「母として、人としての生き様…」母なる証明 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
母として、人としての生き様…
原題『母』、邦題『母なる証明』
予告「この子を守るのは私しかいない」
大方の母の共通の想い。(『誰も知らない』の母のようなものもいるが…)
「バカにされても、仕返ししないで、無視するんだよ」と日本では教える。
「バカと言う方がバカなんだから。仕返ししたらお前も同じレベルのバカになっちゃうよ」
「お手伝いとか、他のことで見返しなさい」って。
社会で生きていくために、何をしてはいけないのか。社会のルール、人としてのルール。暴力で解決できるものなんてあってはいけないことだろうに。
国民性の違いなのか?
この母ならではなのか?
確かに、子どもを馬鹿にされると、母としては身が切られるようにつらい。悔しい。
ましてや障害があれば、その思いは激増する。アルコールや薬物の害を除いて、基本、子に障害があるのは母のせいではないのだが、ほぼ100%の母が、大なり小なり、自分のせいと攻めてしまう。
ましてや、利用して食い物にしようとする輩が、子どもの側にいたら、過敏になるのも必然。
けれど…。
映画としては出色のでき。後世に残るものになるだろう。
だけど、鑑賞するには覚悟がいる。
寡聞にて、これほど人間の業と言うものを描き切った作品を知らない。自分の中の暗部をさらけ出されたようだ。
私がこの母の立場だったらどうするのだろう? 人としての善を貫けるとは決して言いきれない。言い切る人の方が嘘くさく感じる。
こういう犯人達は『リンカーン弁護士』にも出てきた。『リンカーン弁護士』では、異常者として突き放して鑑賞できたけど、この映画ではなぜか突き放せない。
まだ見ていないが『許された子どもたち』も観てあわせて考えたい。
けれど、そもそも犯人は己がやったことを自覚・認識しているのか。それが”人殺し”だと…。
気軽に観てはいけない。
気軽に勧められない。
でも、後世に残したい傑作を挙げろと言われたら、候補にあげたくなる。
鑑賞した人と語り合いたくなる。
究極の映画。