「イーストウッドはアメリカを見捨てようとしているのか」グラン・トリノ こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)
イーストウッドはアメリカを見捨てようとしているのか
イーストウッド監督の最高傑作、という評価も当然と思う見事な出來映えだ。ラストは悲劇的ながらも、未来への希望をしっかりと描き込んでいるのは、さすがの演出ぶりだ。ただ、観た後に妙な不安感がわいてきた。
ここのところのクリント・イーストウッド監督の作品は、アメリカ社会の裏側ばかりを描いたものだったり、逆に生粋のアメリカ人を描いてみせようとしていない。この作品でも、物語の中心はラオスからやってきた移民の家族たちで、主人公の肉親たちは物語からは疎外された存在だ。
しかし、今回は主人公は朝鮮戦争の英雄で、帰還してからはアメ車会社で腕をふるった典型的な生粋のアメリカ人男性だ。しかも、グラン・トリノという高級アメ車を後生大事にしているところは、アメリカの名誉やプライドに固執するガンコさは、やや右翼的にさえ思えてくるほどだ。ところが、その生粋のアメリカ人は、人種的にも赤の他人でしかない移民の家族に、どんどん傾倒していき、最後には大事にしてきたアメ車さえも移民の家族に譲りわたしてしまう。これはどういうことなのだろうか。
この作品で、アメリカの英雄を演じ、素晴らしきアメリカを演出してきたイーストウッド監督は、アメリカそのものへの警告も通り過ぎて、ついにアメリカを見捨ててしまったような気がする。アメリカを生きた主人公は、ラストにいたるまでプライドも投げうって移民の家族たちの犠牲となつていく姿は、どこか現代アメリカの鎮魂歌を唄っているように感じて仕方がなかった。
とてもいい映画なのに、なぜかアカデミー賞の候補にもあがってこなかったのは、そんなアメリカ批判めいたものが多くの映画人に理解されなかったからではないかと思う。そしておそらく、イーストウッド監督も評価されないだろうと思いながら、この映画の製作に踏み切ったのだろう。そこが、この監督の映画製作に対する理念の素晴らしさを意味している。世界を舞台にしているアメリカ映画界で活躍してきたイーストウッドだからこそ、今、何をアメリカから世界に発信すべきなのかを見据えて、しかもスクリーンに表現できるのだ。その崇高な監督の理念と思いを感じられるのが、この作品の最大の魅力だと思う。
ただ、イーストウッド監督は次回、南アフリカへと演出の場を移している。次のアメリカを舞台にした映画は、どんな内容になるのか、今度こそ本当にアメリカを見捨ててしまうのか、そんな不安がよぎってくるのである。