精神のレビュー・感想・評価
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この人達に『PLAN75』は救いになるのだろうか?
キャベツを切る姿を見て、人には色々な人がいると感じた。多分彼女は真剣にやっているはずだ。それが凄く良く理解出来た。それだけでも、この映画見て良かったと思う。
この人達に『PLAN75』は救いになるのだろうか?
僕の頭の中にも『PLAN75』と言うインベーダーがいる。映画が好きでたまらなかった僕は『PLAN75』を見て映画が嫌いになりそうだ。勿論、僕だけのインベーダーだと思う。
健常者と障がい者の間には◯◯がある
精神疾患を持ち生きづらさを抱えている人たちと、精神科医山本昌知氏の日常を「観察」した映画である。
病気ではなく人を看る
本人の話に耳を傾ける
人薬(ひとぐすり)
看るを「観る」に変えると、対人援助職の関わりかたと同じである。そしてそれは権威がある人ほど難しいはずだ。だからこそ山本先生は頼りにされるのだろう。
健常者と障がい者の間には「カーテン」があると患者の発言があった。そのカーテンは「偏見」であり、健常者が作ることもあるが、障がい者も作ることがあると言う。
私は精神疾患を作るのは、心無い、未熟な健常者であり、「障害」は健常者そのものだと思っている。そして「偏見」は健常者の未熟さそのものだとも思っている。
考えて考えて
今散歩から戻って来ました。今日空は薄暗く雲は灰色でした。
駅のそばの田んぼをよく歩きます。
お天気の良い日は太陽が出てくる所を見て、なんか解らないけれど強い大きい光が
私の体の中に入って来るのを感じます。雲も良いですよ。
だから、何度も立ち止まり空をみます。
何日か前から映画「精神」で感じた事を書きたかったのですが、なかなか纏まりません。
山本先生の相手を否定しない「あんたはどうしたいの?」という言葉良いですよね。
私にも問いかけて欲しいと思いましたよ。明確な答など出せない自分はそれが病かも知れない?
出せないまま今に至ると言う事はいいかげんに生きて来たのかも・・・。
答を出そうと突き詰めて思い懸命に考える人は、結局は自分を卑下しこの世に生きていてはいけないと感じたり、
逆に世間が悪いと怒りが爆発してしまうのではないかしら。
鬱病と言ってもいろんな症状があるし、統合失調症でも千差万別なのかも知れないので一概には言えないけれど。
理論家の患者の話は頷けますね。
カーテンの話、また彼はクリスチャンでキリストは共にあるというような文章読んだでしょ。
知的な彼はもっと居ましたね。カットの彼=菅野さん、それと三宅のイクちゃん(医師だった様です)
イクちゃんはただ頭をかきむしり声も出さない、妙に気になりました。
「こら-るのブラックジャック」と菅野さん(ヘビースモーカー)が言った時少しイクちゃん笑いましたね。
「肺がんの手術をイクちゃんにして貰いたいけど高いよね。いくら?」なんて菅野さんの優しさいいよねー。
彼も山本先生に救われたから出た言葉ではないかしら。菅野さんの詩集も良かった!
女性の方々もいろんな話をしてくれていました。
診察前にうつになった時はどんなに苦しいかを話してくれた女性、亡くなったのですね、三宅のイクちゃんも。
今の自分は体の衰えとどう付き合うかとか、
人生を達観する事の出来ない精神力の弱さを見つめつつ生きています。
☆☆★★★ ※ 鑑賞直後のメモから 『選挙』の監督による観察映画第...
☆☆★★★
※ 鑑賞直後のメモから
『選挙』の監督による観察映画第2弾。
いきなりタイトルの下に《観察映画第2弾》と出て「おいおい!」…と言った思い。
『選挙』は主人公にあたる山内和彦氏のキャラクターが絶品だった。
実に頼りない上に、周りの空気を読み過ぎるマイナス+マイナスの要素が、いつしか特大の➕へと転じてしまう不可思議な、日本特有の選挙制度を。ただ観察するだけで、皮肉に繋がる面白さだった。
ところが今回は、心の病を抱えた人達の観察。
はっきり言ってこれは観ていて辛い。
『選挙』の時とは違い、対象となる人達の気持ちが《死にたい!》…とゆう、重いテーマを抱えているだけに笑えないのだ!
いや、本来ならば笑ってはいけないのだろう…。
おそらく本音で言えば、「是非とも見て考えて欲しい!」…と言った方が正しいのだろう?とは思えるのだけれど。
しかし、実際に出来上がった作品を観ると。「笑って貰って結構!」…と言った意識で演出されている気もする。(実際問題、予告編だけを観たらその様に作られているのだが…)
それを製作者側及び、数人の対象者双方に見受けられるからなんですが…。
それゆえ、『選挙』を観た人達が感じる。「やっぱりこれってどこかおかしいよね〜」との思いも。今回に関し、個人的には「だから何なのだろう?どう感じて欲しいのだろうか?」…との思いを強く持ってしまった。
こんな俺は、意識の低い人間なのだろうか?
2009年6月21日 シアターイメージフォーラム/シアター2
居場所
どんな人でも居場所があれば、なんとか笑えて、なんとか生きられるんだ。私達の国がこんなに息苦しいのも、色んな人の居場所を沢山奪ってしまったから。カーテンで囲いを沢山してしまったから。
精神病の人の溜まり場『こらーる岡山』は、そんな囲いを外した皆んなの居場所です。それは、まるで『何でも屋』さんの集まりのよう。だって、健常者なんて誰一人いないんだから。いや、人間は誰一人として健常者ではないんだから。
『こらーる岡山』は、人を自殺するまで追い詰めたり、disったりする『こちらの世界』とは無縁です。狂ってるのは、一体どっちなのか。想田監督の聡明なカメラからは、そんな言葉が聞こえてきそうです。
つらかった
精神病院の様子は滅多に見ることができないので興味津々で見たのだが、この世の不幸を濃縮したようなつらい場面の連続でつらかった。うつ病も精神病もなりたくてなる人はいないのだが、なるべくならないように願いたい。
中でも子供を虐待死させてしまった女性の話がつらかった。その後、また子供を授かったそうで安心した。
病院が和風の民家だったことにも驚いた。先生が朴訥としていて、話を聞いているような聞いていないような、それでいて親身であるという絶妙な距離感で、そうじゃないと務まらないのかなと思った。
正常と異常の境界線は?
アップリンクで鑑賞。
前作の「選挙」に続いてテロップ・ナレーションのない相田監督の手法はスゴイ!!
観ている側も常に頭をフル回転させながら絶えずスクリーンを追わなければならないので、鑑賞後はブドウ糖が欲しくなりました~!!
それにしても患者が自分自身を語る時みんな冷静に自分自身を語っていたのは意外!!
健常者でもまとまりのない話をダラダラと語るやるや被害妄想が強い奴が結構いるけど、
結局、正常と異常の区別なんてごくわずかでしかないだな~!とこの映画を観て改めて感じました。
モザイクも取っ払った!
登場する患者さんは全て撮影を承諾してくれた人で、実名でモザイクもかけません。
想田監督は精神障害者と健常者との間にある、“カーテン”を取り外したいと願うのです。
モザイクは相手のプライバシーを守ると言いながら、実は撮る人間の立場を守っていると言います。
クレームや訴訟を免れることで、撮る方が楽になるというのです。
しかし想田監督は、それらのものも悉く引き受け、撮影が終わったあとも患者さんたちと一生の付き合いをしていくと言っています。
そこまで覚悟を決めた監督の姿勢には、全く感服するばかりです。
舞台は、古ぼけた大きな民家を診療所にした精神科。
白衣やユニフォームを着た人はおらず、誰が何なのか分かりません。
待合室は隣の棟で、幾つかの畳の部屋に患者さんたちが好き勝手にしています。
ただの家にお客さんたちがたむろしているようにしか見えません。
それらを見ていると、障害者と健常者の区別はつきません。
患者さんの一人が語っていたように、健常者にも完璧な人間などいない、誰しも欠陥を持っている、そこから自らも偏見を取り除いていったといいます。
患者さんたちは、やはりそれぞれ壮絶な体験をしてきています。
様々な困難を抱えた中でも、本を読み思索を深め、趣深い心に沁みる言葉を語る患者さんもいます。
詩人であり、賢者であり、ユーモアもたっぷりです。
こういう人たちがいるのも、診療所の“赤ひげ”山本医師の存在があるからでしょう。
無骨なじいさんですが、患者さんの話に耳を傾け、親身な言葉を投げかけます。
それによって患者さんたちは落ち着き、人を信頼することができるのです。
患者さんたちが映画撮影を承諾したのも、山本医師に支えられているからでしょう。
精神障害者と健常者の間のカーテンは容易にはなくならないとはいえ、こうした一歩が積み重ねられていくことが大切でしょう。
その試みこそが評価されるべきだと思います。
カーテンを開けたいという想田監督の想いは、我々に何かを投げかけてくれるのではないでしょうか。
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