空気人形のレビュー・感想・評価
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人間を作った神様でもわからないと思うよ
映画「空気人形」(是枝裕和監督)から。
「私は空気人形、性欲処理の代用品」・・
このフレーズが何度も流れたが、そんなに違和感はなかった。
その人形が、人間と同じ「心」を持つことにより、
嘘をついたり、いろいろな感情を体験する。
その中で印象に残っているのは「切ない」という気持ち。
ある人を好きになり、その人のことを想うと、切なくなった。
それを「心を持つことは、切ないことでした」と表現したが、
人間には、好むと好まざるに関わらず、生まれつき「心」がある。
(勿論、他の動物にも心はあると思うが・・)
その心が、満たされているのか、空っぽなのか、を考えるのもいいが、
彼女を作った役を演じる、オダギリジョーは、作品の中でこう呟いた。
「なぜ、心を持ったか、なんて、
人間を作った神様でもわからないと思うよ」と。
言い換えれば、それを受け入れるしかないんじゃないか・・と
心を持った「空気人形」を諭しているようだった。
心があるから、辛いけれど、心があるから、幸せな気分にもなる。
人間として生まれたのだから、自分の考え方次第でどうにでもなる。
これからも、その「心」と仲良く付き合っていきたいと思う。
監督のメッセージが伝わらないわけじゃないけど
映像は洗練され、役者も良い(特に板尾氏)。ラストも納得。
けれど、今ひとつノれなかった。空気人形の過剰なピュアに、食傷気味。なまじペドゥナが巧いだけになおさらだった。
意志を持った人形が、性の道具としてでなく、人から必要とされたいと痛烈に願う。
じゃ、その男ウケ狙いむきだしを、まずやめては。コスプレやヒラヒラのミニスカ、内股のちょこちょこ歩き、スキップ、たどたどしく「あなたになら何されてもいい」完全に漫画の妄想系ロリータキャラである。
美少女のダークファンタジーといえば、アカデミー賞受賞作『パンズラビリンス』あの主人公も、それは可愛かった。可憐な姿や幼い言動は、確かに無垢を際立たせるだろう。
ただ、映像に合わせるあまり、心理が矛盾してはいけない。美少女は、人任せの受け身な生き方をやめたのだ。ミニドレスより、例えばジーパンを一回でも着れば、その哀しみがよりリアルだったと思う。
『パンズ〜』で、ドレスを泥んこにして闘うオフェリアに比べ、砂場でも野宿でも汚れない空気人形の隙の無さ…
周囲の人間も、服と同じ役割をする。通りすがりの過食症の女、お局OL、ヲタク、父子家庭などが人形と何度も対比され「ねえねえ、このコ純粋でしょ?」「ピュアでしょ?」「健気でしょ?」確認の声が聞こえてきそう。
見かけだけキレイに整え、無垢をアピるほどに野暮ったく見えてしょーがない。身もふたもなくてすみませんが。
ドキドキ
映像と音楽が綺麗
板尾さんの演技が気持ち悪い(褒め言葉?)
空気人形のペドゥナちゃんがひたすらかわいい
人形である彼女が可愛くて、綺麗で、純粋故に
人間の汚さが浮かび上がる
エロい!ドキドキしました。
気まずくならない人と見るべし。
切ないまま終わると思ったら大間違い。。。
結末にびっくり。綺麗で切ないだけの物語を期待してたら裏切られます。
あの最後は個人的には好きじゃないけど、それ以外は満足です。
共感
人を好きになったことのある女性なら
誰でも少なからず考えたことがあるでしょう。
私の何処が好き?
なぜ私なの?
私じゃなきゃダメなの?
私じゃなくてもいいでしょう?
私は。。。あります。
誰かの、何かの、代用品ではなく
自分は何かの役に立っているのだろうか?
代用品でもいいから傍に居たい。
それでもなお不安になる存在価値。
切ないほど共感できました。
空気を抜かれたよう・・・
美しい。
金木犀の香りが漂う季節に、大雨あがりのある日の午後 見ました。
風雨後の寂しい心境と相まってこの映画。。。映画館を出た時には、もうどうしようもなくて。。。
忘れられない。
空気欲。
ラブドールの恋話といえば「ラースと、その彼女」が浮かぶ。
あの人形は動かなかったが、周りの人間達の心を動かした。
今回は人形に心が宿って、歩いて動き回り、恋も経験する。
似て非なる話にはなるが…何かの代用品として購入されて、
やがていつか捨てられる(忘れ去られる)存在に変わりはない。
現代人の空虚で孤独な世界を垣間見せ、それでも何処かに
拠り所を求めずにはいられない「欲」の世界を巧く描いている。
ぺ・ドゥナはいきなりの全裸からして^^;よく頑張ったと思う。
あまりこういうシリアスな雰囲気を感じていなかったのだが、
彼女の素っ頓狂な表情がかえって新鮮で可笑しさを醸し出し、
愛らしい人形に仕上がっている。誰かの心を埋めるための
代用品である自分が、誰かを愛し傷つき、同じ思いを味わう。
心を持ったことが幸か不幸か、自分のアイデンティティーを
探りながら(ここも面白い)どんな最期を迎えるのか、早々に
予感させてしまう演出が怖い。が同時に幸福でもあるという、
本当に難しい演技解釈がよくできたなぁと感心した。
感情を持つ人間同士が付き合うのには確かに骨が折れる。
人形の持ち主である板尾創路(なぜ彼?^^;)が恋人と別れて
以降、人形としか愛を交わさないという生活をしているのも
「面倒くさいからイヤだ」という定義付けをしている。
なんでも言うことを聞いてくれて、逆らわず、自分の欲だけを
満たしてくれる存在があったら、疲れた人間はそこへ流れる。
ただでさえやってられない毎日なのに、これで口答えされちゃ
堪ったもんじゃないということね^^;どこの家庭でもありそうだ…
後半で「ビックリ」する展開が待ち受けているが。。
直前の場面でオダジョーが言った台詞の意味が活きてくる。
彼女にしてみれば愛ある行為。であるがゆえ、さらに切ない…
もともと心がなければ、誰も傷つかないし傷つけもしない。
そうやって生きている人間こそ空気人形なのかもしれない。
(私は食べ物を入れないとダメです。料理で満たしてください♪)
2009年No.1のエロティックなシーンを見逃すな
是枝監督が、デビュー作の「幻の人形」以来の原作ものに挑んだ本作は、その存在感とビジュアルが極めて映画的なミューズ、ペ・ドゥナの文字通り体を張った熱演もあって、2009年No.1のエロティックなシーンを実現している。
中でもとある事故から空気が抜け出してしまった主人公の空気人形に対して、彼女が思いを寄せるアルバイト先の先輩が空気を吹き込むシーンは、そんじょそこらのベッドシーンでは到底叶わないエロチシズムが満ちていて必見。是枝監督が新たなステージに踏み出した一作だと思う。
吐息 心 風
「ワンダフルライフ」は「死」の方から「生」を振り返った作品だったが、
「空気人形」は「誕生」から「死」までの映画だった。
空気人形の腹部の空気穴は、へその緒そのものだ。
あと2週間ほどで15歳になる娘に、あらすじを話したら「重い映画だね。
だけど見たい!」とのこと。残念ながら娘が15歳になる日にはわが町での
上映は終わっているし、この重いけれど軽やかな寓話を彼女がきちんと
受けとめられるかどうか不安でもある。
こんなに寂しくて、キレイで、悲しくて、暖かい映画は見た事がない。
のぞみが最後に見た自分の誕生日パーティーの幸せな夢は、ワンダフルライフの上映会(命=心が消えていく旅立ちの時のための)にも通じる。
のぞみは産まれて、心を持って、生きた。
「空っぽだ」と言う純一に命を吹き込もうとのぞみが彼の腹部に穴を開けた場面、私は純一が彼女との交歓の中で自殺したと錯覚してしまった。
他にも見落とした事が沢山あるような気がして、是枝監督がこの映画のアチコチにちりばめたメッセージをしっかりと受け止めるためにも、もう一度映画館でじっくり味わいたくなった。
最後に、のぞみの吐息でたんぽぽが風と共に、彼女の周りの寂しい人達に届く。さわやかで深い余韻が残る。
艶めかしく神々しい
自ブログより抜粋で。
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華やかな都会のイメージからはほど遠い、どこか時の流れから取り残されたような東京の下町をたゆたうように切り取った美しい映像と、ペ・ドゥナの圧倒的な魅力が目に焼き付くラブ・ファンタジー映画の傑作。
「ラブ・ファンタジー」と言ってしまうと、かわいらしいペ・ドゥナのメイド服姿からも、ほんわかとした楽しいメルヘン映画を想像してしまうだろうが、内容的にはもっとずっと辛辣。
また、映倫の「R15+」指定が物語るように、生々しい性描写も少なくない。
寂しくも哀しい、現代を生きる人々に巣くう孤独と喪失感に胸を締め付けられる、まさに大人のための“毒”のある寓話だ。
しかしそれでも、この映画にはどこか心安らぐ優しい空気が漂い、満たされることのないこの世界にも「キレイ」はあると実感させる不思議な力がみなぎっている。
それは有形無形問わず、人々が関わり合いながら生活する、普遍的な人の営みを肯定的に捉えようとする、あたたかい視線がそう感じさせるのだろう。
すべてをさらけ出した熱演で心を持ってしまった空気人形役に挑んだペ・ドゥナがとにかく素晴らしい。
ビニール製の空っぽの身体、そこに宿った赤ん坊のように純粋無垢な心。
彼女の一挙手一投足は人形そのものなのに、ほかのどの登場人物よりも表情豊か。
一見孤独感に埋め尽くされたかのようなこの世界が、そのガラスのような大きな瞳には、いかに「キレイ」に見えているかを体現していて感動的だ。
幼子のように興味津々で街を歩くぎこちない仕草に始まって、恋にときめく笑顔、初めての恥じらい、愛する人とともにいる喜び、悲哀、迷い、とまどい、切なさ、と、めまぐるしく変わるその表情は、まるで幼女から少女、少女から大人の女性へと成長する人生の縮図を見ているかのようでもある。
ことに、ひょんな事故で空気の抜けた身体に好きな相手から息を吹き込まれたときの彼女の恍惚とした表情が絶品で、かくも艶めかしく神々しい。
それは言うまでもなくメタファーとしてのセックスなんだが、恥じらいの中に浮かび上がるエロティシズムと同時に、愛される女性の悦びをこれほどまでに大胆且つ美しく見せた女優をほかに知らない。
気合いの入った演出も相まって、不完全な本当の姿を見られたとまどい、スカートを捲し上げられる恥じらい、瀕死の状態から救われる安堵、愛する相手から満たされる悦び、それらの感情が渾然一体となってほとばしるこのシーンは、映画史上屈指の甘美な名シーンとして語り継がれるだろう。
人と人のつながりって?
ひとと人のの希薄なつながり。TOKYOという名の都会では、過食症の女の子が吐きながらもものを食べずにはおれれず、自分の欲望と理性の間で闘っている。満たされない職場での虐げを甘んじて受けながらも、仕事を続けていく男。誰の手助けを得ればいいのかわからない空間で、”孤独”を生きている。それは認められたいというプライドと認められないという現実の絞め木に挟まれて悲鳴を上げる精神を、かろうじて飼い慣らして平衡を保っているような、いわば精神のマン・オン・ワイヤー。
そんなココロの慰めに、ひとと人との関わりを拒絶したオトコが買った”のぞみ”というダッチワイフとの暮らし。空気人形だから、自分のいう愚痴を何も批判しないで聞いてくれる。自分の欲望や優しさを、無条件で受け入れてくれる。そんな空気人形がココロを持ってしまった。
ココロを持ってしまった人形はウソもつく、恋もする。そのなかで自分のことも知る。性欲処理の代用品。初めての恋の相手、純一も自分を前の恋人の代用品としてしか見ていないのではないかという疑念と、こみ上げる切なさ。
そういう人々の生を、吉野弘「生命は」という詩が救う。
生命は
吉野弘
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されでいるのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
星は自分自身ではどの星座に属しているか見えない。でも、見えないけれどある。
作品では、生まれてきた意味を肯定する。のぞみが人形師のところに行って返品され燃えないゴミとして処理を待つ人形たちにもココロがあるのじゃないかな、と呟く。そして、「産んでくれてありがとう」といってまたもとの町に帰っていく。代理品ではない自分の生き方を求めて。しかし、純一はその目の前で自殺をはかり、のぞみはそれを、純一が自分を救ってくれた同じ方法では救えないことに、ココロを持つがゆえに絶望する。
そして、自らゴミ捨て場へ・・・・。そこで自分の誕生日を祝うサプライズが行われる夢をみる。生まれてきてよかったのだという確認。
この映画は希望の映画だと思う。吉野弘の詩にあるように、生命は自らの中に欠如を抱き、他者にそれを満たしてもらうもの。ダッチワイフの持ち主がそうであったように。そして、のぞみが純一の心にとって風であったように。
しかし同時に絶望の映画でもないだろか。
この映画を見終わるとまず、他者のなかに空気人形を捜す。しかし、その行為はすぐに自分への疑念を向ける。
もしかしたら、このワタシはココロヲモッタニンギョウデハナイノカ?
良かった。
ほんとに良かった!
今年見た映画の中で今のところ1番!
とにかくペ・ドゥナの空気人形が可愛らしかった!
切なくて、悲しくて、不思議な恋愛映画。恋愛映画をあまり好まない私には最後がまた心地良かった。
見終わった後も当分は余韻に浸ってた。
是枝作品で1番好きかも。
悲しい内容なのに、映像は透明感あふれて・・・
う~ん、なんて言ったらいいんだろう・・・
内面が満たされている人間なんて、この世にいるんだろうか。
みんな空っぽな部分をどこか抱えているんですよねぇ・・・
みんな、誰かの代わりじゃなく “オンリー・ワン” になれることを望んでいて・・・
「誰も知らない」でも思ったのですが、悲しくて悲しくて涙が出てきても、やっぱりこの監督の映像は、光を透した美しさにあふれていて、せつないです。
光のせいで、重々しくはならないけど、せつないです。
ペ・ドゥナ演じる〈のぞみ〉がガラスに惹かれるシーンが、あどけなく、かわいらしく、またせつない・・・せっかく、せっかく心を持ったのにね。
薄いシフォンのワンピースが光の演出効果をあげていました。
最後に。ショックだった場面の羅列をーーーーーー
*冒頭の板尾のベッドの演技。
*人形の構造を知らなかったので女性から観るとちょっと引いた。
*「時効警察」でいい味だしてた、ほのぼのおじさん岩松了。
また似たような役やってんなぁと安心して観ていたら、途中でちょっと嫌いになるようなシーンがあった。いちいち、役で反応するのは間違っていると思うけど、ああいうのは生理的に受け付けない。
観終って、ちょっとボーっとしてしまいました。
ちょっと、考えてしまう映画ですね。
世界と繋がる喜びと悲しみ。 個人的に本年度No.1作品。
心を持った人形は、空気だけで満たされた自身の体を忌み嫌って言った。
「私、空っぽなの」
それを聞いた孤独な老人はこう答えた。
「奇遇だねぇ、私も空っぽなんだ」
心を持った人形を通して見えてくるのは、泣き出したいほどの虚無感に苛まれる僕ら自身の姿だ。
沢山の人々が同じ不安を抱いて生きている。自分みたいな奴を必要としてくれる人間が、果たしてこの世にいるのか。自分は所詮、誰かの代用品に過ぎないんじゃないのか。
世界に必要とされたい。誰かにとって特別でありたい。誰かを満たし、満たされたい。この映画の登場人物は皆そんな思いを抱えているが、世界=他者と繋がる方法が分からない。もはや繋がる事を諦め、孤独に甘んじる者ばかりだ。
人形を演じるペ・ドゥナは人と繋がる喜びと悲しみを全身で体現。“女優根性”なんぞという言葉を軽く飛び越えた、魂のこもった演技で魅せる。その周辺の人々を演じるキャストも皆、恐ろしいほどハマっている。朝方の澄んだ空気のような、透明感のある美しい映像や優しい音楽も素晴らしい。
飛び上がりたくなるほどの歓喜と、心の奥底を抉られるような深い悲しみとが同居した傑作。個人的には、現時点での本年度No.1作品。
あとからいろいろ考える
原作を中学生の時、父親が買ったビックコミックだかビックコミックオリジナルだかで偶然読んで、よくわからないまま涙した
大人になって、単行本を買って、内容をきちんと理解して、涙した
ある意味思い入れのある作品
楽しみにしていた映画は、思い入れが強かっただけに、評価し難いところだけど、これはこれでとてもよかったと思う
群像劇のようなロードムービーのような感じもありつつ、なんとも不思議な空気感は、空虚感のような虚しさを含んだ
人と接することがめんどくさく感じ、人形へ愛情を注ぐ現代人のリアルも、その気持ちが理解できてしまうことが悲しい
涙こそ出なかったけれど、しばらくいろいろなことを考えた
色んなことを考えさせる
最初はべ・ドゥナが出ると聞いて期待してました。
しかしラブストリだと聞いたのですが、
怖い話しではないかと思いました。
色んな人達が登場してその方達の生活を見せてくれる
場面は何を意味するのが最初は全然分かりませんでした。
でも後で考えてみると人って皆悩みを一つは持っているけど
頑張って生きてるんだと思いました。
人形は人の生活、言葉などは知りません。
マネするのですが、それは本当の人間と言えるのでしょうか?
そして私達がどんな人生を過ごせば良いか考えさせる映画でした。
劇中詞も重要なメッセージ
幼い娘と暮らす販売員、老いを受け入れられない受付嬢、
オタクの浪人生、過食症のOL、死を待つ老人、陽気な店長…。
そして、空気人形と暮らすファミレス店員、
空気人形に出会ったレンタルビデオ店員。
そこに空虚感を秘めた「東京」が浮かび上がる。
闇と輝きが混在する縮図の中で、心を持った空気人形。
人と人のつながりとはいったい何なのか。
人間とは?生きるということは?生命とは?
純真がゆえに嬉しくて、純真がゆえに哀しい物語。
ラブストーリーかな?
R指定になるのは納得。
恋をしたために、心を持った空気人形と人間の純粋なラブストーリーって言うキャッチのわりには、空気人形としての描写がリアル。
だからこそ、孤独感が伝わるのかもしれないけど、ラブストーリーじゃなくなってるかな。心が痛い作品です。
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