スラムドッグ$ミリオネアのレビュー・感想・評価
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かなりよかった
私にとってアカデミー賞受賞作品というと、社会派で、人間の醜い部分を描き出す、暴力的、などといったイメージがあり、意外と苦手だったりします。でも、もうかれこれ15年近く前「ムトゥ 踊るマハラジャ」というインド映画にはまった私としては、インドが舞台のアカデミー賞作品をどうしても見てみたくなりました。
で、見てみた印象はやっぱり社会派で、人間の醜い部分を描き出しており、暴力的でしたが、多少は笑いの要素もあり、時間軸を行ったり来たりする構成も面白くて、かなりよかったと思います。
監督はイギリス人ですが、舞台はインド、キャストもほとんどインド人ということで、インド映画っぽいようなそうじゃないような不思議な感覚でした。
インド映画といえば、大人数でのダンスシーンがお約束ですが、この映画ではまさかないだろうと思っていたら…?
音楽は「ムトゥ 踊るマハラジャ」と同じ人でした。
それにしても、クイズ・ミリオネアのルールって、日本と全く同じなんですね。
反吐が出そうで、目が醒めるような傑作
反吐が出そうなほど汚く、家畜以下でしかない極貧の子供達。しかし圧倒的なインパクトと力強さと存在感。どうしようもなく単純なストーリーだけど、これほどまでに1シーン毎に感動的なのはなぜだろう。恐らく今の日本人がまったく同じストーリーで映画を作ったとしても半分のクオリティーも達成できないだろう。筋書きなどいらない。この人間力、生命力。しかしインド人というのは気性が荒いというか、躍動的な国民性なんだなとつくづく感じる。
同じような極貧層の子供に焦点をあてているという点で『シティーオブゴッド』に似た世界観をも併せ待つが、この作品のほうが内容的にはもっと優しさがあるし、内容的にははるかに単純明快だが、何となくシンクロし得るというか、2作同時に楽しむと改めてさまざま感慨深いものがあるような気がする。
最後は、インド映画お決まりのダンスが入る。これを観て北野監督の『座頭市』を思い出した。あのダンスシーンはインド映画からヒントを得たものなのだろうか。あるいは、この映画の監督が、『座頭市』の映画を観て、『逆輸入』する形でこのシーンを入れたのか。ただの偶然なのか。
とにかく理屈抜きに、目が醒めるような作品である。解説は必要なし。ただ観るのみ。
ポータブルDVDによる車内鑑賞レビュー
通勤時間を活用して、ポータブルDVDプレイヤーで車内鑑賞、モバイルPCで感想文を車内執筆をしております。
今作は
■ 「生命力に満ちたインドの民衆」 VS 「前近代的で陰鬱なインドの現実 」
という 凄まじいほどの陰影の差に瞠目し、
■ 「取り調べ室」 ⇔ 「クイズ$ミリオネア」 ⇔ 「ジャマールの半生」
(現在) (ちょっと前の現実) (過去)
という 3つの時空間を縦横無尽に行き来していく構造に狂喜しながらも、
■ ジャマール → 「クイズ$ミリオネア」 ← ラティカ
という 終盤の盛り上がりを捻出できた構図までもを
活かすことができなかった、残念な映画。
と、勇気を振り絞って発言させて頂きます。
制限文字数では語り切れず、完成版はこちらまで、ネタバレ注意。
↓
http (ダブル・コロン) //ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-99.html
これは正統派の純愛ドラマだ
文句なしに面白い。
スラム育ちのジャマール(デーブ・パテル)と、クイズ番組MCで教養あるクマール(アニル・カプール)の静なる戦いを進行役にして、ジャマールがなぜ難問に正解していったのかを解き明かしていく。それは、親をなくした幼い子供たちがスラムで生きていくことがいかに過酷なことかを物語るものだった。
クイズそのものは西洋文化を知るものにとってそれほど難しいものではない。この映画は、問題を解くことはさして重要ではない。なぜ無学の青年が難問題のクイズ番組に出ようとしたのか、その真意が最後に明かされる。
「運じゃなく、運命だった」これは正統派の純愛ドラマだ。
随所に笑えるシーンを散りばめ、音楽も色彩も最高!
p.s. どこの国でもTVの司会者というのは意地悪そうで、「お嬢さん」が口癖の某司会者に似ているものなのか?
総合エンターテイメント映画として優れた作品
インドが抱える社会問題を浮き彫りにした重い内容を含んでいるが、クイズショウという特殊な設定のもとにテンポのよい構成と音楽で、エンターテイメントに昇華させている点が見事だと思った。純愛物語としても見ることが出来るし、インド映画のお約束であるミュージカル要素も盛り込んだ、まさに総合エンターテイメント。
過去と現在が交錯する構成はよくあるけれど、ジャマールの少年時代、クイズショウの本番、不正を疑われ警察に取調べを受け過去を告白するジャマール…と3D構成になっていることで、わずらわしい説明なしに物語を追うだけで彼の半生を自然に理解できる。
ライフラインの使い方も実に巧み。
インドの混沌とした社会背景と疾走感のある打ち込み系ダンスミュージックの融合も斬新。様々な悪意から逃げながら生き延びていく疾走感に溢れたジャマールの人生を音楽が何よりも伝えてくれている。
日本映画であればラストで負けるオチもありだと思うのだが、形としての"勝ち"にこだわったラストも清々しく後味が良かった。
後味の良い大いなる結末に拍手
自ブログより抜粋で。
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この映画は三つの時間軸を同時進行で描いていく。
ジャマールが正解し続けるクイズ番組の進行に沿った時間。
正解に結びつく彼の人生を追った時間。
それを説明する警察署での時間。
映画の冒頭で、観客にひとつのクイズが提示される。「ジャマールはなぜミリオネアになれたのか?」
その解答の選択肢は、「A:インチキだった。B:ついていた。C:天才だった。D:運命だった。」の四つ。
映画としての正解は終幕時に提示されるが、映画製作の裏方である自分にとっての正解はこの中にない。ひどくうがった見方で申し訳ないが、作り手側の発想での答えは「脚本家がそうしむけたから。」だ。
原作があるそうだが、脚本の組み立て的には、彼の過酷な半生の中から、かいつまんでクイズを出題&正解しているだけなので、そこだけ見れば究極のご都合主義映画と言っていい。
正解し続けるとわかっているクイズ番組なんて退屈なだけのはずだが、もちろんこの映画はそんな単純な話ではない。
クイズ番組を題材にはしているが、本当に見せたいのは彼がクイズに正解し続けるのとシンクロして描かれる、過酷な運命をはね返し続ける、たくましい生き様、一途な純愛にある。まずこの構成が巧い。
映画の中では「こういう人生を歩んできたからクイズに正解できた」と説明されるが、映画の構成は「難しいクイズに正解するかのように多難な人生を生き延びている」。
ジャマールが生きてきた半生は胸が締め付けられるくらいにつらいものなのに、映画からはどこかファンタジックな印象を受けるのはそのためだ。
ご都合主義映画と言ったが、そんな安易に作られていないことはジャマールが答えに窮した場面に表れている。
「クイズ$ミリオネア」では、回答者が答えがわからなかった場合に“ライフライン”と呼ばれる救済措置が用意されているが、この使い方がまた非常に巧みで、映画的にほかのどんなクイズ番組でもなく、「クイズ$ミリオネア」でなくてはならないという作りになっているのに感心した。
そのひとつが、ジャマールがインドの人にとっては常識的な問題の正解がわからず、番組の観客に答えを尋ねることのできる“オーディエンス”を早々と使ってしまうこと。
これによってジャマールはやはり一般常識すらままならないことが明示される。
多くの問題はジャマールの生々しい記憶から出題されるが、“フィフティ・フィフティ”を使う場面は、彼の“忘れられない記憶”ではなく、半生に裏打ちされた“たくましい本能”が正解に導く。
そこに至るまでの半生を目の当たりにしたあとでのこの選択は、たくましさと同時に、ほかのどの正解よりも哀しみを感じた。
この脚本が巧いのは、あらかじめほとんどのクイズをすでに正解していると最初に明示しておきながら、最後の問題だけはクライマックスまで残している点にもある。
しかも勘のいい観客なら、かなり早いうちにその最後の問題を予想できてしまう。出題された瞬間、「ああ、やっぱりこの問題か」と思った。
その「ああ、やっぱり」と思わせる伏線の張り方も巧いが、さらにそこでジャマールがこの問題に正解して真に億万長者になるのか、最後の最後で不正解となってすべてが水の泡と帰すのか、そこが最大の見所と見せかけて、実は“ファイナルアンサー”の前で、すでにジャマールにとっての「クイズ$ミリオネア」はファイナルを迎えているという落としどころもいい。
もうジャマールにとって最後のクイズに正解するか否かはたいした問題ではない。となると、映画的にもそれはどちらに転んでもかまわない状況とその瞬間は思ったのだが、そこで脚本家が選ぶ結末は冒頭のクイズに対するファイナルアンサーでなくてはならない。
だからこそ、ジャマールを翻弄し続けた兄・サリーム(マドゥル・ミッタル)の決着と対を成す形で、彼が賞金を手にするか否かがきっちりと明示される大いなる結末に、観客は拍手喝采を贈ることになるのだ。
時間を忘れてしまう映画
スラムドッグ$ミリオネア最高
泣けました。とことん、あざとかったけど。
インドの現状とは・・・このままである。
インドの みのもんた も嫌な感じのやつ
インド映画版『ロッキー」
というわけで、次の日めげずに本作を観に行きました。先日観た「グラン・トリノ」があまりにも重たかったので、それまでのダニー・ボイル作品に貫徹されているエンディングの爽やかさに期待してました。
やはりこの監督さんいいですね。グレープフルーツのように酸味や苦みもあるけど、結局最後に本作も爽やかに終わるのです。「トレインスポッティング」から、この人はお金というものに対する感性が違うと思っていましたが、本作もそれをお見事に扱っています。
インドをファンタジックに仕上げる映像感覚と音楽のチョイスもすごい。とにかく、あらゆる要素を愛したくなる名作中の名作だと思いました。ほんと、この映画に対するコメントはこれだけ。
本気でいい映画でした。
well-made な作品、インドでの評価が気になる
ストーリーや伏線の構成が上手く出来ているお芝居を
演劇ではよく"Well-made play"と呼ぶそうですが、
まさに ウェルメイド、良く出来た映画でした。
主人公ジャマールのこれまでの人生とクイズ$ミリオネアとが
上手く交錯しながらのストーリーテリングが凄い。
クイズの答えの1つ1つに彼の人生が重なって行く…。
それが、ダニー・ボイル監督らしいテンポの良い映像で描かれる。
とにかく、走る、はしる!音楽も映像もカッコいいし、ヒロイン・ラティカも可愛い…。
いかにも人の良さそうな顔をしているデヴ・パテルが
ジャマールを演じていたのも説得力があるのかも。
とはいえ、少し気になったのがどこまで「リアル」なインドなのか?ってこと。
ある意味、本当の部分もあるのだろうけど、今でもスラムの子供達は
オジサンに連れ去られちゃったりするのか?とか。
「ガイジンの観た日本像」みたいに、ちょっと曲がったイメージになっていたとしたら、残念だなぁ。
インドの人がこの映画をどう観ているのか気になるところです。
最後にインドらしさを持ってきたのは、監督のボリウッドへのレスペクト?笑えました。
ラスト20分が減点、でも抜群に面白い!
この作品がアカデミー賞に輝いたのは、構成力と演出力の高さの勝利たろう。クイズ番組からどんなストーリー展開をするのかと思って見ると、クイズの問題から、スラムに生まれた主人公の生き様、インドの貧民たちの生活ぶりを描くという、見事な構成で作品全体を組み立てていたのには驚かされた。その構成の面白さに惹かれて、偶然性が強すぎるというシナリオの欠点も全く気にならなかったのは、この作品がもつマジックに自分が翻弄されたからだと思う。映画は、観客をいかに騙せるか、が生命線でもあるので、その意味では、これほど見事に騙された作品は近頃珍しいと思う。
さらに、その見事な構成を展開させたのは、監督ダニーボイルの演出力によるものだ。この監督は、「トレインスポティング」以来、疾走感ある演出で定評があったが、スラムの子どもたちから成長した主人公まで、今回もスクリーン狭しと疾走させるテンポの早い演出は、爽快さすらおぼえるほどだ。以前は自分の演出に振り回されていたようにも感じたダニー・ボイルだったが、構成がきちんとされているシナリオによって映画全体が落ち着いてきているのも、好感がもてた。
ただ、ラスト20分の描き方は、ちょっと納得できない。一度は、主人公が不正をしたのではと報道されているのなら、あれほど民衆が熱狂するのはありえないだろう。やっかみもあれば疑いの目で見ている者も多いのと、わざわざ盛り上げるような演出をしなくても、充分に観客はラストの展開にも期待しているのだから、画面に熱狂する民衆などいれず、観ている側をもっと興奮させる演出がほしかった。
しかし、この作品のエンタテイメント性の高さは、充分にアカデミー賞ものだと思う。これはハリウッド製作ではないが、ハリウッドからもっと、このような作品が生まれれは、映画興行はもっと盛り上がるものになるだろう。
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