「アナの味方はレビューにも一人も居なくて泣いた」私の中のあなた M.Sakaiさんの映画レビュー(感想・評価)
アナの味方はレビューにも一人も居なくて泣いた
弁護士がアナの味方は居ないんですかと聞くほど、本当に劇中にアナの味方は居ないまま始まり居ないまま終わるが、レビューでも同じ現象が起こっていて絶句した。
母親のアナへの鬼畜サイコパス鬼虐待っぷりが凄すぎていっそ清々しい。ジェシーにもネグレクトをこいているが、試験管ベビーとはいえ自分で産んでるアナを全く娘と思っていないところがすごい。
徹底的にアナをケイトの為の臓器パーツとしか思っていなすぎて、最後まで初志貫徹で一切改心せず、ケイトが亡くなったら私には子供は居なくなったから働きますと…。異次元レベルの虐待だと思ったし、そもそもこれは「誰も知らない」のような、観客に嫌悪感を感じさせ考えさせたい映画なのだと信じて疑わなかった。
フィクションの人物であるこの映画の母親について、明確な殺意を覚えた程なので、狙い通り良く出来ているなと思ったのだが…
「この映画で言いたいことはアナが娘として扱われていないことではない」「家族の愛に感動」
そういった感想しか出てこないということは、
ケイトのことさえ愛していればいい、そもそもアナは家族ではないというあの母親と同じ考えの人が多いということだ。
ケイトが生きることを望んでいたら、アナはケイトの為に当然犠牲になるべきと考えているからこそ感動できる。
劇中母親は一切アナを娘として扱わない。ケイトの病室では親戚の目もあるからかアナと隣に座っていたが、若干体を背ける徹底っぷり。ケイト亡き後も母娘とは思えないほど離れて座るアナと母親。
初志貫徹アナに対して一切の謝罪も罪悪感もなく、故意に母親をそういう異常者に描いていると思ったのだが、誰もそう感じなかったようだ…
父親は傍観することで虐待に荷担しており、ジェシーは彼自身も被害者であるものの、ケイトが死にたいと望んだからアナに協力したのであり、もしケイトが生きたいと望んだら父親同様傍観するのだろう。
実はケイトが死にたいと望んだから、ということこそどうでもいい。この映画に家族愛を感じることはアナは家族ではないことを認めることになる。
どうか制作者の意図は「劇中誰もアナを家族ではないと思っていることで観客に考えさせたい」であると願いたい。
そうでなければ怖すぎる。