グラン・トリノのレビュー・感想・評価
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渋いイーストウッド
頑固で渋いイーストウッドが楽しめる。
ブラックな会話も満載。
意固地で頑固なウォルトが隣に住むモン族の少年と少女と少しずつ交流して心が通い合う。
最後はなんとかしてタオをチンピラ達から遠ざけたかったんだな。ウォルトなりに作戦を練って決行したんだな。
タオには幸せになってほしいと思った。
前半はとても笑えるうえ、後半30分からの締まりが見事
前半部分は少年とのくそったれで楽しい会話が楽しい。思いのほかブラックさにあふれていて(個人的にそういった類は受け付けるので)、より楽しめた。
とにかく印象的だったのは、ラストのタオが従兄たちの逮捕を黙って見届けるシーン。個人的な意見だが(様々な解釈があると思うが)、なぜイーストウッド演じるウォルトが丸腰で従兄たちの家に行ったのか。それは、従兄たちが自分を殺し、逮捕される、それをタオが見る。ウォルトはそうすることでタオに、タオが犯そうと思っていた復讐・人殺しはしょうもないことであって、自分のように罪の意識を抱えてこの先の人生を生きてほしくない、というメッセージを最後に遺して逝ったと解釈した。
自分で言っておいて正直安直すぎるとは思うが、素朴で普遍的ともとれるメッセージを心に訴えてくる形で伝えることができる、イーストウッドはやはり素晴らしい人物だ。
自分が家庭を持った時、またもう一度見たいと思う。
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自宅(CS放送)にて鑑賞。C.イーストウッド監督・製作・出演。ラストシーンで顕著だが抑えた色調と単音の音楽はこの監督の十八番芸。イーストウッドは抜群の演技力で頑固親父を熱演。一方、“タオ・ロー”役のビー・ヴァンはやや無理があり、特に怒りをぶつける様な感情的なシーンに難有り。本作でも触れられる死生観はこの先に監督・製作・音楽で参加した『ヒアアフター('10・震災発生で津波の描写が問題になり直ぐに公開が自粛されたが劇場で鑑賞)』に繋がって行くのかと納得。微妙だけど嫌いじゃない一作。65/100点。
・鑑賞日:2011年9月17日(土)
【ネタバレ】必要に迫られたとき、自分ならどんな判断をするか?
初クリント・イーストウッド作品!
俳優としてだけではなく、監督としても名高いものの
SF好きの自分としては中々手が出なかったジャンル。
Amazonプライムのおすすめ映画サイトの上位に
紹介されていたので視聴してみた。
朝鮮戦争に出兵したクリント・イーストウッド演じる
ウォルト・コワルスキーは、
妻に先立たれ老後の人生を静かに送っていた。
ある日、隣にモン族の家族が移り住んできた。
長男タオは従兄弟のチンピラから
自分たちの仲間になるよう強要される。
真面目なタオは拒否しながらも断りきれず
ウォルトの愛車グラン・トリノを
夜な夜な盗難するよう命令される。
後日タオは謝罪のためウォルトの仕事を手伝いたいと願い出る。
この交流をきっかけにタオ・姉スーとの、親子のような絆、友情が生まれていく。
その一方でチンピラからの勧誘はエスカレートし嫌がらせが脅迫へと変わっていった。
スーがチンピラたちに拉致され
目も当てられない姿で戻ってくる。
ウォルトは復讐のためチンピラたちのアジトへ向かう……。
というお話。
この映画は「生きる」「死ぬ」、命を「救う」「奪う」など
「生」と「死」の価値観をテーマに描かれていると思った。
ストーリーの前半で神父が
「死はほろ苦い。悲しみはつらいが、魂の救いは癒し」と
「生」と「死」の価値観を言い表した。
それに対してウォルトは
「生と死を朝鮮で3年間見てきた。
人を撃ち、銃剣で刺し殺し、17歳の子をシャベルで殴り殺した。
一生頭に焼き付いているおぞましい記憶。
生とは、戦争から生還して家庭を持ったこと」と
全く違う考えを示した。
さらに「上官に命令されず自分の判断でやってしまったのが恐ろしい」とも。
ウォルトはその場を解決するときに「死」を選択してきたのだ。
その価値観は老後も変わることはなかった。
黒人に絡まれたスーを助けるとき、拳銃を突き付け半ば脅していたし、
タオたちに関わるチンピラの一人を脅した時も、
殴り倒し、やはり拳銃を突き付けた。
そんなウォルトがスーの復讐をするときには
丸腰でアジトへ向かった。
これは実に興味深いことだと思う。
それだけモン族との交流を通して
心が揺れ動いたということではないだろうか。
ウォルトにとってモン族はかけがえのない存在になったのだ。
人間ってこうも変われるんだと思った。
この映画はウォルトの心の変化を丁寧に表現していた。
しかし、結果的に復讐は果たせずウォルトは殺されてしまう。
もし、心境が変化する前のウォルトなら、死なずに復讐を遂げていたように思う。
「生」と「死」。どちらを選ぶべきだったのか。
答えは明白だ。「生」だ。
しかしウォルトは死んでしまった。
この結末が見ている人たちに「生」と「死」を考えさせるのだ。
訴えかけ、考えさせる。
映画の在り方そのものだと思った。
馬鹿ギャング
『グラン・トリノ』(2008)
吉田照美さんが刺激を受けた映画だと幾つかのメディアで語っていた映画である。クリントイーストウッド演ずる老人の妻の葬儀の場面から始まる。息子2人のひそひそ話があるが、老人一人になって誰が面倒をみるかという話もあるが、孫娘が今どきの派手な女性で、老人は孫娘の葬儀での服装などにしかめ面をする。息子が、老人は1950年代のセンスだからだという。女性には落ち着いた服装であってほしいなどのセンスを言っているようだ。硬派な頑固者である。朝鮮戦争に出て勲章をもらっているらしい。息子が日本車を乗っていると、アメリカの車が乗れんのかと文句を言う。亡き妻が熱心に通っていた若き神父と老人の確執まではいかないが、老人からの関与否定の場面があり、よくわからないが、並行して荒っぽい中国系らしい人達が出て来る。老人と隣人なのだった。タイトルはアメリカ車の名前か。若い神父が老人の亡き妻に頼まれたというのでしつこく老人にやってきて、「生と死」とは何かと老人に問う。挑戦で10代の子供たちをしゃべるで殴り殺したり、銃剣で突いたりと神父に老人は言う。「生よりも死にずっと詳しいようですね」と神父が言う。「そうかも知れない」と老人は答える。隣人の中国系若者がグラン・トリノのある倉庫に侵入していたのを老人が発見し、銃口を若者に向けるが、転んでしまい、若者が逃げる。若者は仲間に入りたくないのだが、いとこが強く荒くれ者のグループに入れようとして、それで倉庫に忍び込んだのだ。荒くれ者たちもきて騒いでいると、老人が銃口を突きつける。「朝鮮ではお前らみたいなのを」と脅した。「覚えてろ」と荒くれ者たちは逃げるが、若者の姉には「ありがとう」と言われる。翌朝、隣人の中国系が大量の食べ物などを贈り物するがすごい量で、老人は迷惑がるが、隣人は感謝している。老人はただ自分の芝生に来た奴らを追い出したいだけだったと言う。テレビ録画なのでコマーシャルの後で、老人は床屋にいる。床屋とはかなり親しい悪口の言い合い。偏屈じじいといってまたこいよ。黒人の荒くれ者たちが隣人の中国系お姉さんに絡む。それを老人が通りかかる。揉めているところに老人が割込み、「黒いの。何してるんだ」と老人が言う。「じじい」と黒人たちが言う。老人が車から降り、唾を吐き、いかれてんのかと黒人たちは言うが、また銃を若者たちに向ける。若い女をトラックに乗せる。若い女と一緒にいた白人男には、「情けない奴だ。黒人たちなんかと一緒にいたくないだろ」と捨て台詞を吐く。この老人、人種差別だらけだが、心はある人なんだと感じるシーンが続く。隣人のアジア人女性をこうして守っている。倉庫に侵入したのが弟なのである。息子たちが老人の誕生日に新たな住宅をすすめると老人は怒って追い返してしまう。文句を言う息子夫婦。その後、隣人の中国系娘も強い女だが、老人とウマが合うらしい。娘が誘って隣家のパーティーに行く。クリント・イーストウッドもかなりの老齢になっているのだが、なんだか偏屈さがかっこいい。コマーシャルが入り、娘に連れられて老人は隣家の中に入るが、隣家の人達は冷たい目で老人をみる。モン族という習性で、目を合わせるのは失礼だと思ったり、子供の頭をなでたりすると、神が頭に宿るので怒るとか。文化ギャップが示される。そこでシャーマンにきつい見立てをされ、そこで老人は少量の血を吐いてしまう。娘が心配する。けっこう夫人たちと和んで来る。一緒に大量のごちそうを食べる。娘が連れ出す。さらにギャップのある、若者たちの部屋だった。どういう意図か。やがて若者たちが部屋から出ていき、弟と二人きりになる。そこで青春教育のような話を弟に与えて出て行く。俺は最低だが妻は最高で、お前(弟)がへっぴり野郎だから、美女が出ていってしまいアホ男たちがついていってしまった」みたいなことを言った。伝統的な中国系族の償いのために、弟を老人の家の手伝いに通わせるという。承諾せざるを得なくなり、やれやれモン族の女たちがこんなに強情だとはとつぶやく。弟にリフォームなど言いつける。
弟は黙々とやり続ける。雨の中でも。老人はそれを見続ける。老人はまた血を吐いてしまう。そして弟の手伝い最後の日になる。今日はなんにもしなくていいから帰れというが、双方さみしそうだった。老人は病院で検査を受ける。息子に電話をかけるが、老人は病気のことを伝えられず、息子も少し変に思う。弟は老人の工具に関心し、老人に愛着を持ち始める。そこでまた老人が血を吐く。弟が心配する。モン族のギャングたちの仲間に入れと言われてグラン・トリノを盗もうとしたのだと弟は老人に説明する。コマーシャルが入って、文句を言いあいながらも、老人と少年には友情な感じが出ていた。老人と姉弟との交流がちょっと泣けてくる。兵士の後、老人はフォード自動車で働き、その息子は日本車を売りまくっているらしい。老人は少年を悪口言い合いの床屋に連れ出したり、建築現場の仕事を紹介する。月曜から少年は建築現場に出られることになる。老人は少年と一緒に工具屋に行き、工具を選んでやる。少年はありがとうと言い、握手する。コマーシャル後、少年が建築現場に行った帰りに、モン族のギャングたちに絡まれる。一人はいとこだというのに、少年を集団でいじめる。タバコを少年の頬につけたりする。工具も壊された。2日後に老人が少年の頬をみる。少年はギャングたちに何もするなと言う。後に老人はギャングの一人に蹴る殴るの暴行を加え、少年に近づくなと拳銃を向ける。少年がデートに成功すると、グラン・トリノを貸してやると老人は約束する。その夜、老人の住宅に銃弾?が大量に打ち込まれ、隣家に行くと、少年は暴行されていて、姉が連れ去られた?姉が顔面もボコボコにされ放心状態で帰ってきた。泣く家族。茫然とする老人。「こんな、まさか」。発端を起こしてしまった自分を責める老人。
若い神父が老人宅にやってきて、神父は私だったら、まずあなたと話し合います。私もあなたほど親しくはないが頭に来ています。一緒にビールを飲む。そして、何か考えて、なの連中を許さんと
老人は神父に語る。苗字にさん付けにしないと怒っていた老人が神父に、名前の愛称で呼べと逆転していた。コマーシャル後、あいつらを滅茶苦茶にするという少年に、老人は落ち着け、ミスは許されない。おとなしくして夕方の4時に来いという。お前は戦いを何もしらん。4時にまた来いと言う。老人は風呂に入り、床屋に行く。なんらかの覚悟か。洋品店に行き、スーツを着る。教会に行き、若い神父の前に行き、懺悔をしに来たという。「最後に懺悔したのはいつですか」「罪を犯した」幾つかの告白をする。「そして最後だが、二人の息子とはうまく付き合えなかった。どうしていいかうまくわからなくて」。「姉のための復讐をするのですか。馬鹿なことはしないで、心穏やかに。」「穏やかだよ」「何をする気だ」と心配する神父。4時に少年がやってきた。シルバースターという勲章を少年に渡す老人。「奴ら全員殺す」と少年は言うが、バカな真似はよせと老人は言う。
老人は朝鮮では少年を13人殺したのだという。そして、少年を家から出せなくしてしまう。「俺の手は既に汚れている。だから俺は一人で行く。お前は誇らしい人間だ。人なんか殺すな」出せとわめく少年。愛犬を隣のばあさんに渡す。言葉が通じない。寝ている姉に電話して地下室に弟がいるからよろしくと言う。神父が警察に流血の事態になるからいてくれと言うが、警察は神父をパトカーに乗せてしまう。姉が弟を出してやる。夜。老人はギャングの集いの場に一人でやってくる。ギャングたちが出てくる。銃口をギャングが向ける。「さあ、撃て」。近所の住民も出て来る。銃口をいくつも向けるギャングたち。手でパンといい、老人は火があるかという。タバコを吸い、何かに手をやる。とうとう、ギャングたちが何十発も老人を射撃し、老人は倒れる。出したのは勲章だった。キリストのように両手を広げて死んだ。ギャングたち誰も殺さずに。警察に捕まるギャングたち。少年とにらみ合う。(映画を超えて現実的に思うと、長期入所してから出所したギャングたちは更生できるのだろうか、また姉弟を襲わないかと言う懸念が残ってしまうが)胸には老人の与えた勲章があった。教会での葬儀で神父は老人との思い出を話し、親族の前で遺言が読み上げられる。自宅は教会に寄付し、グラン・トリノは少年に渡すと。
不良どもが憎い
格好良いおじいさん。
193㎝の体格で、恐らく170㎝もないであろう不良に
「チビのチンピラに用はない」
どっと肩を落とした。
ですよねーみたいな。
...
車へのこだわりと自身への決着。
格好良かった。
けど。
不良は一体何年刑務所に入れられるんだろ。汗
出所した途端にどうの、ってのを真っ先に(視聴後)調べてしまった。
なんか不良への怒りがやばくて星が減った。。
生きることの意味
について考えさせられました。
仕事をし、結婚し、子供を残し…それでも次に受け継がれる愛を残せなければ、生きてきた意味がない。
妻を亡くし家族とも疎遠になり、生きる意味を失いかけている男が、人種や偏見を超えて芽生えた素朴な友情と愛情の対象を守るために、自らの命をかける。
それが大層なヒーローとしてとか正義として仰々しく描かれているのではなくて、ひとつの生き様として見つめられているのが、イーストウッド的だなあと思います。
私は素直に、とても感動しました。
それにしても、イーストウッドのクールな渋さには唸ります。時折見せる鋭い眼差しのカッコいいこと!西部劇のヒーローは幾つになっても健在ですね。
数年ぶりに映画館で泣きました。 これは大オススメ。 不器用な老人と...
数年ぶりに映画館で泣きました。
これは大オススメ。
不器用な老人とシャイな少年。
老人は本当に心開ける相手を探していたのだろう。
そして、相手を思う気持ち、その不器用な表現の仕方は、アメリカ人でありながら(ポーランド系アメリカ人!?)、どこかしらアジア人を彷彿とさせる気がした。
人を信じることのすばらしさ。
非暴力で解決するスマートさ。
DVD買いたい。
何を選択するか
視聴:1回目
推薦:大人向け
感想:頑固親父の生き様を汚い表現を駆使しながら綺麗に描いていました。混沌としてますがいろいろな登場人物がいる中、グラン・トリノをタイトルにもってきてるところでなんとなくストーリーはわかっちゃいますね。最後にどうするかを考えて考えて持っていく様は良かったです。ただなんか悔しいので満点はつけてません。
あら、良い作品
名作といって良いのではないかな。
イーストウッド監督というのは戦争に行った人で、浮わついた映画の現代においても落ち着いた作品を撮る人物だと思っている。(私は3作品くらいしか見てないが)
この『グラントリノ』はまさにイーストウッドらしい作品。
最後のシーンは自己処罰欲求の現れだと私は理解するが、これは日本の戦後文学の特徴と一致する。アメリカも日本も考えることは同じなのだなと感じる。
2008年の作品とは思えない、「戦後」の臭いのする作品であろう。
非戦主義者のイーストウッドが作った良心のある作品。
現場で働くことになった少年を見守る暖かい目や、隣人を気づかう中国系の女の子やら、どこか気品に満ちている。
差別的なユーモアがあっても、不快に感じずむしろ笑ってしまう、そういう作品。
ウォルトかっこよすぎ…
ウォルトの生き様が格好よすぎた。
タオとスーを守るために、
奴らを殺しに行くのではなく、自らの命をもって守る姿が勇しかった。
病気で後が長くない事もわかっているけど
タバコと酒はやめずに、最後渋いスーツを新調して、丸腰で死にに行く…
じんわりと余韻の残る映画でした。
主人公の性格
主人公の性格がすごい頑固なかんじでしたが、
奥さんがいたときからあんなかんじなのでしょうか?
冒頭で奥様のお葬式でしたが、生前から家族やご近所に対してあんな憎まれ口たたいてたのかな?
一人暮らし歴が長くてあんなかんじだったらなんかわかったんですけど…
ヒロイン的な女の子が乱暴されたあとのシーンはけっこうショッキングでした…
下手なホラーよりああいうシーンのほうが見ててつらい
あと主人公が撃たれてしまうのもちょっと驚きました
てっきり撃ちまくるかと
血を吐く設定は大事だったのかな?なくてもよかったような
戦争でバリバリ戦ってたとか、実は病気…とかいろいろ設定がたくさんすぎて、
なんか漠然としたストーリーに感じてしまった
タオくんはラストあんないい車に乗って
またチンピラなどに絡まれたり差別されたりが続かないのでしょうか?みんなあのグラントリノを欲しがってたし、狙われない?
とちょっと心配になりました
メイキングに「アメリカ文化と車」みたいな映像が入っていたけど
好きな人にとっては本当に宝物なんだろうな~と
あんまり日本にはない感覚かも?
車を磨くシーンはたしかに多かったような
よくわかんないけどなんかの映像でみた「スコーピオライジング」みたいなかんじですか?
でも映画の中では最後のシーン以外にグラントリノに作中で乗ることもなく、
ものすごく大きなキーのように特典映像では言われてるけど
ほかの設定がもりだくさんすぎて、そこまで存在感を感じなかった…
これは私が車に興味がないからかもしれない
ちょっとセントオブウーマンを思い出しました
"差別は新たな差別を産む"
差別は新たな差別を生む。
暴力は更なる暴力の連鎖を生む。
いずれも、受けた者には一生心に残る傷が残る。
自分の価値観を相手に押し付けるだけでは、相手の理解は受けられない。
イーストウッドは決して声高には訴えたりしない。
あくまでも娯楽映画の範疇に於いて、自分の姿形を通してそれとなく忍ばせる。
まるで現在のアメリカ社会を憂いている様に。
イーストウッドは知っている。
今日、彼が映画スターとして輝いていた時期は西部劇のヒーローでだった事を。
そして、最早西部劇が成立し難い時代である事も…。
出来る事ならば西部劇を製作したい…個人的にはそう思える。いや、そう思いたい。ファン心理としては…。
以後、この感想は“それ”を想定して書いています。なので、とんでもない勘違いを侵している危険性がかなり高いと言えます。
作品中の後半の流れは完璧なる西部劇の流れと見て間違い無いと思える。
この作品の凄いところは、そんな雰囲気をイーストウッド自身が意識して作品の根底に観客の意識下に忍ばせただけでは無く、どこかアメリカとゆう国のこれまでの在り方を、主人公の生き方そのものとして反映させている様にも感じるところです。
しかも、それを娯楽映画として分かり易い様に誘導して行く。
「あ?これはあれか?、そうするとさっきのはあの作品かな?」と、どこか前に観た事のある作品を思い出させる時が時々ある。実際に過去に於いては全く同じ展開・カット割りを使った例もあるのですが、この作品を観た時には、完全なるオリジナル作品になっているのが何とも凄いところ。
自身が所有する愛車《グラン・トリノ》を、「美しい姿だ!」と眼を細め。他人に対しては自我を剥き出しにする“表”の顔。
マナーが悪く、人生の先輩に尊敬の念すら感じ無い若造には「舐めてんじゃねえぞ!」とばかりに。まるで『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』の主人公の様だ。
そして、若い神父に対して語る、闇を知る“裏”の顔としては、これまでにも『ファイヤー・フォックス』等で時折覗かせて来た戦場の苦しみとして。
また多くの西部劇や刑事物等の現代劇にて悪人から受けた暴力での責め苦として描いて来たと思う。
主人公の心の奥底に残っている“心の傷痕”
この作品では度々主人公と、その周辺の人達との触れ合いがユーモアに溢れていて、主人公の人間性に深みを出している。
勿論そうなのだが、個人的にはそれ以上に、本当の戦場すら知らない“この若造!”とばかりに、当初は莫迦にしていた若い神父との会話から、この主人公のこれまでの歩みが、こちらの想像を膨らませてくれていて、作品全体を豊潤なモノにしていると思う。
初めて2人が話し合う場面に於ける名前の呼び方から後半での繋がり。ビールを巡るやり取り。
主人公が本当に《懺悔》したかった事実。
それは簡単には喋れる代物では無かった筈だったのだ。
何度も何度も通い詰めて得られた信頼から、引き出した「命令されたからじゃ…」の一言。
遂に吐き出した主人公の心の叫び。
その一言を遂に吐き出した事で、それまで抱えていた重荷が外れ、過去のそれら一つ一つの積み重ねが、こちらの心の奥底を揺さぶって来る。
シンプルにして雄弁。
クリント・イーストウッドとゆう偉大なるエンターティナーの、これは人生賛歌にして世界に対するメッセージに他ならないと思える程です。
(2009年5月15日丸ノ内ピカデリー2)
正直言って
正直言って最後に感動したとか言ってる人は頭が悪いと思った。物語慣れしてないという言い方の方が正しいかな。
展開が読めている状態で見ても感動できたという人もいるかも知れないが私はそうではなかった。
私は男同士の絆を描いた物語は好きなので空気的には良い映画だったと言えるが、北野武が言っていたように(記事で読んだだけなのでニュアンスは知らないが)ウォルトとタオの絆が強くなる過程が不自然であると感じた。
また爽やかなラストであるが、スーがレイプされているのにそれでいいのか?と思った。
グラン・トリノというのはビンテージカーのこと 妻に先立たれ親類に疎...
グラン・トリノというのはビンテージカーのこと
妻に先立たれ親類に疎まれる頑固な一人の老人のお話
車のことはよくわからないけど、それとは関係なしに楽しむことができた(分かる人はもっと楽しめと思う)
ハン族の少年との交流は心暖まるし、イタリア人の床屋との会話はすごく小気味良い
ほとんど実感なく生きているけど、暴力と地続きの世界に生きている
この話の結末はウォルトその中でどう生きていくかを示したもののように思う
全59件中、21~40件目を表示