ノルウェイの森のレビュー・感想・評価
全102件中、61~80件目を表示
まあこうなるよね
原作が、「言葉の一つ一つを反芻」し、「場面を自分なりに想像」することで、世界に浸るタイプの作品だと自分は思っているため、“映画”は難しいと思っていたが、その通りだった。
まあ監督が監督(トラン・アン・ユン)だから仕方ないのかもしれないが、いちいち美しく、オシャレに見せすぎで、もっと平凡な、淡々と描いたほうが良かったと思う。
「原作とは違ったものにする」というのが映画化の際の村上氏との約束だったそうなので、これはこれでありなのかもしれないが、原作ファンはがっかりするだろうな。
原作を読んでいない人には、間違っても映画だけを観て「ノルウェイの森」を知ったと思わないでほしい。原作は人生観を変えるほどの素晴らしい作品だから。
セックスを学ぶ2人はセックスに散る。故に愛のかたちなぞ無い
松ケンが悶々と苦悩する恋愛観・セックス観・人生観それぞれのエピソードの断片を駆け足で羅列していくから、そのペースについていけず戸惑う。
「原作を読んでへんお前が悪いやろ」と責められたらお終いだが、各々の抱える背景に理解できず、陰だけが突出し、ネガティブな世界観に辟易するだけだったから、感情移入しようがない。
愛への憧れが、恐怖心と虚無感へと変わる流れこそ、大人への一歩である。
セックスは肉体的にも精神的にも、大人として割り切っていく実感を確認する唯一の手段なのかもしれない。
結構、深いテーマやのに結局、セックスの話だけが独り歩きしたのは致命的やと思う。
とりあえず、わかったのは、松ケンはトライアングルの対人関係でなければ、コミュニケーションを成立不可能な若者だった事であろうか。
つまり、マンツーマンでは己の存在感を見いだせず、崩れてしまう。
高校も大学もそして、恋愛関係においても…。
素直になれない弱さが彼を孤独の闇に追いやるのだが、肝心の三角形の点と線がボヤケてしまう。
中でも、終盤での先生との接し方には、
「何で!?」
と、謎ばかりが降り注いだ。
《総評》
自己嫌悪・自問自答・自己陶酔に溺れ、殻に閉じこもっていく主人公の闇黒面に迫る描写は、第2の『人間失格』と云えよう。
酒やドラッグではなく女のみに人生を狂乱するストイックな転落模様は、ある意味羨ましくもあり、悲惨にも感じた。
…。
んまぁ、2冊読んだ経験一切無いけどね…(苦笑)
カッコ悪い結論が出たところででは、最後に短歌を一首
『生きる意味 重なりに問ふ 蒼き渦 春は横切る 風を濡らして』
by全竜
うーん、違和感のオンパレード
19歳で初めて読み、当時同世代だった「ワタナベ」に自らを重ね合わせて学生時代に12回も読み返した「ノルウェイの森」。社会に出てからも10回は読み直しているが、何度読んでもせつなく、19歳のとき感じたあの感覚をまた思い出せる、36歳のおっさんにとってのセンチメンタルジャーニーな存在、それが私にとっての「ノルウェイの森」なのです。キモイですね。はい、わかってます。
そんな思い入れがあるだけに、見るべきか見ないべきか迷っていたのですが、やはり見てしまいました。そして、個人的には(あくまで個人的には),自分の中で確立してあるあの世界とは違うものでした。残念ながら。
いくつか自分の中でその理由を考えてみたのですが、
1 やはりトランアンユアン(監督)の当時の日本の描き方(特に学生運動のシーンや街中のシーン)に日本人として違和感を感じる。
2 女性陣のキャスティングが違う。直子役の菊池凛子はテレビでガハガハ笑っているところを見てしまっているので、本来直子が持つ繊細さと脆さがやはり演技だけからは感じられない。そして緑役の水原希子は逆に細すぎてそして子供すぎる。演技初経験らしいが台詞も棒読みに近く,本来緑が持つ不幸な人生を送りながらも強く前向きに生きようとする生命力を感じられない。そしてレイコさん。きれいすぎるし、色っぽすぎる。白髪もないし。最後のシーンのいい意味でのエグさみたいなものがなく、単にエロイだけになってしまっている。
3 たぶん原作に忠実にかなり撮ったと思うのだが、編集でかなり削られているのが見え見えで、読んだ人でないとストーリーに追いついていけない。
書いているうちにアツクなってきてしまった。。。。。。いずれにせよ、20回以上読んでいる私の中での世界観と違うということですから、楽しめる方も多くいるとは思います。とにかく松山ケンイチは相当いい!若い頃の村上春樹そっくり。演技もうまいし【ワタナベ】感凄く出てました。いい俳優さんですね。はっきり言って彼だけが私にとっては救いでした。
ということで、ハルキストとしては今後に関しては作品の映画化はしなくてもいいのではと感じてしまった「ノルウェイの森」でした。
未だ抜け出せずに…。
夕方からの一回上映になってしまったので、やはり行くべきと思い立ち見てきたのですが無駄ではなかった。
私にはどこを取っても良かったと思える作品でした。
原作は出版当初に人から借りて読んでいます。所謂ハルキストではありませんが、ある種の感慨を持って読んだ記憶があります。
あの時代を私は直には知らない(いや幼すぎてわからないと言うべきか)けれども、思春期の頃に読んだ(私が思うところの)その類の小説、自分より少し前の時代の金字塔のような作品、「ライ麦畑で…」や、「赤ずきんちゃん…」やらを、実際には甘酸っぱい、苦しい内容であるのにもかかわらず憧憬の心持ちで読んだ17や8の頃を思い出して、本当に甘酸っぱい、苦しい気持ちになったのです。
緑や深緑や黄緑色の中を歩き廻る廻る…。白一面の中で確かめあう…。荒海の前で絶望し慟哭する…。
長回しの引きレンズで収められた凄絶な、清廉な自然の中で展開するそれらを、まるで小説を読むかのように見つめる…凝縮された時間でした。
哀しみの中に同化した直子、哀しみを包み込んだ緑。そして哀しみの扉を閉めたワタナベの、その刹那の呟きが「ぼくは今どこにいるんだ?」なのではないかしら。長く居た場所を出た直後、瞬間わからなくなったりする時の呟きと同等の。
原作から感じられる空気感とほぼ同じものを嗅ぎ取り、ある迷いの中に居る私は未だノルウエィの森から抜け出せずにいます。それは決して心地良くはないけれど、そんなに悪くはない。少しだけ光が見えた心持ちは呟いたワタナベくんとそう遠くはない。
この際だから思うことを2、3言ってしまうと、実際の初版はバブル辺りで、つまり当時に既読であったとしても、小説内の時代は20年弱前のことなのだから、その時代に生まれていない世代には想像するしかないわけで、原作を長らく愛してきた人々でさえ、その空気は想像でしかない人も多いはず。
やはりあの時代を生きた若者、所謂、彼らと異質な者をノンポリやプチブル等と非難し、体制を批判し激論した側、対する、そうやって嫌悪される側の心なんかを、本当には理解してる人なんてそうはいないと思うのです。
そしてまた、作り手側は、理解できないとか説明不足とか、そもそもそう言う反応は蚊帳の外なんじゃないのかしら。
秘するが花とか、皆まで申すなの心持ちで描かれているものに、わかりにくいは無意味だとさえ思います。
ましてや、私はわかりにくいというより、かなりたくさん喋らせてると思ったくらいですし。
最後に、緑はかなり猥雑な単語ばかり発しているから、あの抑揚のない喋りじゃないと卑猥すぎるんじゃないかしら。ワタナベくんだって「場所をわきまえろ」なんて言ってましたし(笑)
私は、滑舌が悪いとは思わなかったし、下手なんてちっとも。
誤解を恐れずに言ってしまえば、岸田今日子やらデビュー当時の桃井かおり、さらには市原悦子らを決して下手だなんて思わないのと同様に。
原作は良かったんですが…残念としか言えない
話題作であり、松山ケンイチさんの演技が観たいということもあり、今まで春樹作品には無縁でしたが、原作を読んでから上映を観ました。
まず…松山さん以外の主要キャラのセリフが上滑りしている気がしてなりません。菊池さんはわざとらしいし、緑役の女の子は棒読みがひどい!ひどすぎる!!
ルックスはイメージに近いかも知れませんが、喋り方が緑の明るい魅力が全然出ていない……どうしてもっと演技指導しなかったのかと甚だ疑問です。
正直、どうしてワタナベが緑に魅かれたのかも、そのせいで全然伝わりません。
映画という尺の短い中で世界観を表現するのはもちろん難しいことはわかります。その中でも重要なことを厳選して時間を使っていくべきだと思うのですが、キスギの自殺のシーンとかあんなに時間いらないし。観ていて怖いです!
妙なだらだらとしたカメラワークも目が回りそうで気持ち悪かったです。
一番気に入らないのはレイコさんと最後に寝るシーン。
原作でもレイコさんと最後に寝るところだけ、どうしても納得がいかなかったのですが、直子の寂しいお葬式を2人で歌を歌ってやり直してあげる
(でもその後寝ることはないんじゃない?と思っていたのですが)
映画版はこれがさらに最悪で、お葬式もせずにレイコさんが「私と寝て」とせがむっていう展開……ここまでくるともはや唖然。
レイコさんも最後に直子とワタナベについて話した一番重要なことをワタナベに伝えてない。あれでは直子がなぜ死んだのか、全然伝わってこない。
ただおかしくなって死んだとしか捉えられません。
あれじゃレイコさんはちょっと知り合った男の子を自分の立ち直りに利用しに来たただのおばさんです。意味不明です。
監督は脚本も書かれたみたいですが、原作を本当に理解されていたのでしょうか??
直子は一番好きな人と寝られなかったのに、その親友と寝れてしまった。
しかしそれはとても気持ち良くて幸せだった。
その自分の矛盾に耐え切れず、さらにもうそんな幸せはやってこないと感じ、自ら命を絶ってしまった。。
そんな切なさが観ている側には伝わらず、直子の自殺シーンも怖いです。
ロケ地は確かに美しいところや迫力のあるところもありましたが
そんなもので誤魔化さずに、もっと役者の演技や、登場人物の心情を描くように努めて欲しかったです。
そういうのが伝わらないので、ただ性描写の多い「エロ映画」になってしまった。裏づけがないから。
原作を読んでいない方には全く理解できなかったと思います。
この意見が何らかの形で制作側に伝わることを願います。
分かりにくい作品でも…
松山ケンイチが役者として好きだったので見に行きました
恋愛映画だろぉうと思っていたのが
エロ…エロ…えろと
一人できよかったと思ったほどでした
背景や風景はすごく美しかったです
時代も生きてないので新鮮に感じました
内容的には空虚感がものすごくありました
ひどい先輩がいたり
好きになった人には愛してないといわれたり
そのひとが自殺をしたり
その先生みたいな人とやったり
彼は流れ流れていってるような感じがしました
話的にはどかん!と何かがおきるわけでもなく、こちらが共感して泣けるわけでもなく
淡々とした感じでした
ノルウェイの森
題名が「ノルウエイの森」じゃなくても・・イエスタデーでも、その曲がかかれば、そのまま、イエスタデーが映画の題名になっちゃってもオッケな脚本(苦笑)
小説とは違うものとして観ないとかなりガッカリさせられる・・。
70年代を表現するに、町並みや、鉄道、駅が使えないという予算なのか・・・・ごまかし方があまりにチープ。古い車の使いまわし・・。駅まで送らないものどうかと(笑)
オープニングも、予算の関係か小説のエピソードを割愛されたのか・・
演出もくさい・・古くさ過ぎ・・。アイスの棒でフェンシングごっこをする高校生がいるか?その他、いっぱい・・。
当時は、下着をつけたままセックスするのが当たり前だったのか?そういう不自然なことを強いる女優は出ちゃいけないテーマだと思うけど・・。
久々に観なきゃ良かった映画。
こんなのはじめて!
良くわからない立場から肯定
端から期待しないで観たんですけど,まず見て損はしなかったなというのが鑑賞後の印象です。原作についてはあまり思い入れもなければ納得もしてないです。「親友の元カノとセックス」「大学の女とセックス」「ババアとセックス」の印象が強すぎて。それは「ワタナベに対する違和感」だったんですけど,いざ映画になるとその違和感は払拭されていました。代わりに登場する女たちの「何か変」って感じが見ていて怖かったです。ハツミさん(永沢さんの彼女)の顔なんて軽くホラー映画でした。
 色んな方が「原作のセリフをそのまま口にするとリアリティが損なわれる」という旨のことを言っていたと思いますがそれはその通りだと思います。会話がメインの映画にあってこのリアリティの無さはかなりの減点になるんじゃないでしょうか。(笑いながら「私達異常だから」なんて言われた日には僕は彼女達をぶん殴ると思います。)特にワタナベと緑の会話は苦痛でしかなかったです。心の置き場所がなかった原作にあって彼らの会話は数少ない心の拠り所だったので苦痛の度合いはかなり大きいです。ショックです。
 マツケン以外の役者の「台詞言わされてる感」は計り知れません。特に緑を演じる水原希子の棒読み感はひどかった。捲し立てるように喋るのは良いですけど滑舌の悪さと抑揚の無さのせいで単に一方的でむかつくだけの女にしか見えなかったです。原作には気風の良さを感じて好印象を持っていたんですけど。仕草とか表情も何処か不自然な印象を持ちました。新人をピックアップするのは良いですけど,ピックアップするなら徹底的に演技指導してもらいたかったです。少なくともあの程度の演出で満足してもらいたくはないです。
 良いところもありました。今作いちばんの成功は松山ケンイチに映画がばっちりハマったと思えたところです。個人的に普段の松山ケンイチから醸し出される雰囲気にはもの凄くアクの強さを感じています。「芝居がかってないところが芝居に見える」とでも言いましょうか。彼の輪郭のはっきりしない雰囲気が逆に人間性を際立たせているような気がしていて,普段は何を演じてもマツケンにしか見えないんですけど,今作はそのマツケンの素の雰囲気がワタナベのキャラクターを作り上げる構成要素の一つのように感じられました。劇中セリフが浮かない唯一のキャラクターだったとも思います。何よりマツケンの横顔の綺麗さに驚きました。監督も知ってか知らずか対話シーンを多用して横顔ばっかり映してましたね。
 もう一つ。映画化にあたっての省略が物語のわかりやすさに好転していたところもあった気がします。ワタナベと直子が再会してからセックスするまでが早すぎるような気もしましたが,(緑とワタナベが抱き合う→直子の悲劇→自責の念に駆られるワタナベ)の流れは原作にはないドラマ性を感じました。セックスと幻想的な自然と音楽しか表現していない,言ってみれば「~げ」な作りだなと思って観てたんですけど,あの一連のシーンがあったおかげで「亡き人の妄執にとらわれた者達の物語」であったことを理解できたと思います。そこを感じ取ることが出来たので見て損はしなかったと思います。
 菊地凛子はおっぱいを出すハードルが低い人だと思ってたんでバベルの時みたいに乳首が見えるかと思ってたんですけど,見れなくてとても残念です。「直子に菊地凛子を充てるってそういうことでしょ」って思ってたんですけどねぇ...。直子がワタナベにキスするときに顔が隠れないようにカメラ側の髪を反対側に流すところはAVみたいで「この監督ホンモノだな」と思ったんですけどねぇ...。
 乳首が見れないで言えば霧島れいかも下着着けたままでセックスとかあり得ないです。レイコさんの役どころは夏木マリみたいな役者を期待してたんで「あれ?」と思ったんですけど,ワタナベ宅の浴室の鏡に映った彼女の顔が一瞬直子に見えたのでそこだけでもこの配役の根拠を見た気がします。文句しか言ってないですけど水原希子もルックスは緑の雰囲気に合ってると思いますよ。「以後緑と言えば水原希子!」となっても正直なところ文句はありません。良くこの子見つけてきたなと思います。
 そんなこんなで色々言って来ましたが個人的には期待していたよりも楽しめました。原作に対する思い入れの有無で映画に対する感想も激しく変わる映画だと思いますけど僕は肯定的に見てます。
 投稿日時: 2011/01/11 16:07:49
ひどいです
ハルキストとして、期待して拝見しましたが、
ひどいの一言です。怒りすら覚えます。
まず、春樹文学独特の語り口調は、実際に口にした途端、
魅力がなくなり嘘くさくなる。
それをわかっていて、
松山ケンイチはそのままの口調でやることにこだわったのか…
無謀すぎます。
さらには、美しいはずの主人公たちが、いちいち汚らしい。
青森出身の松山ケンイチの話す無理のある標準語、
菊池凛子のわざとらしさが浮き彫りの、純粋さを前面に出した演技、
春樹文学で描かれる必要不可欠の美しい性描写が、
ただのエロ映画として撮られた残念感。
ハルキストの評価が高いとの前評判がありましたが、
驚きです。
小説とは別物の汚らしい映画という印象。
小説で描かれたはずの青年の喪失感や虚無感は全く感じられず、
ただの女好き男のエロ映画になっていました。
う、うーん…
自分は原作を読んだことがなかったためか、よくわかりませんでした。
高校の時から文学作品系の国語は苦手。
なぜなら主人公の微妙な心情を聞かれても、その作者、その主人公の意図なんてわからないし、想像しても答えはない。(一応あるようですが)
コミュニケーションをとってより多くの人と分かり合えたら素晴らしいと思っているたちなため、今回のこの映画は言葉が足りなすぎる…と感じた(; ̄ェ ̄)
それがいわゆる「美しい」みたいな感じになっていますが、あまりにも説明が足らないため何できずきが自殺したとか、もろもろ「何で⁉」と思う箇所が多かったです。
断片的には理解できるけど、一つのストーリーから何が言いたいのかが理解できなかった(−_−;)
最も原作を読んでいたら、違っていたのかもしれませんが、映画はそういうものでもないはず。
取り急ぎわたなべの「勿論だよ。」という口癖はわたし的に面白かったです。
偶然の出会いが必然になるのが恋愛ですね。
原作を読んでいた私には味わい深い作品でした
普段はレビューを書いたりしませんが、ここのレビューを読んでどうしても書きたくなって、登録しました。村上春樹さんの作品は好きですが、全て読んでいる訳でもなく、最近の1Q84もまだ読んでいない程度です。
私が大学生の頃失恋したときに、この原作と出会い、深く入り込みました。
それから何度も読み返していましたので、今回の映画化にはびっくりし、期待していました。
あくまで、このような前提から書かせていただきます。
以下、原作を読んだ方には「ネタバレ」になるかもしれません。
原作を読んでいなければ訳がわからないのでは?と思うほど、前半は飛ばしていましたね。あまりに速い展開でびっくりしました。数々の味ある描写が含まれておらず残念でしたが、、映画では時間がたりませんよね。
前半はまさにあらすじだったと思います。
いつの間にか、直子とワタナベの心情描写に入り込んでいて、不思議な世界を見せてくれていたと思います。いわゆるキモは伝わってきました。
あくまでも、直子とワタナベですが。(ミドリもかな)
村上春樹さんの作品では脇に小さなお話がたくさんあり、それも大好きです。
映画でもところどころにちりばめてあり、少しにんまりとさせていただきました。
時間の限られた映画という枠で、よくあそこまでまとめられたものだと、見終わったときには感心しました。(失礼)
原作を読んだ人には、いろいろな見方の出来る作品だったと思います。
素敵な配役に自分の想像力もなかなかだなと思ったり、、直子はちょっと違ったなぁとか。
原作の中のラブシーンについては欠かさずに表現されていたのが不思議なくらいだったので、原作を知らないと「やりたい」だけの若者描写?と思われてしまうこともあるかも、、。今の高校生くらいだとそう思われちゃいそうですね。
ラブの背景にあるものをもっと表現してほしかったな〜。
原作を読んでいない人にはあまり勧めようとは思いませんでした。
「ノルウェイの森」はもっと面白いんだけどなぁ。
でも、いろいろと思い返させてもらえた素敵な作品でした。
情景と音楽も素敵で意味があったと思います。
ノルウェイの森の中の、直子とワタナベ、そしてミドリの物語でした。
こう書いてみると、ノルウェイの森の映画であることに間違いなく、
やはり素敵な映画だったなと思います。
原作に感銘を受け、ノルウェイの森を悪く言われたくない男のたわごとでした、、。
…………………
重い作品です。
非常に難しく、終始重い作品でした。
この作品が世界各国で読まれているベストセラーなんですね!
原作も読んでいないので、どの程度忠実にトレースされているのか不明ですが、色々考えさせられる作品でした。
主人公の松山ケンイチ.....甘く優しい声でいい感じでした。
この作品にぴったりのイメージなんでしょうね!
自分がこの立場になったら....って考えただけでグッと込み上げるものがありました。
この映画....トラン・アン・ユン という監督が作ってるんですね......昭和の高度経済成長時の日本人の心を鋭く描いていて感動ものでした....。
この重い雰囲気のまま終わるのか....と思っていたら、いい感じで結末を迎えホッとしました......。
強大なイメージの前で。
幸い?原作や村上春樹氏に興味がなかった私は、
何と比べることもなく本作を観ることができたが、
だからといってうわぁ~♪素晴らしい♪でもなく…
文的表現をそのまま映像に持ってくることの違和感と
読者のイメージに沿うキャスト探しは難局ということ。
それらをふまえて監督も外国人ということで、これは
もう別物として捉えた方がいいのだろうな、と思う。
そうはいってもベストセラーとなれば^^;読んでいない人
の方が少ないだろうし(爆)比べないのもムリだしねぇ。
私はこの話の死生観、よりももっと単純に、自分の
好きな相手と「愛し合えない」辛さや哀しみを痛感した。
つまりこの「直子」という女性が、精神を病んでいくのは
彼女の性格それ故もあろうが、心愛する男性と身体で
愛し合えないという特異な経験を全て自分の中に罪の
様に抱え込んでしまったことが悲劇なんだろうと思った。
最愛の男は自殺してしまうし(これが理由だったら更に)
愛していない親友の男とは簡単にSEXできてしまったし、
一体自分は何者だ、と真面目な女性なら尚一層苦しむ
だろうと思った。心と身体は別。なんてのうのうと言って
のける図太さが、本作の登場人物たちには、ほぼ無い。
…あ、ひとりいたか^^;
男と女の様々な思いの丈が臆面もなく台詞で綴られ、
「普通言わないだろ、そんなこと。」と赤面するような
やや居心地悪い、気持ち悪い、場面も確かに多かった。
でもまぁ、全体のイメージはこの監督ならではの感覚で
さほど違和感はなかった。前作よりはかなり観やすい?
若いうちに様々な経験を。とはいうが、死を間近にして、
哀しみを受け止める年齢に達してない時、どう抱えれば
よいのかが分からず、彷徨ってしまう心の行く先を細部
まで丁寧に描いている。台詞が遠くを彷徨い、どこかに
突き放した感があるのはそのせいなのだろうか。
キャスト陣に色々申し立ては多いようだが^^;
マツケンはよく健闘していたと思う。菊地凛子は私も
あの毒々しい顔が苦手なのだが、演技力はやはりある。
なんで映画化するんだろうと訝しがる原作ファンに、
ほらやっぱり原作のイメージはこうじゃないでしょう?と
(私でいえば実写版ヤマトの感想のように^^;)
自身で確立したイメージはおいそれとは崩れないことを
証明したかのような作品。一応意味はあったのかな、と。
(儚い人生より図太い人生を。愛は理屈で語れないもの)
愛とは決して簡単ではない事
全102件中、61~80件目を表示

 
  


