レスラーのレビュー・感想・評価
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悲しすぎる男の人生・・・
プロレスでしか生きられない悲しい男。ミッキー・ロークが、不器用な生き方しかできない男を哀愁漂わせて好演していた。主演賞を総なめなのも納得だ。昔はもっとかっこ良い役が多かったのにね。不思議。でも演技力がないわけじゃなかった。ハリウッドも厳しいなぁ。ボクシングに浮気したのがいけなかったのでしょうか? でもそんな自身の人生と重なる部分があるのでよりスリリング。自分の老後の生活とかちょっぴり考えた。どうやって生きていけるのか。あんな過酷な生き方はしたくないな。家族も大事にしたいな。スポーツ選手も現役時代は派手だけど、引退後って大変なんだろうなって思った。
リングでしか輝けない人間の悲哀とプライドを描いた熱いドラマ
ともすればそのテクニックや奇抜な内容にだけ目が行きがちな「π」「レクイエム・フォー・ドリーム」のダーレン・アロノフスキー作品だが、これまでの彼の作品には希薄だった人間のドラマが色濃く描かれているのが何よりの特徴で、アロノフスキーの次に大いに期待が高まった。
また、これまで散々語られて来たことではあるが、どん底をさすらったミッキー・ロークが、かつてのチャンピオンで、今はインディー団体をさすらうしがないロートルレスラーという、彼自身の人生ともリンクする、リングでしか輝けない人間の悲哀とプライドを見事に体現していて、見応えバッチリ。
散り際の美学
自ブログより抜粋で。
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ミッキー・ローク主演作は高校生時代に映画館で観た『エンゼル・ハート』(1987年、アラン・パーカー監督)以来の鑑賞となる。あれからまさに20年。
昔の人気絶頂時代を知っているが故、主人公ランディの姿がいやが上にもミッキー・ローク自身、あるいは同じように歳を重ねた自分自身の現状とも重なり、リアリティとともにえもいわれぬ感慨を感じずにはいられない。
カメラは何度となく、前へ突き進むランディの背中を捉え、彼を取り囲む環境を見せていく。
ドキュメンタリータッチの演出は、ファミリー然としたプロレス業界の裏側をほほえましく描いていて愉しい。
しかし身体の限界を悟り、引退を決意したランディは、否応なしに厳しい現実を知ることとなる。
ランディが引退後の自分の居場所を探し求め、紆余曲折を経てたどり着いたその場所は、彼の人生そのものである慣れ親しんだリングの上だった。
ランディの選んだその選択は、観る者によっては「現実逃避」と映るかもしれない。しかしそれは違うと思う。
ランディが自業自得と自覚している現実は、決してありがちな“冷たい世間”や“暮らし難い社会”などではない。
己の望み通りに生きてきた報いとしての“孤独”が彼を苦しめるのだ。
孤独の中でのたれ死にすることが、現実に打ち勝つことであろうはずがない。
この映画の壮絶なラストは多分にランディの“死”を意識させるが、カメラはそれを見せない。なぜならダーレン・アロノフスキー監督の意図はそこには無いから。
ずっとランディの背中、すなわち彼の“ゆく末”を追ってきたカメラは、ここにきて彼を真っ正面から受け止める構図で幕を閉じる。
それはランディの自業自得が招いたみじめな末路ではなく、彼の最期の“生きざま”を捉えんとする視点だ。
誇り高き男が人生を見つめ直した末に選んだ決死の覚悟、それは日本流に言うなら“骨を埋める覚悟”であり“散り際の美学”と呼べるもの。
ランディは自分の蒔いた種が今の孤独を生んだことを知っている。と同時に、その種はファンの待つリングの上でこそ花開き、そして散るものと悟った。
その美学を端的に見せた鮮やかな終幕に、ランディ、そしてミッキー・ロークの20年間の苦渋を想いながら涙した。
“change”はしない
2009年の流行語?はChangeかもしれないけど、この映画はChangeしないこと、いかにして自分の人生と折り合いをつけるかを描いた、2009年最高の映画。背中で悲哀を語るロークの入場シーンは、レイジング・ブルにおけるデ・ニーロをも凌駕して、プロレスというどちらかと言えば蔑まれがちなアトラクションに男の美学を持ち込むことに成功した。乱暴にいうと〈下品なミリオンダラー・ベイビー〉。
ロークとマリッサのメタル談義には、小生、思わず膝を叩きました。
虚実おりまぜた物語
「レスラー」
やっぱり、先日リング上でなくなった三沢光晴のことを思い出してしましまった。
プロレス自体が「虚」もあり「実」もあるスポーツ・エンターテイメントだが、
三沢光晴はプロレスを愛し誇りをもっていたひとである。
賛否両論はあるだろうが、この監督は、プロレスを愛していることは確かだろう。
僕は支持してしまう。
そして、ミッキー・ローク。
稀代のプレイボーイとして、軽蔑の対象ですらあった男が、
自身の転落と重ね合わせたこの作品で、よりリアルなプロレスラーを演じていた。
その顔のしわや傷が一段と意味あるものなっていた。
前のプレイボーイでない、過酷な生活が、人生がそこにはあった。
そして、ストリッパー役のマリサ・トメイも、カオス的世界のなかの純情を、
主題歌をうたったブルース・スプリングスティーンも人生の悲しさと喜びを、
表現していたと思った。
傑作だと思った。
悲しい男のおはなし
映画「THE WRESTLER」、邦題「レスラー」を観た。
ゴールデングローブの、最優秀主演男優賞を 主役のミッキー ルークが 獲得し、ベネチア国際映画祭でも 最優秀賞の金獅子賞を獲得した作品。
ストーリーは
ランデイーは、(ミッキー ローク) ラムという愛称で呼ばれ ラスベガスのスタジアムを何万もの熱狂的なファンでいっぱいにして、かつて一世を風靡したプロレスラーだ。リンクの上に 仁王立ちして 床にのびている相手の上に体ごと飛び降りて カウントに持ち込むのが彼の必殺技だ。1980年代の熱い男達の英雄的レスラーだった。
さて、20年たった今でも、ラムは小さな街の小さなリンクで、レスラーをやっている。もちろん八百長もやる。試合中に剃刀で 自分を傷つけて血を流しながら 戦うのもショーのひとつの見世物だ。観客達は 流血を見て、興奮してそれに熱狂する。しかし、試合が終わって、彼が帰る家は 惨めな貸しトレーラーだ。興行でもらった金は ボロボロの体を何とか維持する為の 鎮痛剤や、ホルモン剤と、アルコールに消えてしまう。
そんな彼が、試合の直後に、心筋梗塞で倒れる。 バイパス手術をして彼を救命した医師は「生きていかったら二度とリンクには上がらないように」とラムに忠告する。プロレス以外の世界を知らないラムは 途方にくれて、ストリップダンサーのマリサ (マリサ トメイ)のところに行く。9歳の子を持つシングルマザーの ストリップダンサーは、ラムに、「それならば、プロレスをやめて、家族のところに帰りなさい」と言う。 すっかり忘れていた、17歳の娘にあわてて会いに行くが、勿論 長いこと 連絡を絶っていた父親を 娘は受け入れない。紹介された肉屋で店員として働き始め 娘との関係も修復につとめ、やっとのことで娘の かたくなに閉じた心を開かせることに成功するが、生きる目的をどうしても見出せないラムは、このままずっと店員を続けていくのではなくて、本当に自分のやりたいことに、自分を賭けることにする。 というお話。
悲しい男のお話だ。ショービジネスで いったんヒーローになってしまうと 死ぬまで そこから抜け出すことが出来なくなってしまう男の悲哀。救いのない老醜。うらぶれた男のロマン。
53歳のミッキー ロークは、長いことハリウッドから忘れ去られていたが、去年コミックを映画化した「シンシテイー」で、カンバックした。この映画、白黒映画で、余りに残酷で切ったり 殺したり 刻んだり 暴力性が激しくて 気分を害し吐きそうになって私は映画の途中から出てきた。この映画の大男の殺し屋が ロークだった。 このニューヨーク出身のハングリーなボクサー上がりの俳優は、1980年代には、アメリカのセックスシンボルと言われ、大変な人気だった。彼の20代のころの写真をみると、同じ人とは到底信じられないほどハンサムだ。今回、老醜をさらけ出しての熱演に、たくさん賞がもらえて嬉しいだろう。
映画のなかで、敵味方で憎悪むきだしで戦っていたのに、試合が終わると レスラー同士がとても仲が良くて 互いに気を使いあったりする様子が おもしろかった。
うちとけない娘の前で、「寂しくて仕方がないんだ。」と、大きな男が大きな涙を落とすシーンも良い。彼からプロレスを取ってしまったら 何も残らない、ただのわがままな赤ん坊のような、どうしようもない男をよく演じている。もしかすると、この役者そのものの姿なのかもしれない。
ストリッパーのマリサ トメイが 良い味を出している。この人が出演している映画をいくつか観ているが、いつもストリッパーだったり、身持ちの悪い女だったりして、この人が服を着て 画面に出てきたことがない。44歳で、とても美しい体をしている。裸でセクシーなポールダンスをさせたら 本場の本物より上手だ。口をすぼめてしゃべる様子や、長い乱れ髪で男を遠くを見るような目で見つめられたら 大抵の男は クラッとくるだろう。
体が資本で 体を張って生きるしかない孤独なレスラーと 孤独なストリッパーの悲しい映画のなかで、唯一、17歳の娘を演じた エヴァン レイチェルウッドの硬く純粋な美しさが 際立っている。汗と血とアルコールで汚れた掃き溜めに突然、真白の鶴が舞い降りたように、色白で可憐な 薄幸の娘だ。父親から長いこと忘れられていた娘の孤独は、プロレスラーやストリッパーの孤独よりも深く 痛々しい。
この映画 熱い男の浪漫とか言ってしまって、男は賞賛してしまいがちだけれども、私はこんな「浪漫」は 好きになれない。大体どうして 男は格闘技に惹かれるのか。格闘技のボクシングもレスリングもスポーツではない。殴り合いではないか。ボクシングなど、ヘルメットをした上で どうして頭を殴りあわなければならないのか。
映画では、大きな体で、小さなおつむの赤ん坊のようなレスラーを ストリッパーは支えてやろうとしたが、そんなレスラーとストリッパーを理解しようとして、もっと傷つくことになってしまった娘の方が、人間として はるかに立派だと思う。
最後に昔のロックンローラー ブルース スプリングステイーンが 歌っていて、それが とっても良い。
アラフォー号泣
ナインハーフで強烈にブレイクしたセクシー俳優ミッキーロークのカムバック作品。ポリスの再結成、ヴァン・ヘイレンの再結成、いろいろ見てきましたが、このカムバックもジーンとくるほど感激。
エンゼル・ハートが彼の作品ではもっとも好きで、ロバート・デ・ニーロとも対張っていたこともありました。(キャメルの煙草を吸う姿がかっこよくて、彼の真似をし煙草を吸い始めました。悪い人です。)
さて、映画では「全盛期を過ぎたプロレスラーが、他にできることもなく、昔の栄光にすがりながらプロレスをやり続けている。しかし、彼がそれまでの人生で失ったものは大きかった。それでも、得たものもやはり大きかった・・・。」という見ていていろんな意味で痛いテーマが語られていきます。
ダレン・アロノフスキーのデビュー作の「π」はサントラまで買ってしまったほど、映像とテクノサウンドが見事に融合したスタイリッシュな作品でした。前作の「ファウンテン」では宗教じみた万人受けはしないであろう作品を製作。今回の「レスラー」でレスラーというショービジネスの裏を描きつつ、「老い」と「人生」について語っていきます。
アラフォー世代には80sのハードロック(クワイエット・ライエット、モトリークルー、ガンズ・アンド・ローゼスなどなど)もうれしい演出。「ニルヴァーナなんてくそだ。」なんて台詞でニヤリ。
不惑の40台で惑いまくっているオーヴァー40世代にお勧めの映画です。是非!
エヴァン・レイチェル・ウッドの素晴らしさ
この映画を見てみたら、思ってたのと全然違ってびっくりしました。母は私が見終わった後に題名聞いて「怖そうだね」って言ってたんですけど。。
これはいい映画だとは思ったんですけど、ミッキー・ロークやマリサ・トメイがアカデミー賞にノミネートされたのはびっくりでした。ミッキーは確かに肉体とか体を張った演技とかは凄いと思ったし、マリサも笑顔が素敵だし、ミッキーとのシーンは良かったんですけど、結構どぎついシーンとかあってこれもマリサだよね?とか半信半疑でした(彼女の映画は初めて見たので)。
それよりも私が気に入ったのはエヴァン・レイチェル・ウッドですね。彼女はまさにこれからのハリウッドを代表する女優でしょう。
猫の瞳は変わらず。
観終えて感じたのは、このレスラーという題名の意味。
なるほど、そういうことだったか。ピッタリだと思った。
これはレスラーとして人気を誇ってきた男の話ではなく、
レスラーとしてしか生きられない人間の話だったのだ。
自らの病や老い、生活における怠慢を露呈させてもなお、
ひとたびリングに上がれば大声援を浴びられる男である。
過去の栄光とはいえ…そりゃまぁ誰でも歳をとるわけで、
ひと頃の精彩には欠けるにしても、まだまだ現役だぞ。と
後輩を激励し、タッグを組み、プロレス界に貢献する彼を、
金もない。家もない。お惣菜も満足に売れぬ情けない男。
…で片づけてしまうのは、勿体ない。
ただしかし、リングの上でどんなに強く人気があろうと、
実社会ではそうはいかない。
すべてを(おそらくは)プロレスにつぎ込んで生きてきた
彼は家族を放り出し、娘すら満足に育ててこなかった。
心臓が弱り始め、自分の身体を動かせなくなって初めて、
馴染みのストリッパーに弱音を吐き、娘にも許しを請う。
こういう男の態度、女からすれば「何だこいつ!」である。
自業自得だろうが!好き勝手やってきたツケなんだから。
しかしこの描き方…!リアルでいいなぁと思った。
まるでヒーロー度を感じさせないダメダメ親父なのがいい。
ここで理解ある妻と可愛い娘と大豪邸でも出そうもんなら、
「ロッキーかよっ!」とハリウッド罵声を浴びせたくもなるが、
ついぞその気配もなく^^;物語はますます悲惨に満ちていく。
今作のレスラーはM・ローク自身だと言われている。
彼も人気絶頂期にボクサーに転向し^^;よせばいいのに
妙な柄パンはいて^^;猫パンチを繰り出したトラウマがある。
当時はセクシー俳優として名を馳せ、顔も色っぽかった。
(私は好きではなかったが)今じゃ見る影もない…と実は、
あの肌荒れと崩れ具合から観るまではそう思っていたが、
いやはや、、クローズアップで映し出された彼の瞳は、、
まだまだエロい!!!(爆)いやホントに。アッパレだった。
M・トメイを口説く表情なんてアレ、ナインハーフ系ぢゃん。
このヒト、まだまだ男をやめてないな(爆)と思えるのだった。
…と褒めておいて、なんだけど、
脚本や演出面では、さほど出来のいい作品ではないと思う。
娘の心の変遷が唐突、M・トメイの心情も描き切れていない。
その分ローク演じるラムの飾らないリアルさが前面に出され、
彼(レスラー)のための作品なんだとあらためて感動できる。
さらに期待されるラストでなく、こんなもんなんだ。の姿勢は
今までの親父ヒーロー映画とは一線を画している。
一度どん底を味わった男のしたたかさと、這い上がりつつも、
余裕の演技をする彼の風合がまさに優雅で見事な調和美。
これを哀しいと見るか。潔いと見るか。私には、心地よかった。
(ファンって本当に有難い。声援を送る方も、扇風機の風も~)
年齢を感じさせない2人にビックリ!!!
お久しぶりなミッキーローク。
しばらく見てない間に、おっちゃんになっちゃったなぁ~
・・・っと思いきや!
ありゃありゃっ
この映画のためにかなり身体を鍛えたらしく、プロレス技も伝授したみたいで、めちゃめちゃ迫力ありましたね♪
まだまだちょいワルおやじ健在です^^
そしてそして・・・・・
私が一番!びっくりしたのがマリサ・トメイの美貌(@_@。
「忘れられない人」以来、私は彼女の大ファンで、
でも最近はなかなかスクリーンで拝見しておらず、久しぶりに彼女の登場!!!
・・・って、凄すぎ(驚)
顔はともかく、あの年齢でまだまだ老いぼれてないナイスなバディ!!!
これ、マジでお見事!!!あっぱれ!・・・ってな感じです(^o^)
女性の私でも、彼女の身体に見惚れてしまいました(笑)
人間は、誰しもいつかは必ず全盛期を過ぎる時がくる。
悲しいけど、それを自分自身で受け入れる覚悟が必要なんだなぁ~
そしてその後、どんな生きかたをするべきか・・・
そんなことを思いながら観させてもらいました^^;
確実に老いはやってくるんだもんね。
お客さんを喜ばせるために、プロレスの試合前の打ち合わせには、驚きと安心しましたね(^o^)
試合中に罵声を浴びせ合いながらも、ちゃんと相手を思いやってるのには感動です。笑えるシーンもありましたし・・・^^
ただ、ラストがぁっっっ!!!
あれれっ???
これで終わり???
・・・ってな感じで、もったいないなぁ~
私的にラストが違っていたら、もっと評価が高かったですね^^;
6月15日MOVIX伊勢崎にて観賞
思ったよりも
期待をし過ぎたせいか、少し物足りませんでした。
ミッキーロークの演技や鍛えた体は凄いなと関心します。
メジャーからインディに落ちても頑張る姿は、男の生き方を感じますが、
あまり共感が出来なかったです。
主役のがんばりだけでは映画は持たない
基本的には力作。プロレスと言う筋書きのあるドラマと落ちぶれたレスラーとダブるミッキー・ロークの存在感とが生み出す微妙なずれがランディの物語に奥行きを与えているが、それ以外の登場人物がまったく深く掘り下げられていない。しかも主な登場人物はランディと娘とストリッパーしかいないのにだ。これをショーン・ペン主演の「ミルク」と比べればその差はよく分かる。演じているエヴァン・レイチェル・ウッドとマリサ・トメイは悪くないのにだ。ブルース・スプリングスティーンの主題歌も悪くないがその前のガンズのほうが来ます。
胸が張り裂けるほど切なさを感じる感動作。 その分ラストが一段と輝いて、眩しかったです。まるで主演ミッキー・ロークのドキュメンタリーのようなストーリーでした。
アカデミー主演男優賞・助演女優賞にノミネートされただけに、主人公ラムを演じるミッキー・ロークの心にしみ入るような切なさを打たれました。過去の栄光が、こんなにそのあとの人生を苦しめることとなるのか!20年前にトップレスラーだった主人公が引退を覚悟するまでの落ちぶれた姿を見せつけられますと、プロレスファンの小地蔵にとって、胸が張り裂けるほど切なさを感じた次第です。
ラムと同じく銀幕の世界で20年前には栄光と名声を欲しいままにしたミッキーにとって、この10年間は、まさにどん底の日々であったことでしょう。
本来は、ニコライ・ケイジに決まっていたラム役だったのが、アロノフスキー監督の強烈なプッシュでプロデューサーを説き伏せて、ミッキーの起用が決まったそうです。
10年間は、若い頃からの夢だったプロボクサーに転向して、再起を目指したものの、中途半端な結果のまま引退。再度俳優を目指したものの、今度は、ボクサー時代にイケメンとして鳴らした美顔を破壊されて、まともな役をもらえずにいたそうなのです。
人生何が幸いするか知れません。プロボクサーとして鍛えた躰と崩れた顔つきが、今回のラム役にぴったり。そして何よりも劇中のラムとほぼ同じ時期に地獄を見てきたミッキー自身にとって、劇中のラムは自分そのものであったことでしょう。まるでミッキーの辿ってきた軌跡にあわせて当て書きされたような脚本。そして淡々とラムの日常を追いかける映像を見るにつけて、これはミッキーの心の軌跡を描いたドキュメンタリーなんだと小地蔵は思った次第です。
さてストーリーでは、ラムの日常に密着。ドサまわりとはいえ、ラムはまだ団体のメインを張る人気があるようでした。試合のシーンは、普通のプロレス中継よりも演出されている分迫力あって、プロレスマニアでも納得できるものでした。
試合用も、その舞台裏のネタバレが面白く、敵味方に別れるレスラー同士はみんな仲がいいとか、八百長と批判されている対戦相手との試合内容の「段取り」のやりとりが出てきます。勝ち負けが絶対でない、ショービジネスとしてのプロレスは、どんな手順で勝たせるかも重要だと思います。そして強い人間ほど手順通りに試合を運んで、客をわかすことでできるのだなと本作を見ていて実感しました。ですから、「段取り」は決して八百長ではないと思います。
それとレスラーの薬漬けの日常も描かれます。実際にWWEでは薬害により突然死するスーパースターが続出して、厳しく薬の使用を制限するプロレス団体が増えてきているようです。
ラムもまた、ステロイドの副作用のために心臓発作を起こして、引退へ追い込まれました。
ドサ周りでメインを張っても大した収入にはならないようで、夜遅くトレーラーハウスに帰宅しても、家賃未納で鍵をかけられてしまい、車の中で過ごしてしまうラムが哀れでした。
そして生活のために平日は、なんと近くのスーパーでアルバイト。かつてのスーパースターがアルバイトなんて信じ難い光景です。
引退後はもっと稼ぐために、バックヤードから惣菜売り場に移動。本名を名乗っても当然客の中には気づくものもいます。しつこくラムだろうと喰い下がれたとき、とうとう堪忍袋が切れて、ラムはスーパーを飛び出します。捨て台詞を残して。
このとき画面を見ていて、そうだお前のいる場所はここでない!と、ファンに囲まれた場所にいてこそお前なのだと溜飲が下る思いがしました。
たとえ試合はドクターストップがかかっていて、命の保証はなくても。
引退に追い込まれたラムの寂しさを紛らわせてくれる唯一の存在がストリッパー・キャシディでした。
彼女の提案で、長年ほったらかしにしていたひとり娘・ステファニーに会いにいきますが、冷たく拒絶されます。ううっ厳し~い!俺はお前のお父さんなんだぞぉと言いたいところをクグッとこられて佇むラムがいじらしいですぅ~。
それでもあきらめきれないラムに、キャシディが提案したプレゼント作戦が功を奏して、やっと親子水入らずのデートが実現しました。今まで父親らしいことをしてこなかったとラムがステファニーに心から贖罪するところと、そんな父親の腕にそっと手を通し、しなだれるステファニー。やっぱり親子なんだなぁと思わせるシーンに涙しましたねぇ。
けれども、このあと交わした食事の約束を、ラムはすっぽかして、親子の縁もこれでジエンド。どこまでも、いたたまれないストーリーです。
傷心のラムは、キャシディに救いを求めて求愛します。けれどもここでもあなたは客でしかないとつれない返事が返ってきます。
本当に孤独を悟ったラムは、自分には試合しか存在する理由がないことを自覚します。心臓手術後は、激しい運動すると、胸が苦しくなると言うのに、無謀にもラムは試合に出場することを決意します。相手は20年前に伝説となった試合のときと同じ相手。リスクを背負って退治するのにふさわしい相手であったのです。
ラムが試合に出ることを知ったキャシディは、試合会場に駆けつけます。ラムの控え室に飛び込んだキャシディに、ラムは俺の居場所はここしかないと告げます。
私がいるじゃないのよと、今更に告げるキャシディを遮って、ラムは試合会場に向かいます。涙を隠しながら。子持ちのキャシディは、素直にラムの愛を受け入れることができなかったのです。二人の微妙なすれ違いも、すごく切ないものでした。
痛くて切ない分、ラストのラムが一段と輝いて、眩しかったです(T^T)
祝!ミッキー・ローク完全復活!!
ミッキー・ローク完全復活!“第66回ゴールデン・グローブ賞主演男優賞受賞”“第65回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞”ほか世界の映画祭で受賞多数の感動作。何で、アカデミーはノミネート止まりだったのか?非常に残念!
よくある話です。“どん底まで落ちた男が、そこから這い上がり、自分の生きる道を見つける”本当にありふれた、よくある話です。でもコレが、非常に感動的なのですよ!何がイイって、ミッキ・ロークが素晴らしい!!何故なら映画を観ている我々には、本作の主人公ランディの生き方が、ミッキー本人のこれまでの生き方に、まさにオーバーラップして見えてくるんです。
思えば80年代、”SEXYスター”としてハリウッドに君臨していたミッキーは、あの伝説の“猫パンチ”一発でその栄光の座から転がり落ち(いえ、決して“猫パンチ”だけが原因ではありませんが、あまりにも当時のインパクトがデカかったモンで…(^^;)、以降数年…もとい十数年間、不遇をかこっていました。そんなミッキーが本作で挑んだのは、まさにリアルな“男の復活ストーリー”でした。聞けば、監督のダーレン・アロノフスキー(←レイチェル・ワイズの旦那!)は、『ランディ役は絶対にミッキーで!』と主張して、スタジオとケンカ。予算を削減されても、ミッキーの主演を死守したそうです。エラい!!いやあ、エエ話やな~!!ミッキーも、その思いに演技で充分に応えています。それはスクリーン越しに我々にもヒシヒシと伝わってきます。
吾輩は「ナインハーフ」とかでバリバリ売れていた頃のミッキーは、正直好きじゃありませんでした。『何や、ただのニヤけたスケベやないかい!』って、感じがしてましたので(今思えばコレは、当時の吾輩の単なる“やっかみ”だったような気もしますが…爆)。あれから幾年…。本作でのミッキーは、見た目ホントにただの“オッサン”なんですよ。でもね~、そこがイイんですよ。『味がある』とかそんな単純な表現では言い表せない何とも言えない雰囲気、オーラが滲み出ています。必殺技“ラム・ジャム(フライング・エルボーの両手版)”を繰り出すために、トップロープから跳ぶミッキーの、何と美しいこと!吾輩的には、今のミッキーの方が断然イイ!冒頭にも書きましたが、なぜオスカーが獲れなかったのか…?いやそりゃショーン・ペンも良かったですけど、過去にもう1回獲ってるんやから今回はミッキーでもイイやんか!って思ってしまいました(そんな問題ではないか(^^;?)。でも、ホントに良かったです。完全復活、おめでとう!
映画としては、“よくある話”と書きましたが、プロレスファンなら思わずニヤリとしてしまうネタが満載で、その辺がとても面白かったです。対戦するレスラー同士が、事前に段取りを打合せしてたり、流血シーンを自作自演するために、テーピングに細工してたり、極め付けは“中東の怪人”みたいに言われているレスラーの正体が、実は〇〇〇〇だったり…。これは決して“ヤラセ”ではありません。プロレスはあくまでも“エンタテインメント”でございますから(^^;。
あと、この映画で特筆すべきはマリサ・トメイ姐さんの脱ぎっぷり!いやあ、この人凄いわ。腐っても“オスカー女優”でっせ!何もそこまで身体ハラんでもええんちゃうの?そりゃまあキレイな身体したはりますから、目の保養にはなりますが何と彼女、“アラフォー”どころか“オーバー40(1964年生まれ)!”なんですね。いやあ、全然そんな風には見えません。これからもドンドン脱いでいただいて…(違)。
孤独な男が輝く場所、それはリングの上!
この作品を見ていて常に感じるのは、主人公のレスラーの背中の寂しさ、だ。それは、家族からは捨てられるように離ればなれとなり、トレーラーハウスの家賃も払えられないくらいに日々の生活にも苦労している、孤独な人生を送る男の悲しさに他ならない。だからこそ、心臓発作を患い、先行きに不安を覚えて、離れて暮らす娘に会いに行ったり、好きな女性(40代半ばにもかかわらず、セクシーな肢体でポールダンスを披露するマリサ・トメイが素晴らしい!)に愛を求めたりする、孤独にも耐えられなくなった男のワビシイ姿が、とても印象に残る。
ところが、そんな寂しい男がプロレスのリングに上った途端、それまでとは一転した堂々たる姿が光り輝く。それは、主人公が元はプロレス界のスターであり、たとえ場末に落ちぶれたとしても今だプロレス・ファンやレスラー仲間の間ではヒーローだからだ。
実はこの作品、プロレス・ファンのためのプロレス映画という側面もある。主人公がプロレスをやるシーンには血を流すタイミングまで相手との打ち合わせどおりだったりすることや、リングに上がる前の準備など、プロレスの舞台裏が随所に描かれていたり、鉄条網デスマッチをそのままやってしまう演出など、プロレスの魅力を存分に見せているのだ。昨今のプロレス中継がマイク・パフォーマンスばかり長くなり、肝心のレスリングをあまり見せなくなっているだけに、レスリングの様子をしっかりと見せているだけでも、この作品はプロレス・ファンにとって痛快に感じるはずだ。
ちょっとセンチメンタルな演出が目につきやすいこともあって、この作品を見た人の多くは、家族や愛する人にも見放された孤独な主人公に、ただひたすら哀愁を感じるだけにになるかもしれない。しかし、昔のプロレス・ファンのひとりである私は、この背中が寂しい、孤独なレスラーがとても羨ましい。なぜなら、私たち一般の者たちは、どんな人生を送っていたとしても、自分が輝く一瞬があるリングに上ることなどないからだ。
どんなにいい人間だったとしても、他から離れて暮らしたり、死んでしまうと、人の記憶からは忘れられてしまうのが、今の世間だ。しかし、私たちプロレス・ファンは、鬼籍に入ったジャイアント馬場やジャンボ鶴田のリング上の勇姿を、今も鮮明に記憶し続けている。それだけ、リングの上のヒーローたちは、他の誰よりもまぶしいほどに輝いていた。
主人公のレスラーを演じたミッキー・ロークは、自分がプロレス・ファンでリングにもボクシングで上った経験があったから、この作品でもう一度、輝いてみたいと思って体当たりで演技してみせたのだと思う。そのチャレンジは見事に成功した。輝きをスクリーンから放ったミッキー・ロークに、素直に拍手を送りたいと思う。
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