「散り際の美学」レスラー かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)
散り際の美学
自ブログより抜粋で。
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ミッキー・ローク主演作は高校生時代に映画館で観た『エンゼル・ハート』(1987年、アラン・パーカー監督)以来の鑑賞となる。あれからまさに20年。
昔の人気絶頂時代を知っているが故、主人公ランディの姿がいやが上にもミッキー・ローク自身、あるいは同じように歳を重ねた自分自身の現状とも重なり、リアリティとともにえもいわれぬ感慨を感じずにはいられない。
カメラは何度となく、前へ突き進むランディの背中を捉え、彼を取り囲む環境を見せていく。
ドキュメンタリータッチの演出は、ファミリー然としたプロレス業界の裏側をほほえましく描いていて愉しい。
しかし身体の限界を悟り、引退を決意したランディは、否応なしに厳しい現実を知ることとなる。
ランディが引退後の自分の居場所を探し求め、紆余曲折を経てたどり着いたその場所は、彼の人生そのものである慣れ親しんだリングの上だった。
ランディの選んだその選択は、観る者によっては「現実逃避」と映るかもしれない。しかしそれは違うと思う。
ランディが自業自得と自覚している現実は、決してありがちな“冷たい世間”や“暮らし難い社会”などではない。
己の望み通りに生きてきた報いとしての“孤独”が彼を苦しめるのだ。
孤独の中でのたれ死にすることが、現実に打ち勝つことであろうはずがない。
この映画の壮絶なラストは多分にランディの“死”を意識させるが、カメラはそれを見せない。なぜならダーレン・アロノフスキー監督の意図はそこには無いから。
ずっとランディの背中、すなわち彼の“ゆく末”を追ってきたカメラは、ここにきて彼を真っ正面から受け止める構図で幕を閉じる。
それはランディの自業自得が招いたみじめな末路ではなく、彼の最期の“生きざま”を捉えんとする視点だ。
誇り高き男が人生を見つめ直した末に選んだ決死の覚悟、それは日本流に言うなら“骨を埋める覚悟”であり“散り際の美学”と呼べるもの。
ランディは自分の蒔いた種が今の孤独を生んだことを知っている。と同時に、その種はファンの待つリングの上でこそ花開き、そして散るものと悟った。
その美学を端的に見せた鮮やかな終幕に、ランディ、そしてミッキー・ロークの20年間の苦渋を想いながら涙した。