アニエスの浜辺のレビュー・感想・評価
全6件を表示
自分史を映像作家が遺すと、こうなるのだね /アニエス・ヴァルダの生きざま
父に、
「時間があるなら自叙伝みたいな物を書いてみたらどうなのか」と勧めてみたことがある。
けっこうな波乱万丈な人生を送ってきた彼であるし、著作・共著も何冊もあるから。
でも気乗りがしないようだ。
しかし、先年僕は、父と一緒に旅をして、父が幼少時代を過ごした彼の故郷を訪れ、かつての住居跡や、商店街の並び、旧制中学校、細い路地裏、疎開先までをゆっくり数日かけて歩いた。
しきりに「お前と故郷を歩きたい」と、僕に夢を語るものだから。
行く先々では、僕らはたくさん立ち止まりながら、道端で父から話を聞いた。その父の述懐の中で大勢の故人たちにも会った
そうやって父を形作ってきた人生のパズルを、ひとつひとつ、初めて現地で確かめてきたところなのだ。
あの旅で、父は自分史を遺す夢を、息子である僕の記憶の中に成し遂げて、ペンを執らずとも、十分に望みが満たされたのかもしれないと、僕は思っている。
人は最終コーナーに差し掛かると、
「父親たち」は口ずからの言葉で自分を遺し、
「作家たち」はペンと原稿用紙で自分を遺す。そして
「映像作家」は自分を被写体にして、動画によるアルバムと語りで、自らを世に遺していくのだ。
「アニエスの浜辺」――
齢八十を超えたアニエス・ヴァルダが自分に向けてカメラを回している。
黄色い小皿を手に取り、
蚤の市で「同志ダルデンヌ兄弟に贈ろう」とつぶやく。
彼女の映画仲間たちが、写真やフイルムや個々のエピソードで登場していて、大勢の友人たちがアニエスの周りにいたことが知らされるのも、とても興味深い。
周りにいた「人々」や、彼女を取り囲んでいた「時代」が、砂浜に置かれた鏡のようにアニエスを映し出すわけだ。
夫は、「ローラ」や「シェルブールの雨傘」の監督ジャック・ドゥミ。
同時代のゴダールやトリフォとのやり取り。そしてジェーン・バーキンとの共演シーンなど。
共に撮影現場で働いたドヌーブやアヌーク・エーメの若かりし頃にも、目が吸い寄せられる。
これはスクリーン好きなら、見ておいて損はない一品だ。
自分との別れ。
友人との別れ。そして
辞世のシナリオを書き始めた最愛の夫との別れ。
そのための、「すべてのサヨナラ」のために、彼女は自分を映画にする。
自分史=イコール映画史と言い切っても良いだろう彼女の越し方なのだ。
108分。
映像の全て。そして挟まれるアーカイブ名画の全てが、彼女の人生のパズルの「カケラ」であり「コマ」なのだと理解できる。
散漫なように見えて、これだけ1人の人間=自分に向けて、一筋に集約していく監督アニエスの、生き方とその編集の力量にも唸らされることは、ご覧になる方々に請け合う。
僕にとってもこのDVD鑑賞は、メモ帳を手に構えての「一時停止」や「巻き戻し」でいそがしく、一向に前に進めないほどの名シーンや金言の宝庫であった。
映画と人間の解放について、途切れることなく映し、また語るアニエス。
人について語ろうとするなら、その人と共に生きた場所に戻って彼らを語る独特のスタンス。
ポップでありながらも、
シュールレアリスム。
ヌーベルバーグの旗手でありながらも家族的。
アニエスはそうなのだ。
つまり、居住した土地に根ざし、どっしりと足を着けた在り方で生きた人。
彼女の人間に対する飽くなき興味と観察が、あの人を貫いていたように思う。
劇中、いみじくも語られた言葉
「へその緒が切れないんだね?」。
ああ、そうなのだ。
両親、夫、子や孫、そして村人たち友人たち。
人々のただ中に、繋がって生きたアニエスなのだと、良くわかる自叙伝映画だった。
・・・・・・・・・・
見ることで脳の覚醒が起こる良作品
アニエス・ヴォルダの作品はいつも私をウットリさせてくれる。ヴォルダはひときわ輝き私をいつも魅了してくれる。アニエスの浜辺は間違いなく良作品で私の映画人生の中でも指折り数えに入るぐらい好きな作品だと私は思い感極まった。
1970年12月5日生まれの47歳。
そして今日は1月17日阪神大震災があった日。
1995年1月17日朝5時過ぎに揺れた。
私は前日の日から私の家で飲み会をしていた。
当時24歳オートロックの家賃10万強のマンションに
彼女と住んでいたのだが、その前の年の12月に彼女は
私の家を去った。私より良い人が出来たのだ。女性はしたたかだが、そんなしたたかさがあるからこそ、女性は美しく可愛いいと私はモテないながらにそう思う。なので年が明けても私は一人家に居ても寂しいので週末や日曜日には毎週来客があるように人を誘っていた。1月16日は月曜日の祭日だったみたいだ。私はずっと日曜日と記憶していた休みだから、そして今念の為と思い検索したら火曜日と出てきた。少しショックだ。なんだかわからないがショック。まぁこんなことを長々とダラダラとひたすらに文字を打ちつづけたいが私の思い出などは私だけが大事にしまっておけば良いと思ってる(笑)今さらだがさらに(笑)
酒が好き。サッカーが好き。マラソンが好き。
映画が好き。ドラマが好き。芝居が好き。歌・音楽が好き。料理が好き。アニメも大好き。俳優大好き。
こんな私は今も47になっても生きている。
当時24の私とたいして変わった気がしない。
変わったことは地震で様々な人が私のまわりから
一瞬にして消えたこと。ただそれだけだ
ご冥福をあらため祈ります。
映画の中の虚構と真実
左右が逆に映る鏡は、虚構を映すものだと思っている。とすれば、左右をそのままに写す写真は真実ということか?ならば映画も真実を映すものということになる。女性作家としてヌーヴェル・ヴァーグを牽引して来たアニエス・ヴェルダが80歳を超え、自身を語る映像エッセイ。彼女の人生の要所要所で登場する“浜辺”の風景。人生を振り返ると、打ち寄せる波の如く家族や友人、そしてかけがえのない夫のジャック・ドゥミなど、彼女にとって大切な人々が“真実”の姿のまま本作に登場する。しかしその“真実”は、時空を超え、空間を超え、心象風景としてモダンな街中を浜辺に変えたりする。現代アート風な映像のコラージュにヴァルダ監督のセンスを感じる。ヴァルダ監督の目を介して観る“真実”は、個人の人生の枠を超え、そのままフランスの、世界の歴史の足跡をたどってゆく。浜辺に置かれた無数の鏡。そこに映り込む海、空、彼女自身や周囲の人々。彼女の描く“真実”の中に映し出される虚構・・・。それこそがアニエス・ヴァルダの思う「映画」の姿なのだ。
東京国際女性映画祭にて
シェルブール&ロシュフォールでジャック・ドゥミに興味を持ち、アニエスに辿りつきました。
アニエスの夫への変わらぬ愛情や、夫がいない淋しさがひしひしと伝わってきて、自分の恵まれている環境に改めて感謝しました。
ヌーベルバーグやフランス近代史はまだあまり詳しくないので、もう少し勉強してから行けばもっと理解出来たと思います('_')
全6件を表示