「演技とセリフがつむいだ緊張の糸から描かれたもの」ダウト あるカトリック学校で こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)
演技とセリフがつむいだ緊張の糸から描かれたもの
メリル・ストリーブ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムスという名優三人の、丁々発止の演技の火花が緊張感をもたらしたこの作品は、実は、まるではっきりとしたものを観客にも見えてこない、「ダウト」というより「ダーク」というタイトルのほうが向いているようにさえ思えるものだった。ところが、そのダークさこそが、この作品の魅力なのである。
フィリップ演じる教会の司教が、子どもを性的虐待しているのかどうか、その一点に疑惑をもった教会付属の学校長のメリルの追及がこの作品の核なのだが、最後までその疑惑に結論は出ていない。それでもこの作品が魅力的なのは、感情と理性とが真っ向から対立する、人間性そのものに踏み込んだ内容にある。
メリル演じる学校長は、人、特に男性を信用せず、司教の先進的なやり方に不信感を抱いている。その不信感が、司教が個人的に子どもを呼び出した、という事実だけで最高点となり、一気に司教を追い詰めようとする。そのシーンでの、不信のみでしか人を見つめない人間同士のかけひきは、背筋が冷たくなるくらいの張り詰めたものを観る者に感じさせる。しかし、だ。その不信感だけで人を見る、というのは、我々でも普段やっていることではないか、と思うと、とても映画の中だけですまなくなってくるのだ。
人の行動とは、実際は個人しかわからないものだ。だからこそ、ひとつの行動に疑いをもつと、人への疑いは限りがなくなる。そのおかげで、離婚や仕事場の揉め事はあとを絶たない。この作品は、その人が人を信じられなくなる瞬間がものの見事に描かれているゆえに、登場人物の行動やセリフひとつひとつが、とても興味深く、疑いの眼差しだけの表情に、自分自身を見ているような魅力が感じられる。
不信感を募らせた学校長は、ラストに思いもよらない表情を見せる。その様子に観客すらも愕然としたとき、人に疑いをもつことと、人を信頼することの難しさにもあらためて気づかさせられる。この作品は、とても人間らしい人間を鋭く描いてみせていることで、高く評価されていいものだと思う。