戦場でワルツを : 映画評論・批評
2009年11月24日更新
2009年11月28日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー
真正な記憶を探求することは<パンドラの箱>を開けることでもある
ふと、アラン・レネの「二十四時間の情事」を思い起こした。レネは「君はヒロシマでなにも見ていない」「いえ、私はすべてを見たわ」という男女の会話を通して、戦争の悪夢の記憶が、いかに主観によって修正され、捏造されるのかを詩的かつ切実に問いかけた。
アニメーション・ドキュメンタリーという特異な手法を介して、アリ・フォルマン監督が描くのも、1980年代初めのレバノン戦争で自ら体験した、直視し難い、ある出来事の記憶の忘却をめぐる旅である。
冒頭、旧友から26頭の凶暴な野犬に襲撃される悪夢に悩まされていることを告げられ、アリは自分にはレバノン戦争の記憶が一切、欠落していることに気づく。さらに、ベイルートの海に全裸で漂うイメージだけがふいに甦る。アリはこの断片的なイメージだけを手がかりに、当時の戦友たちを訪れ、この幻想的な光景の確証を得ようと試みるが、誰も覚えていない。その代わりに彼らは各々が抱える戦時下の苦痛に満ちた体験とそのトラウマを切々と語り出す。まさに重層化されたおぞましき悪夢の映像がつるべ打ちにされ、圧倒されるが、アニメーションとは、ゆがめられた主観的な記憶を最もリアルに描くための不可避な方法であったことが了解されるのだ。やがて、アリ自身の両親のアウシュビッツの記憶にまで遡行し、酸鼻きわまる事件の真相が浮かび上がってくる。真正な記憶を探求することは<パンドラの箱>を開けることでもある、という苦い真実を、ポエティックで瞑想的な語り口で綴った見事な作品である。
(高崎俊夫)