「プロレスの本質は《そんなところに有るのでは無いのだ!》その答えはやがて映画が教えてくれる。」レスラー 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
プロレスの本質は《そんなところに有るのでは無いのだ!》その答えはやがて映画が教えてくれる。
1990.6.8 日本武道館での初の鶴田越え。あの時俺はスタンドに居た。
※1 昨日(投稿時間的には一昨日)NOAHの象徴だった三沢光晴が逝った。
信じられない。信じたく無い。
今日は1人で三沢を偲んで本作品を観る。
トップレスラーは誰しもが身体に爆弾を抱えている。
「ファンの為に…」その思いが強いレスラー程、無理をしてリングに上がっている。
ファンとゆうのは厄介な存在だ!より過激な闘いを見たいとチケットを買う。レスラーはその“空気”を読んで試合を行う。
この作品に描かれる主人公は、20年前に伝説的な試合を行う等、第一線で活躍したレスラーだ。テレビゲームにまでなった程の有名レスラーだったのに今は…。
映画の中で、主人公が歩く度にカメラは絶えず後ろ姿を追い掛け廻す。
以前の栄光を蓄えに生きる主人公。悔しいかな現在は“過去の名前”で何とか生活しているだけに過ぎない。
その事実を自分自身で解りすぎる位解ってもいる。
ちっぽけなサイン会に出席をするとそこには自分同様に惨めな姿を晒す同僚達の姿が…。しかしそれも生活の為には受け入れなければならない。
そんな思いを背中だけで体現するミッキー・ローク。昔は《世界一セクシーな男》とまで言われた男だ!
昔を知る者ならば映画と現実が交差してしまい、色々な思いが胸に去来する。
映画はミッキー・ローク演じる主人公が、試合前の控え室でのレスラー仲間達との会話から始まる。
どう見ても“八百長”や“仕込み”バッチリの場面が有るので、アンチプロレスを掲げる人から見れば「ほら見たことか!」となる。
しかし、ちょっと待って来れ。例えそんな事実が有ったとしても、プロレスの本質は《そんなところに有るのでは無いのだ!》
その答えはやがて映画が教えてくれる。
少し話を脱線させて欲しい。
トップレスラー程怪我を抱えているのだが、彼らはそれを隠しながら毎回リングに上がっている。
その為に欠かせないのが、映画の中にも出て来るが“薬物”だ!
団体に所属している事で、ある程度の保障が約束されている日本人レスラー(勿論フリーも多い)に比べると、アメリカンプロレスの殆どのレスラーはフリーの立場。
従って自分を売り込む為には試合をキャンセルする事は出来ない。
レスラーの死亡例に於いて、おそらく“薬物死”ではないか?と思われている事実はとても多い。
みんな薬に頼って痛みを緩和させては試合に臨み、やがては死のリングに上がってしまう。あの人に、あの人に、あの人も。ちょっと思い出すだけでも両手では足りない位に…。
他では自動車事故か?フリーの立場で全米を1人であっちへ行ったりこっちへ行ったりするレスラーは常に交通事故の危険が付き纏う。運転中に“痛み”が加わればその危険は倍増する。
引退を決める多くのレスラーの場合。自らの限界を感じたからか、この作品の主人公の様に“ドクターストップ”を言われた場合が多いだろう。今思い出すだけでも、ダイナマイトキッドの引退は衝撃的だったが、毎試合棺桶に片足を入れた状態で試合をしていた事実を知ると、三沢の様な事態にならずに「良かった!」と感じずには居られない。
昨日の三沢の様に試合中に死ぬ例はまだそれほど無いが、ファンがより過激な技の応酬を望む昨今では、今後増え続けてしまう可能性が有る。しかし、オーエン・ハートの様な死亡例は論外だ!全く悼たまれないと言うしか無い。
かなり脱線してしまった。
この主人公はやむなく引退を決意するのだが、その決意を表現するのもやはり後ろ姿。
惣菜コーナーへの新しい“花道”へと進む時に被さるファンの声援。
悔しいが“事実は事実”として受け入れる主人公。
そんな彼が新しい“心の寄りどころ”として、ストリッパー役のマリサ・トメイに自分の想いを伝える。
世界一セクシーな男の欠片も見えなくなってしまった汚れ役の姿を晒すミッキー・ロークも素晴らしいが、この映画での「客とは付き合わない」と語るマリサ・トメイもそれ以上に素晴らしい。
お互いに惹かれ会っている演技は、まさに大人の恋愛映画として見ても一級品です。
そして娘との再会場面。
引退を決意したからこそ、以前の父親としてのだらしなさを詫びての和解シーンは涙なしには見られない。この時の父娘のダンスシーンは本作品での白眉の場面です。
しかし…。
ここから先のクライマックスへと至る展開は確かに予定調和でしかない。
でも他の展開になったとしたら、それはそれで許せない思いだ。
やはり男はプロレスラーとしての人生を全うしなければ観客は納得しない。
幾らでも感動的に盛り上げられるのが可能なクライマックスなのだが、映画は実にあっさりと幕を閉じる。
本来ならば感動的な筈の娘とのダンスシーンを始め、一番盛り上がる場面なのに…。
それが映画を観た全ての観客の気持ちでは無かろうか。
しかし、映画はそんな観客の思いをはぐらかす如くエンディングを迎える。
まるで「この男の行く末かい?聞くのは野暮だよ!」と言っているかの様な最後でした。
それがこの作品が各映画祭で絶賛を浴びながら、より大衆的に偏ったアカデミー賞から無視をされた原因の様に思える。
近年格闘技ブームは下火で関係者は苦しい経営を強いられている。
一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったK-1。
数年前には紅白歌合戦の牙城を崩す視聴率をも得た総合格闘技。
亀田問題に揺れたボクシング界も多数の世界チャンピオンを擁しながら、以前ほどの活況は見られない。
ましてや団体が乱立してしまい、コアなファンでさえも細部まで把握出来なくなってしまった現状のプロレス界は…。
NOAHの社長兼トップレスラーとしての激務をこなしていた三沢光晴の、事故に至る前までの心痛は察するにあまりある。
相次ぐ人気レスラーの怪我や病気による離脱。
それに追い討ちをかけたテレビ局との放送打ち切りによる経営の悪化。
テレビ放送が無くなった事から目立ち始めた観客動員の低下。
休みたくても自分の立場ではそれは許されない。
若手の育成が急務だからこそ、世界一“相手の技を受け続ける”事で、プロレスの凄みを見せ付ける事で解らせる、《観客との勝負》
全ての事柄が悲劇へと向かってしまった。
事故の翌日、NOAHは次の会場へ向かい予定通りの興行を行った。
今後も同様な事故が起きないとは限らない。
例え起こったとしても、やはり翌日にはチケットを買ってくれた観客の為に興行は行われるだろう。
あらゆる格闘技の中でプロレスだけが異なっているのは、プロレスだけが“相手の技を受けてこそナンボ”の世界。
だから理解出来ない人には全く理解出来ない。
今回は殆ど映画のレビューとはかけ離れた文章になってしまった。
それもこれも全て俺がこの主人公同様に…。
プロレスが大好きだからだ〜!
※1 今は消滅してしまった映画レビューサイトに、このレビューを投稿したのは。三沢が亡くなった翌日に本編を鑑賞し、その日の深夜にレビュー投稿した。
(2009年6月14日シネマライズ/UP theater)