「ゲームに勝つということ」カイジ 人生逆転ゲーム かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)
ゲームに勝つということ
自ブログより抜粋で。
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シンプルなお話にしては“地下帝国”が少々回りくどく感じられたり、高層ビルでの“鉄骨渡り”にあまり高さを表現できていない演出の弱さを感じたりと、気になる点もありはしたが、実力派揃いの俳優陣の演技合戦に最後まで緊張感が途切れずに観られた。
テンポ良く始まる導入部から後味のいいラストまで手際よく消化されていくエピソードにそつはなく、独創的な世界観も映画的な愉しさに満ちたものだ。
ただ、ふと気になったのはその妙に爽やかな後味の良さ。
最後にカイジが果たした約束は、自分のことを顧みないこんないい奴だから負け組人生を送ることになっちゃうんだという“おかしみ”をはらんだ行為。
それは負け組からの人生逆転というより、こんな人生でも自分らしくあることを肯定したような幕切れに思えた。
戦いのさなかで散っていった仲間たちにも同じような好感を持つ。
彼らは負け組同士の戦いに敗れてしまった、言うなれば負け組の中の負け組。光石研が演じたおっちゃんこと石田にしても、友情出演の松山ケンイチ演じる佐原にしても、結局は這い上がれないまま舞台から消えていったわけだが、そこには彼らなりの生き様があった。
そういった良識ある娯楽作品としてのスタンスは、こういう時代にあって心のどこかで勝ち組になれなかったと自認している、あるいは勝ち組・負け組といった階級制度的な物言いを嫌う多くの者にとって、それなりに耳障りのいいものだろう。
ただ一言余計なことを言わせてもらうと、実は死人も多く出ているはずなのに、利根川が負け組たちに向かって吐く過激な言葉ほどには作品に“毒”は感じられず、それが娯楽映画としての心地よさにつながるのだが、と同時に、時代にマッチした「あきらめない」というテーマまでもが生ぬるく感じられたというのが正直な感想だ。
「勝たなきゃゴミだ!」と言い放つ利根川の乱暴極まりない言葉もあながち間違いではないからこそ、この荒唐無稽な人生逆転ゲームが観る者の共感を呼ぶのではないか。その暴言こそがこの映画の絵空事な世界観を支える唯一のリアリティであることに皆気付いているはずだ。
ある面での時代の真理を浮かび上がらせておきながら、“本当のこと”を口にしてしまう暴君を打ち破るだけでは、耳の痛いことに蓋をしただけのように思えてならない。
映画が終わった後も、おそらくあの地下帝国では以前と変わらぬ強制労働が続けられているであろうにも関わらず、そこから目を背けた結末からも、それは連想される。
虐げられる弱者を描いたエンターテイメント志向の映画として、この映画のラストに、やはりマンガが原作の『イキガミ』(2008年、瀧本智行監督)を思い出した。
『イキガミ』もこの映画と同じように、最後に体制が変わるわけではない、言ってみれば何も解決しない終わり方だったが、そこにはそんな社会を憎む、強い意志が感じられた。
元の生活に戻ったカイジはこの希有な体験を通して、なにか変わったのだろうか。
結局カイジは、ゲームのルールに則って、そのゲームに勝っただけなのだ。
しかしそのルールこそが、勝ち組・負け組を作り出しているという事実、しょせんはルールを決めた者の手の上で踊らされているだけということを、この映画は描き切れていなかった。
爽快なラストから感じた違和感の正体は、そんなところにある気がする。