夏時間の庭のレビュー・感想・評価
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奥の深い作品
ジュリエット・ビノシュは河瀨直美監督の「Vision」で見たのが初めてだった。河瀨監督らしい難解な映画で、心に空いた穴を埋める何かを探すような役柄を演じていたのが印象的だった。 本作品のビノシュは10年以上前の映画とあって、見た目も演技もかなり若い。今回は三兄妹のひとりで、ニューヨーク在住のデザイナーの役である。珍しく英語を話すシーンがあって、フランス訛りの英語がアメリカンイングリッシュの溢れるニューヨークで異彩を放っていた。 原題の「L'heure D'ete」はそのまま夏の時間であり、実家の家と庭が中心的な舞台となっていることから、邦題「夏時間の庭」はわかりやすくて秀逸だと思う。三兄妹はそれぞれフランス、アメリカ、中国に住んでいて、たまに実家に帰ってくる程度だ。母がなくなって家を処分することになる。その経緯の中での家族模様を描く作品であり、時の流れと人の移ろいが中心的なテーマだと思う。 坦々と進むストーリーで起承転結がないから、物語としての盛り上がりには欠けるが、全体を通じて底に流れている無常感のようなものがあって、大森立嗣監督の「日日是好日」を思い出した。 三兄妹は実家と庭のこまごまとした思い出をいつまでも心にしまって生きる。孫にとっておばあちゃんの家は人に自慢ができる宝物だ。家政婦にはそこで働くことが人生だった。家と庭に関わった人々にとってはどこまでも美しく楽しい場所であり品々であったのだ。 俳優陣の演技があまりにも自然であり、本物の家族にしか見えなかった。映画としての完成度はとても高いと思う。こういう映画は雰囲気だけみたいに感じてしまう場合もあるが、本作品のそれぞれのシーンの奥にある世界観は、日本文学に通底する諸行無常のような死生観に通じるところがある。奥の深い作品である。
おもしろくはないけど、観る人によっては観る価値はある
ワーストとまで言われていますが、なかなか印象深い作品だと思います。
ただ遺産相続などの話は退屈で憂鬱で切なくなる。
そんなにどろどろしないのは美しい風景と音楽のおかげなのでしょうか。
私が考えたのは「美術館とはなんぞや」ということです。
今まで、美術館はみんなで価値や感動を共有できるすばらしい措置だと思っていました。
けれどこの映画を観て、
思い出や愛情がつまった作品を人から奪って、光・命を作品から奪うことが「寄贈」なのか?と
考えさせられました。花が生けられていない花瓶、からっぽの机・・・本当に、「死んでいる」みたいって思いました。
これから日用品を素通りしないで、それらが愛されてきた日々に思いを馳せられるという点で
観る価値は十分にあると思います。
ただ、残念だったのは
・売りなはずの美術品はそこまで美しいと感じなかった。
・最後までもやもや感につつまれた。
の2点です。
はっきりとしたストーリー展開や楽しさを映画に求める方ならおすすめできませんが、
美術がすきな方にはそれなりの充足感はもたらされるのではないかな・・・と思います。
何を魅せたかったのか。
名画座にて。
あまり美術品に造詣も深くないし、
オルセー美術館にも(もちろん^^;)行ったことはない。
なのでここで貸し出されたという
美しい美術品の数々…を目当てでいくことはまずない。
ただ、こういう、
自分ではおそらく選ばない作品を観られるのが名画座、
ということで果敢にチャレンジ(爆)してみたのだが…
う~ん。。それ以前に話が面白くなかった。
一応は家族の話なのだが、兄妹たちの静かな?確執、
老いた母が大切に守ってきた屋敷と美術品を
売るの売らないのとそんな話が堂々巡りで延々と続き、
睡魔が襲ってきてしまった…。
せっかく「夏時間の庭」なんていうお洒落なタイトルを
つけたのだから、ゆったりと美しい景色を眺められる
作品に出来たなら、もう少し楽しめたのでは…と思う。
長女役でJ・ビノシュが出ていたが、今回は随分若い!
…とその風貌に目を見張ったが、調べてみたら元々
そんなにお歳でもなかったんですね…失礼しました^^;
(お庭があるだけでも素敵。箱庭ってのはダメかしら?)
【洋画部門】2009年ワーストワン作品かもしれない
これまで時間があわんかったのは、 観なくてもいいよ、っていうメッセージだったんだ 評価低かったけど、まさかこれほどまでヒドイとは・・・ フランス オルセー美術館から貸し出された 美しい美術品の数々が、最大の売りなのは知っていましたが、 まさか脚本が、ここまでズタボロだとは想像もできませんでした。 人物描写は浅いし、 肝心の親子についての話も御座なりで、もうメチャクチャ。 美術品を見せたいにしても、 ここまでヒドイと美術品も泣いてしまいます。 名画座の人も、 ちゃんと作品を観た上で上映したのかな。 フィルムを配給元から安価で借りられただけではないですか。 まさか、配給別作品とのバーターじゃないですよね。 ☆彡 ☆彡 2本立てだから、まだ我慢できますが、 これを単体で鑑賞していたらと思うと・・・。 窓口で暴れていたかもしれんな(苦笑) う~~ん、 2009年洋画ワーストワン作品ですね、こりゃ(泣)
イラッとする
内容も、題材も悪くないんだけど、登場人物になんだかイラッとした。
出てくる兄弟も、その子供も、それぞれにあの家を愛していたのだろうとおもうし、
それもなんとなく伝わってはくるのだけど、
それぞれがあまりにも勝手すぎるのと、気持ちの描写がわかりづらいので、
結局のところ、自分勝手の集まりのようにしか思えない。
孫が最後にちょっと泣くのは素敵なはずなのに、なんだかそれすらイラッとした。
本当に、あの家を、あの家族を想っていたのは、結局のところ、
死んだお母さんと、家政婦のばあちゃんだけなんじゃないかと思った。
でてくる品々の良さも活かしきれていない感じで至極残念。
芸術の衰退と再生。
夏時間―――、陽光きらめく庭で、家族がそろい母の誕生日を祝う。子供達の笑い声の響く幸福な風景から本作は始まる。しかし、この明るく温かいシーンの裏にはかすかに「死」の影がある。死・・・人間の死だけではなく、芸術の衰退を含めたものが本作のテーマなのだ。母が守ってきた大きな屋敷には、コローを始めとする貴重な芸術作品が“日常品”として使われている。マジョレルの机には書類が山積み、ホフマンの戸棚からは飛行機のオモチャ、ブラックモンの花瓶には野の花が活けられる。オルセー美術館の前面協力のもと、これらの芸術品は全て本物だ。普段美術館の展示室の人工光の中で、整然と並べられている美術品たちは、自然光の中で本来の役目に立ち戻り、活き活きとしているようにも見える。しかし、やがて幸福な夏時間は過ぎる・・・。母の死後、遺産を相続した子供達たちは、話し合いの結果、屋敷を売り、美術品を美術館へ寄贈することを選択する。母親の思い出を大切にしたい長男の意思に反して・・・。感傷よりも現実の生活が大事。妹たちを誰も責められない。大丈夫、人間は“思い出”だけで生きていける。その“思い出”を大切にしていけばいい・・・。
時は過ぎ、思い出となり、芸術の「形」も変化していく。コローの風景画は、若い孫たちには「古臭い」ものとなり、若者は若者の文化を育て上げる。幸福な家族の風景で始まった物語は、騒がしい若者のパーティーで締めくくられる。他人の持ち物となる前に、若い孫娘が、屋敷で最後のパーティーを開いたのだ。大音響のロックや、部屋の中でボール遊びをする若者達の姿をどう捉えるか?古きものを冒涜し、芸術に見向きもしない若者を嘆くか?いや、そうではない、後ろを振り向かない若者達の未来を見るべきだ。彼らには彼らの「文化」や「芸術」がある。ゴッホやピカソが当時の保守的な人々から眉をひそめられたように、彼らの「芸術」も大人たちから眉をひそめられている。しかし、ゴッホやピカソが古典となったように、彼らの「新しい芸術」も、未来の若者達から「古臭い」と言われる日がやって来る。そしてそれらの「芸術」も、美術館の片隅にひっそりと展示されるようになるのだ。この時代の変化を嘆いてはいけない。彼らにも大人と共用できる「思い出」があるから・・・。陽光あふれる庭は、時の移り変わりを見ている。本作は日々の細々した生活に追われ、バラバラになっていく家族たちが、美術品を通して同じ思い出を共有することで、絆が生まれるという、普遍的な家族の愛を描いた爽やかな物語だ。
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