「身震いするほどの深層心理の描写に欠ける」ノルウェイの森 マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
身震いするほどの深層心理の描写に欠ける
原作は読んだことがない。
したがって、どういう内容なのかも知らなかった。前もって断っておくが、今作の内容は気怠くて肌に合わない。おそらく原作ファンとは大きく異なる評となるだろう。
ちょうど私と同じ世代の話である
あの頃、日本は目まぐるしい勢いで成長していた。親の世代は戦争と貧困を経験し、我が子には苦労させまいと奮闘した。子は子でまだまだ血気盛んで、そんな親が敷いた線路や政府が作りあげた仕組みに抗い、身の置きどころを求めて慟哭した時代だ。
恋愛に関していえば、携帯電話もなく、電話といえば固定電話。電話しても彼女が出るとは限らない。先方の父親が出るという難関があり、電話する行動そのこと自体、勇気がいることだった。あとは手紙だが、今のEメールのような利便性はなく、一方通行の通信手段に過ぎない。今作のように、突然、姿を消した直子のような場合、連絡の取りようがなく、そのまま永遠の別れということもあり得るのだ。すれ違いも起きるし、約束した時間に現れなくても確認のしようがない。やはり、緑が約束をすっぽかして、ワタナベが待ちぼうけを食わされたような台詞が出てくる。今以上に想いが相手に伝わらない、狂おしい時代でもあった。
こうした時代背景には共鳴できるのだが、愛と哀しみとか、生と死についてだのに悶えるいわば“負のエネルギー”が渦巻く世界観からは距離を置きたくなる。どうも苦悶する自分の姿に陶酔しているようで、幻想の世界に生きている人々に見えてしまうのだ。おそらく、恋愛観にしても死生観にしても、経験と価値観が違うのであろうからどうしようもない。
それでも、直子がなぜワタナベの元を離れたのか、そして療養所に入所しなければならないほど何に追い詰められていたのか、この大事なところをもっと丁寧に描いてくれれば印象が違っていたことだろう。最後まで観ていけば事情は判るのだが、それは結果論を提示されたのと同じであって、身震いするほどの深層心理に触れたことにはならない。
甘く切なく懐かしい時代を振り返っただけのセンチメンタルな作風は、役者を演じる者としてしか見せてくれず、同年代を駆け抜けた生身の人間として見えてこない。水原希子演じる緑の前向きでハツラツとした蕾の香りだけが収穫。
はじめに記したように原作は読んでいないが、映像化すべき作品ではなかったのではないか、そんな印象を持つ。松山ケンイチによる語りの部分こそ映像で表現するだけの力量が必要だったのではないだろうか。
もう一点、ワタナベの「僕」という視点で語られるのだが、性に関する描写は女目線である。どうしても渡辺淳一のような男目線での描写のほうが入り込みやすい。