空気人形のレビュー・感想・評価
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おかしいよ。ひどい映画です。どうして評価されてるの?
おかしいよ。
ふつう、愛を注いでくれた主人を好きになるべき。
なのに顔がかっこいいから、通りがかったイケメンを好きになるの?
主人は不細工だから気持ち悪がっているの?
なんてひどい。
人形だから純粋で、何もわかってないからイケメンをころしてしまって自分も捨てられて可哀想ダナー
と思わせようとしてるんだけど、
そもそもの設定がおかしいよ。意味不明すぎる。
イケメンが好き、って感覚はあるのかよ
こんなに中身のない脚本の映画がよく評価されているな。
好き
空気で膨らますお人形が動き出してレンタルビデオ屋さんでバイトするっちゅうファンタジー
公開当時すごく評判良かって見てみたいと思ってたの勇気出して!
お人形のぺ・ドゥナがすっごくきれいでかわいくてキュンキュンする
冒頭、板尾さんがダッチワイフ(言っちゃうけど)と暮らす様子が
とても清貧でつましく、なのにお部屋の小物がかわいいものいっぱい(笑)
潔癖性なので人間じゃなくお人形相手なのかな?つー好感度(笑)
井浦新改めARATAくんはビデオ屋の店員でお人形と恋に落ちるんだけど
もう、若松監督のときのARATAくん(三島由紀夫役や軍人役)とは
これまた別人でステキなんだ♪
これは芸術!と言いたいクオリティの高い映像がファンタジーを高めるね
是非女性におすすめ!
人形が
心を持って人を好きになる。
くらいの物語かな、と、たかをくくっていましたが、終盤になっていきなり展開が変わるので、ぞっとしました。
中身が空っぽなのはあなただけじゃないと言うおじいちゃんの言葉が印象的でした。空気人形っていうのはただの設定で、その先に現代人を表している内容だと思いました。だれとでも簡単に行為をしてしまうのも今を表しているのかな〜と思ったり。
最後見ていてなんとも言えない気持ちに、、、。
う〜ん、よくわからない映画でした。
人形役のドゥナさん素敵でした。
それにしても板尾創路は変態役多いな。
とにかくペ・ドゥナが素敵だった
ぎこちない話し方だから似合ってたし、雰囲気も透き通った感じが素敵だし、なによりほんと綺麗な顔立ちと抜群のスタイル…。
わたしも女ですが、憧れるってよりは、ほんと愛でたい感じ(笑)
ストーリーとしては、最初はなんだか生々しい感じがしましたが、心を持って色々な物に興味を持って、知っていく過程が綺麗だった。
言葉がなく音楽だけのシーンが多いように感じて、最初は眠気を誘っていたが、それもあとあと味に、素敵な演出になった。
ただ、ジュンイチに切れ目入れちゃうシーン…嫌いではないんだけど、「軽くホラーじゃない!?」と思ってしまったのが正直な感想。
あれはあれで嫌いじゃないですけど、ハッピーエンドも観てみたかったかな、ってことで★5つには届かずです!
"みんなに愛が届きますように"
これは完全なる寓話です。何故そうなってしまったのか?その一切の理由は解らない。
「心を持ってしまいました」
この一言に取り敢えずは納得しながら、作品を観て行く事となる。
心を持った人形は、様々な人達と触れ合ったり、通り過ぎて行く人達を観察しては、少しずつ人形から人間へと進化し、やがて彼女は恋をする。
舞台は東京の佃島周辺。
映画に登場する人達は、それぞれ都会の片隅で孤独を感じながら生活を営んでいる。主人公のご主人様にあたる板尾創路を筆頭にして、全員が“愛”に飢え、欲している。
唯一、まだ恋愛感情を持たない幼い少女は、母親の愛を欲しがっているし、どうやら呆けているらしい富司純子は話相手を…と言った具合に。
そして日々人間らしくなって行く彼女は、交番のタンポポに興味を示したり、女性としてビニール製の跡を消して貰いお化粧をする喜び等を知る。
そんな彼女は、自分が“空虚な”存在で或る事に対して次第に引け目を感じて来る。
街中で出会った孤独な老人役の高橋昌也との会話の中で、自分だけでは無いとの勘違いが、後々の悲劇的な結末へと繋がってしまう。
映画はその気持ちを代弁するかの様に、壊れやすく“空間”が目に見える硝子の瓶を彼女に持たせ、空の明るい光の満ちた空間へ掲げさせる。
「心を持つのは苦しい事でした」
恋心を抱いた彼女だが、少しずつ“性処理の女”としての疑問を持ち始めた時に“或る出来事”により、好きな人の息吹きに体内が満たされる喜びを知り決断する。
「何故私なの?」
男の性処理の対象でしかない嘆きを問い掛ける場面こそ、男女間での恋愛の中では、常に受け身に成らざるを得ない女性の、疑問点を示していると言える。
映画は主に脚本が第一に優先される。先ずはストーリーが面白い事が前提になる。
しかし、この作品では主役の《空気人形》にペ・ドゥナを配したセンスが一番大きな決め手になっている。これに応えた彼女も立派です。但しあくまでも寓話と理解しながら見て行かないとならないのも事実。
そうでなければ、お手頃価格すぎる5980円とゆう設定等や、いくら何でも陥没してる※首なんだから…。気が付くだろう(笑)等と、突っ込み通しの餌食となってしまう。
残念だったのは、1つの寓話を最後まで寓話として押し通せなかったところ。
高橋昌也との会話の中での勘違いから、好きになった男ARATAも実は彼女と同様実は…と。
もしもここでその“寓話”が成立していたのならば。
その辺りは残念なのだが、当然そういった設定は、監督自身の頭の中に描かれていたのだろうとは推測される。
しかし、その様な説明は映画の中ではなされない。寧ろ不要と判断されたのかも知れない。
高橋昌也との会話で大きな勘違いをした彼女ではあったが、同時にまた自然界の摂理に関する小さな勘違いもしていた。
雄しべと雌しべは直接触れての受粉はしない。他の力を借りる事になる。
今、悲しみと孤独な人達に、彼女の“空気”によって一陣の風が吹き抜け、交番にひっそりと咲いていたタンポポの綿帽子は、彼女の願いでも有る男女間での愛の種として蒔かれる。
《みんなに“愛“が届きますように》
(2009年10月15日新宿バルト9/スクリーン4)
目が離せない
観ている途中で気持ち悪くなって何度か一時停止ボタンを押した。
話の展開はとても秀逸。内容が刺激強くてもう2度と見ることはないけれど、見る人を飽きさせない、目が離せない、とてもいい映画だと思う。
あとね、映像がきれいだ。
是枝監督だったのかビックリ
心が芽生えた人形に突きつけられる現実。それが観客に刺さる。
これだけ違和感のある設定に自然と感情移入させるのはやっぱ日本の監督にしか出来ない芸当じゃないだろうか。
世界観が圧倒的
何もかも無理があるのに、まるで何も無理などないかのように優雅に進んでいくストーリーと、降りかかる全ての違和感を滑らかに受け入れていく登場人物たち。
部屋の物の配置が変わり、人形の服が増え、顔には化粧が施され、髪型が変わり(シャンプーひとつにあれほどこだわっていたのに!)、外出が夜にまで及び、寝ている間に勝手にシャワーが使われているにもかかわらず、一向に気づかない持ち主。
言葉が話せない、海で空き瓶を集める千鳥足の若い女を相手に、怪訝な顔をすることもなく「死」や「誕生日」という言葉の意味を解説し、自分の目の前で破けて空気が抜けていく女が実は人間ではないという現実を物ともせず、セロテープで穴を塞いで空気を入れ直して『もう大丈夫だから』と言ってしまうジュンイチ。
律儀に持ち主の家へ毎晩戻ってくる人形。
工場に彷徨い込んできた人形をあたかもよくあることのように受け入れて、「おかえり」と言ってしまう男。
全てに無理がある。でも無理がない。
「空っぽ」なのは個人だけではなくて、人と人との関係同じようにも空っぽで、だから、本来なら気付かずにいられない違和感に気付くことができない、あるいは気付かないふりをすることが容易にできてしまう、そんな世界に生きている虚しさ。
相手をこの上なく大切に思うからこそ、意図的に目を逸らして気付いていないふりをしなければいけないときもある。
繰り返し出てくるゴミ捨てのシーン。
綿毛が抜けたたんぽぽ。
前半のメルヘンチックな展開は好きだったけれど、後半はいたたまれなかった。
ジュンイチとの別れはあんな風にしなくてもいいのにな、、、と思う反面、一度空気が抜けてしまった人間に息を吹き込むことはできないのだ、ということをしっかり描く必要も確かにあったのだと思う。
井浦様って、「ザ・草食」みたいな風貌と声をしておきながら平気でえげつない濡れ場を演じちゃうからグッジョブだぜ。
ペ・ドゥナが素晴らしい
ペ・ドゥナが素晴らしいです。
リンダリンダリンダの時のスンちゃん役もたまらなくかわいかったけど、今回はそれともまた違う可愛さ。
彼女でなければこの作品は絶対に成功していなかったと思う。
ダッチワイフが突然心を持ち動き出すという設定上、世間のことを何も知らない彼女。
その何も知らなすぎるしぐさや態度が下手をすると同性から見るとうっとおしいというかあざとく見えてしまいかねない役どころだったと思うのですが、日本語がカタコトなことも相まって、いやらしさが全然ない。
人形が歩いているようにとてとてと歩く姿も、不思議そうに首をかしげるしぐさもすべてが愛おしくてかわいらしい。
彼女の魅力だけでも2時間十分楽しめる内容だなと思います。
そして、本当に美しい映像。
邦画より、フランス映画とかそっちに近い感じの、詩的で哲学的な物語。
のぞみは、心をもって外に飛び出すことで、子供と同じようにひとつひとつ世界を知っていく。たくさんの悲しい人たちにであう。
すごくかわいかったのが、町で出会ったおじいさんに「わたしは空っぽなの」といって、「みんなそんなもんだよ」と言われる。
その後いろいろアクシデントがあって純一に人形であることがばれてしまったときに「でも結構いるらしいじゃない?」と得意げに聞く彼女がすごくかわいかった。
空気人形の純粋さがすべて表現されていた一幕。
純一に恋をしたことで彼女は切なさを知った。
純一に恋をしたことで彼女はウソを知った。
純一に恋をしたことで彼女は人に満たされる喜びを知った。
彼女が経験していくことすべて、わたしたちが人生で経験していくこと、してきた事なんだなぁとぼんやり思った。
切ない思い、ウソを知らずに生きてはいけないし、誰かに満たしてもらわないとだれも生きていけない。
個人的にはやっぱり井浦新すてきだなあと。
声がいいというか、純一っていう役柄にあってたなぁと思いました。
純一は、妻をなくした(はっきりした描写はないけど恐らく)空っぽなひと。
だけど、個人的にすごいすてきだなぁと思ったのは、のぞみ人形の質問に全部答えを返してくれて、「他に何か知りたいことある?」と優しく言ってくれるところ。
何事にも自分なりの答えを持ってる人はすてき。
たんぽぽ枯れてるのみて「かわいそう」って彼女が言ったときに「仕方ないよそうじゃないと世の中が生きものであふれちゃうから」と言った言葉がなんか切なくて素敵だった。色んなことを自分の中で折り合いをつけて生きている人なんだろうなと。
そうしないと生きていけない事情がある人なんだなというシーンだった。
印象的なしーん。
純一が息を吹き込むシーン
ビデオ屋で働いている時に腕が破れてしまい、空気が抜けてしまった彼女に純一が息を吹き込むシーン。
彼の息で満たされるのぞみ。
この映画の中ではその行為=ラブシーンとして捉えられているのですが、そのシーンがとてつもなく官能的。
いやらしい意味じゃなく、好きな人の息で満たされていくのぞみの表情とか、お互いに荒くなる吐息とか、好きな人の息で満たされる幸せという事実がなんとも官能的。
こんなに官能的でロマンティックで美しいラブシーンを見たのは初めてです。
これはほんまにすごい。
純一はその後のぞみに空気を抜かせてほしいと頼むようになるんだけども、空気が抜けていくのを見ることで彼の空っぽな気持ちが満たされるのか、抜けた空気を自分が満たしてあげることで自分を満たしているのか、そのあたりはよくわからなかった。
誰しも人から満たされたいし満たしたいのかなぁ。
ラストは結構衝撃的ですが、それしかなかったんかもなあという感じですた。
花がいつか枯れるように、わたしたちも皆いつかいなくなる。
だけどそれまで、たくさんのものをなくして、生きていかなくちゃいけない。
彼女は心をもって、切なさを知って、そして何かをなくしたのかもしれない。
だけど、心なんて持たなければよかったと彼女は思わなかった。
生きるのはつらい。人とかかわることは難しい。
人を好きになると心はもっと苦しくなる。
それでも、誰かを満たしながら、誰かに満たされながら生きていくしかわたしたちは生きていけないのかもしれない。
ワールズエンドガールフレンド
ワールズエンドガールフレンドが
好きな友人から教えてもらい観ました。
ただただ切ない。心を持つって切ない。
片想いしてた時に観たんで、なんだか観たあととてつもなく苦しく思考停止しました。
切ない
オダギリジョー目当てで見た映画。
いわゆるダッチワイフな主人公なので、女性にとってはうわぁ〜という場面が多々あります。洗ってるところとか、見たくないですね。
好きなシーンは二つ。一つは、たぶんこの映画見た人の大半は選ぶであろう、純一がのぞみに空気を入れるシーン。切なく、美しく、エロく、奇妙。
もう一つは、人形師のオダギリジョーがのぞみに問いかけるシーン。
「君が見た世界は、汚いものばかりだったかな?それとも、キレイなものも少しはあったかな…?」
とっても良いセリフでした。このシーンだけでも、オダギリジョーファンとしては見る価値のある映画でした。
好きなの
この映画はずっと観たかったのですが、なかなか観れたのでやっと、と思って観ました。心を持つことの切なさや喜び、反対に性欲の代用品として人形に生まれた運命。監督独特の美しい世界観のなかで儚くも強く、描かれていてとても魅了的でした。
オダギリジョーの存在がとても大きく感じられました。韓国の女優さんですが、言葉の感じも片言になりすぎず、抜群のスタイルに反して可愛らしい仕草がとても印象的でとても素敵でした。
ペ・ドゥナかわいい
こんなにも静かで瑞々しい映画もたまにはいい。
私が好きなタイプの映画だった。
性描写がグロいとかなんとかという評もあるようだが、それは特に大した問題ではないと思う。その性描写の本質こそが美しい。
風立ちぬに通じるような何かを感じる。
是枝監督作品というのをこれで初めて見たのだと思ったけれど、本当にすごい力を持った監督だなと思った。
それほどの大作というわけでもないから、これくらいの点数評価になった。
それにしてもペ・ドゥナはこの作品に実にハマっている。
春の日のクマは好きですか?はペ・ドゥナだと思ったけれど、そういったのほほん系な人、ふんわりした空気を持っている人。
まさに彼女が空気人形だと思った。
柔らかく瑞々しいということは、それはそれでとてもドロドロといびつなものを内包している。
そんなふうにメッセージを捉えることもできる。
それはこの作品だけでなく、是枝作品全体にそういうものを感じなくもない。
まあ、いいんじゃないですか。と素直に思える作品。
ピュアな映画
気持ち悪くなるシーンもあったけど
なんだか総合的に好きな映画だった。
ペ・ドゥナさんの雰囲気とかナレーションとか
空気みたいに薄くて透明できれいでよかった。
(空気人形)他にもいるんでしょ?っていう所
なんだかぐさってきて、あーあって思った。
切ない純粋さ
人間が生まれてから大人になるまで
良くも悪くも沢山の経験をしてくるものが無ければ
もしかして人は、みんなこれほどピュアな心を
持つのかも知れない。
そんな気持ちにさせられた作品です。
登場する諸々の人たちが繰り広げる日常が
汚れを知らない主人公との対比で、そんな感じを
思わせたのかな?
エロティックなシーンは少しあるが、作品のピュアさの中では
あぁそんな部分もあったなって感じ。
主役のペ・ドゥナさんの透明感は、この作品のイメージに
とても合っていました。
他の作品も観て、もうちょっと彼女を知りたいと思いました。
あえて言えば、エンディングが微妙かな。
貴方じゃなくちゃ、駄目なんだ
「歩いても 歩いても」などの作品で知られる是枝裕和監督が、「リンダ リンダ リンダ」のぺ・ドゥナ、ARATAを主演に迎えて描く、群像劇。
電車の進行方向と反対向きに、座る。その瞬間に感じる苦しいほどの切なさと寂しさは、ちょっと耐えられない。自分を置いて、勝手に疾走していく世界、抗えない無力感。どうして、ここに座って息をしているのか・・と、不意に考えて、心が冷えていくのを感じる。
本作は、そんな電車の一幕から展開していく。孤独を抱えた男がすがり付く一体の人形が何らかのきっかけで心を持ち、閉塞の家を飛び出して大都市「東京」へと足を踏み出していく。
大まかなストーリーだけをもって想像すれば、下手すれば「誰もいないはずの部屋で、人形が勝手に動き、部屋を変えていく異色のホラー」になってしまう奇妙奇天烈な要素が溢れる。しかし、観客はすぐにその寂しさと、乾いた虚しさが塗りたくられた世界を、見せ付けられることになる。
一瞬でモデルが移り変わり、簡単に捨てられる電化製品が溢れる家電街、映画館の代わりとして、要素だけを貼り付けられたレンタル製品の店、派遣社員に、ストッキング。物語に散りばめられた「孤独」と、「代わり」の産物たち。全てが無言で観客の視覚に飛び込み、少しずつ空っぽの現代日本を作り上げていく。
下手に大仰な主張で訴えられるよりも、じわじわと観客に染み渡っていく悲しさと、無味無臭の砂漠に投げ捨てられたざらざらの気分。非常に痛々しい、作り手の巧妙な作為が光る。
その中でも、ほんわかと乾燥した世界を潤してくれるぺ・ドゥナの純粋な瞳と、コミカルな動き。ARATAの温かい柔らかさと、人間臭さ。硬質な厳格さだけでは観客は苦しいだけだと感じる作り手の配慮が心底、嬉しい。
「君になら・・・」人形ではなくとも、私達誰もが心のどこかで求めているその一言。実際、その言葉の裏には金であったり、欲望が渦巻いているのが現実なのが寂しいけれど、それでも、どうせ生きているなら、言われてみたい。愛と夢に彩られたラストが、そのささやかな可能性を提示してくれている。
堅実に観客の心へと突き刺さる、寂しさへの諦めと、かすかな希望。あらゆる世代の人間達に向けた、毎日への小さなエールが輝く一本だ。
「君じゃなきゃ、駄目なんだ・・」そんな少女漫画が、あったっけ。狂おしいまでに情熱的な、人を元気にする言葉なんだなと、今は思う。
人間を作った神様でもわからないと思うよ
映画「空気人形」(是枝裕和監督)から。
「私は空気人形、性欲処理の代用品」・・
このフレーズが何度も流れたが、そんなに違和感はなかった。
その人形が、人間と同じ「心」を持つことにより、
嘘をついたり、いろいろな感情を体験する。
その中で印象に残っているのは「切ない」という気持ち。
ある人を好きになり、その人のことを想うと、切なくなった。
それを「心を持つことは、切ないことでした」と表現したが、
人間には、好むと好まざるに関わらず、生まれつき「心」がある。
(勿論、他の動物にも心はあると思うが・・)
その心が、満たされているのか、空っぽなのか、を考えるのもいいが、
彼女を作った役を演じる、オダギリジョーは、作品の中でこう呟いた。
「なぜ、心を持ったか、なんて、
人間を作った神様でもわからないと思うよ」と。
言い換えれば、それを受け入れるしかないんじゃないか・・と
心を持った「空気人形」を諭しているようだった。
心があるから、辛いけれど、心があるから、幸せな気分にもなる。
人間として生まれたのだから、自分の考え方次第でどうにでもなる。
これからも、その「心」と仲良く付き合っていきたいと思う。
監督のメッセージが伝わらないわけじゃないけど
映像は洗練され、役者も良い(特に板尾氏)。ラストも納得。
けれど、今ひとつノれなかった。空気人形の過剰なピュアに、食傷気味。なまじペドゥナが巧いだけになおさらだった。
意志を持った人形が、性の道具としてでなく、人から必要とされたいと痛烈に願う。
じゃ、その男ウケ狙いむきだしを、まずやめては。コスプレやヒラヒラのミニスカ、内股のちょこちょこ歩き、スキップ、たどたどしく「あなたになら何されてもいい」完全に漫画の妄想系ロリータキャラである。
美少女のダークファンタジーといえば、アカデミー賞受賞作『パンズラビリンス』あの主人公も、それは可愛かった。可憐な姿や幼い言動は、確かに無垢を際立たせるだろう。
ただ、映像に合わせるあまり、心理が矛盾してはいけない。美少女は、人任せの受け身な生き方をやめたのだ。ミニドレスより、例えばジーパンを一回でも着れば、その哀しみがよりリアルだったと思う。
『パンズ〜』で、ドレスを泥んこにして闘うオフェリアに比べ、砂場でも野宿でも汚れない空気人形の隙の無さ…
周囲の人間も、服と同じ役割をする。通りすがりの過食症の女、お局OL、ヲタク、父子家庭などが人形と何度も対比され「ねえねえ、このコ純粋でしょ?」「ピュアでしょ?」「健気でしょ?」確認の声が聞こえてきそう。
見かけだけキレイに整え、無垢をアピるほどに野暮ったく見えてしょーがない。身もふたもなくてすみませんが。
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