにも、昔の日本人の「礼儀作法」が美しかった。
また「犬は近視なのよ」とか「猫はね、意外と遠くまで見えるのよ」
といった雑学的な話も、子どもにとっては大発見に違いない。
どこかのんびりした雰囲気の漂う、私の好きな映画パターンである。
こういう雰囲気の
映画は大切です。
これまで、かもめ食堂、めがね、と見てきましたがプールが一番好きです。
なんでだろうな?と自分も思うのですが、一番「?」となるのがめがねなら、
わかりやすいのはかもめ食堂で、その間がプールな気がします。
そして、タイのゆっくりとした時間の流れがスクリーンを通して伝わってきたところとかもよかったのかもです。
京子さんの潔い生き方、さよちゃんの葛藤、そして周りの人々。
あの雰囲気はコトバに現すのが難しいです。
あと、試写会で、小林さん、もたいさん、加瀬さん、そして監督の大森さんを見れたので余計特別な感じがしてるのかも・・・
(こんなに有名なヒトをいっぺんに見たことないので大興奮しました)
あまりの心地よさにうっとり
すっかり仕事の疲れが抜け、うとうとしてしまうくらい気持ちいい映画でした。チェンマイの田舎の風景と、ゆっくり流れるタイ時間。
この制作チームがタイを撮るとこうなるんだ・・といった楽しみもあり、
「かもめ食堂」「めがね」に続き、今回も何度か見てしまうだろう、と。
そして、微笑みの国タイを代表する少年ビーがたまらなくかわいい。
家族というテーマのせつない部分も、前向きに捉えられて、
見終わった後はなんだかすっきりしている自分がいました。
「人と人はいつも一緒にいることだけがいいことかはわからない。」
さよがやっと京子へ思いを打ち明け大人になっていく姿に、映画では語られなかった親としての京子の気持ちもなんとなく見えた気がしました。
いろんな親子や家族の形があって、どれも同じ形ではないから。
大事なのは離れていても相手を想う気持ちを持っていることですね。
それにしても、京子や菊子のように生きてみたい。
すききらいで物事を決めるのは社会的にNGでも人間的にはOKだと思う。
自由に思ったままに生きることが難しいと感じている内はまだまだかな。
全体的に流れるアコースティックの音色がずっと残っていて、音楽も素敵です。
ハンバートハンバートも然ることながら小林聡美さんの歌声も同じくらいシーンにマッチしていてビックリしました。
目に見えないものを感じて
「かもめ」「めがね」に続く作品ですが、正直このシリーズは好き嫌いの話であって、この特徴をして批判したりごり押しするようなものではないと思います。そして僕はこの作品が好きです。
さよは家族から離れた母親の元へ卒業旅行としていきます。なぜそんなことをしたか聞くためでしょう。しかしそこにはビーという知らない少年がいて聞くタイミングを失います。そうしてそこにいる人達に、その関係が羨ましいといわれたり余命と戦いながらそこで暮らしていたり、ビーには母親がいなかったりでいろいろ考えさせられます。そしてついに母親にぶつけた時… あの時の感じがすごくよかった。ぶつけられた母親はただ受け入れぶつけたさよはなんとなくすっきりしたような嬉しそうな感じでまた鍋を食べる。離れてたけど親子だなって感じがした。別に子を捨てて自由にすることが許されるとかいう訳ではない。なぜ捨てたかは分からない。余命がわずかの菊子の為にタイに行ったとも考えられるし、ただタイが気に入って行ったのかもしれない。この家族においての真相は分からないがそれぞれの感情の動きを感じ取ってもらいたい。大森監督が「難しいことを考えずに観て、目に見えないものを感じてもらいたい」と言っていた。このシリーズの持ち味の美しい自然と料理を背景にすることで雑念なく感じとれると思う。
付け加えると、僕は個人的に映画に出演者が歌を歌ってるのが嫌いです。それは話の流れが突然止められたように感じるからです。だから、二十世紀少年やゲド戦記ではすごいやな感じがしました。その点この作品で歌のシーンは二ヶ所あったけど違和感なく入れたし感動すら覚えたためより印象深い作品となりました。
癒されたい人はどうぞ
「かもめ食堂」「めがね」の路線を踏襲した作品、というのはまちがいないです。観に行く人たちも、ある程度それを期待していくしね。
私自身は、「かもめ食堂」を観た時は、「なーんにも起こらない」という
ありそうで絶対になかったストーリーの斬新さに驚き、
「めがね」では、正直ちょっと退屈したのですが・・・
今回もまた、タイ・チェンマイのゲストハウスで働く主人公と
そこを訪れる客(といっても、実の娘)のほんの数日のお話です。
今回もまたまた、客がぜんぜんいなくて、
「ここ、経営大丈夫なの?」と思わず心配してしまいますが、
かもめ→ めがね と観てきた人たちは
「それは突っ込まないお約束」というのを理解しているはずなので
このブブンは放置、ということで・・・・・
見かけはかもめ路線でも、今回は「親子の距離感」というような
普遍的なテーマを扱っているのだけれど、
それがどうしたって共感を得られない設定なので
残念ながらアウト!です。
一人娘をほったらかしにしてまで
母がタイにやってきて「やりたいこと」がなんだったか
全く見えないし、
娘はさびしくて母を恨んだというのだけど、
初めての海外旅行に母の居る場所を選んで、日本を発ってきた
という時点で、
もうすでに娘は大きな一つのハードルを越えているようにも思います。
巨大な涅槃仏、風の音と鳥のさえずり、野良牛の鳴き声、
日本語をちょこっとしゃべれる礼儀正しいタイ人の男の子、
市場に山盛りの新鮮な食材、
テーブルにならぶ美味しそうなタイ料理、日本料理、
携帯のつながらない解放感、
願いを乗せて高く高く舞い上がるコムファイ・・・
癒しアイテムは満載で、
前作以上に癒されることは間違いないので、
好きな人は観に行くのがよろしい・・・
レディスデイに女三人くらいで観に行って、
誰かに
「いい映画だったわねぇ~」とか先にいわれちゃうと、
なかなか否定するのが難しいタイプの映画ですよね。
つまんない人には、苦しいほどつまんない映画だと思います。
だから、オススメもしなければ、否定もしません。
(してるかな?)
話変わって・・・
「菊子さん年代になってのこういう暮らし」というか、
一連のドラマにでてくる「もたいまさこ」の立ち位置は、
60代くらいの女性にとっては理想じゃないかな?
と思いました。
私にはまだちょっと早いですが、
生まれ育った場所にこだわらず、自分の気に入った土地で、
ゆったりした可愛い服を着て、拾った猫たちの世話をしながら、
現地の人たちとは日本語しか喋らない、でもちゃんと通じてしまう
そんなんだから、余命半年といわれても、うっかり長生きしてしまいそう・・・
ビジュアルはもたいまさこである必要はないですが、
彼女のキャラは、10年後の私の「なりたいキャラ」ではないかと思います。
ふたりの親子関係には最後までリアリティ感じられませんでしたが、
三人でうたう「君のすきな花~♪」の歌とギターはよかったな。
ちょっとベタだけど、幼いころ母が歌って覚えた曲で、
異国の地でめぐりあった男の子とも心を通わすことができたのですから。
エンドロールをみたら、小林聡美作詞作曲、とありました。
この映画、結局、小林聡美に救われましたね。
評価軸の距離
男語る:
『デトロイト・メタル・シティ(無茶苦茶面白かった)
の脚本家が、本作の脚本と監督だけど
ストーリーが無くて退屈でチェンマイの映像も
それほど綺麗というわけでもなく
プールや熱風船や動物の映像も特筆すべきものはないし
いつもの役者さんを見る以外の見所はないよね。
結局、母と娘の考え方の違いも、解決には至らなかったし
預かっている子供の母親も探し出せなかったよね。』
女語る:
『ストーリーが無いことが、良いの!
結論めいたことを言われると、うっとうしいし、押し付けがましい
結論が無いことで、ありのままでいれることに癒しがあるの!!
男は、風景や動物に癒しがあると考えるかもしれないが
そうではないわ。
セリフが多い訳ではなく、物語も進まないけれど
独特の間や役者さんの醸し出す雰囲気や行動に共感を覚える部分多数
言葉ではうまく表現できないけれど掛け値無しに良いのよ。
それから、あえて笑いのネタをさけて
全体の雰囲気を壊さなかったことも、よかったし
ストーリーが無いほうが、飽きずにDVDも
何回も観れてお得だしね。』
男納得:
『かもめ食堂』もストーリーが無いのに
どこがいいのかと思っていたけど
評価の軸がこんなところにあったとは驚いた。
もしこんな母だったら。
「かもめ食堂」は音楽も含め^^;いい作品だった。
続く「めがね」は不可思議でx私にはイマイチ…。
今作はどうだろうかねぇ…?と、
たいした期待は持たずに観に行ってみた。
漫画家・桜沢エリカが映画化を前提に書いた原作、
ここに描かれる母娘関係は、彼女の体験だそうだ。
これを観て私はなぜか松田聖子母娘が浮かんだ^^;
あそこの家もこんな感じだよなぁ…と。
そして、昔TVインタビューで沙也加が聖子のことを
こんな風に言っていたのだ。
「母はどうして、ああいう人なんだろうと、
なぜ他のお母さんたちとは違うんだろうと、
いつも思っていました。でも今になって母のことが
少し理解できたような気がします。」と、まるで
今作で娘・さよの台詞のようなことを言ったのだ。
自身の夢や理想を追いかけては、すぐ実行に移す、
置いて行かれた娘からすれば、それが当り前だと
開き直る母親・京子の生き方が理解不能なのは当然。
いろいろな親子関係があり、様々な生き方があるが、
子供がまずいちばんに親に期待するのは、自分が
親にとって「絶対価値」の存在であることだと思う。
いやおそらく、この京子にしても娘が大切なのは
当然のことなのだが(ストールを作り持たせる所など)
なんというか…^^; まず、自分。のヒトなんだな。
つまりその「絶対価値」を自分に当ててしまうのだ。
これを当然と演じた小林聡美も巧いといえば巧い。
今作から監督が変わった。
もたいまさこ以外は(爆)さほど不可思議感もなく、
ごくごく普通に話は展開していく。
なんでタイ?なんでプール?…観終えてみても、
今作ではあんまり関係がなかったようである。
今までのように、料理シーンもあるにはあるが、
うわ♪美味しそう~♪というほどのものはない^^;
力を抜いて、それぞれの気持ちを噛みしめながら、
観てみる作品なのかなぁーと思う。
新人・伽奈は普段のぎこちなさ^^;と比べてみると、
映像にのった方がかなり堂々としていて良かった。
加瀬亮も相変らず雰囲気をつかむのが巧い。
(チラシの裏にさよの手紙がある。いい子だなぁ…)
やっぱり猫が好きらしいです
ん~
どうもむずかしいです。
ちょっと厳しいですが・・・
キャストは、かもめ食堂的なんですが・・・
なんとも、抑揚がないシーンばかりで・・・
ある程度予想(そんな映画を期待)していましたが予想以上でした・・・
カット割りもわざとらしく平坦にしようとしているようで・・・
あの「デトロイト・メタル・シティ」の脚本家と同じとは思えません・・・
ワウフラッター全開の挿入曲もおじさんにはだめでした・・・
ちょっとがっかり・・・・・
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