青い鳥のレビュー・感想・評価
全23件中、1~20件目を表示
【”苛めは苛めた者だけでなく、傍観した者も当事者である。”今作では苛めが起きたクラスに赴任して来た吃音の代用教員が真なる反省とは何かを傷を抱える生徒達に教える再生のヒューマンドラマである。】
■前学期、苛められていた両親が脱サラしてコンビニを開いた男子生徒・野口が起こした自殺未遂で東ヶ丘中学校は、マスコミに大きく取り上げられ、担任は休職していた。
そして、野口は命を取り留めたが、他の学校に転校していた。
そんな二年一組に代用教師・村内(阿部寛)が着任するが、吃音の彼の最初の挨拶に生徒たちは驚く。
うまくしゃべれない村内は、その分“本気の言葉”で生徒たちと向かい会って行くのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作で村内を演じる若き阿部寛さんの、吃音を恥じる事無く、自然体で国語を教える姿が印象的である。
彼は言う。”本気の言葉は本気で聴く。”と。
正に”巧言令色鮮仁”の対極を行く、彼が訥々と生徒達に語り掛ける言葉が、阿部さんのテノールボイスも後押しし、とても良いのである。
・村内は打ち捨てられていた野口の机を教室内に持ち込み、毎日”おはよう、野口君”と言ってから授業を始めるのである。
その姿を観た、苛めの主犯である井上(ナント!若き仲野太賀である。)と、梅田は反発し村内の吃音を揶揄うが、村内がそれを全く気にしないのである。
・村内は、最初に生徒の前に立った時に、点呼を取らずに名簿を眺め、生徒達の顔を眺め、全員の名前を覚えるのである。ここも印象的なシーンである。
・管理職である教頭、校長は反省文と称して、五枚書くように指示を先生を含めて出す。愚かしき行為である。彼らは形式的に、世間を気にして表向き反省した事を装っているだけなのである。それを見抜いた島崎先生(伊藤歩)が”何故、五枚なんですか?”と問うも、教頭、校長は書くようにの一点張りである。
・野口と仲良しだった園部(本郷奏多)の苦悩は深い。彼も流れに乗り、彼に菓子を持って来るように言っていたのである。園部の憂愁はその事である。彼は回想する。”僕が指示した時に、彼は哀しそうな眼で僕を見た・・。”
・村内が言う言葉は重いが、生徒達の心を打って行くのである。
”苦しんでいる心を無視するのが苛め。”
”責任。一からやり直すのは卑怯。”
”野口君にした事を忘れてはいけない。”
・そして、休職して居た担任が復帰する事になり、村内はクラスの生徒達に言うのである。”以前書いた反省文を書き直したい者は、机の上の紙を持って行きなさい。”
彼は、その前に生徒達が書いた”反省文”に目を通し、次々に燃やしている。彼はその反省文が”表面的なモノ”と見抜いていたのである。
そして、生徒達が席を立たずに自習を始める中、最初に井上が席を立ち紙を取る。次々に立ち上がる生徒達。園部も紙を取り、最初は”反省文”と書くが消しゴムで消して”野口”と書き、彼への想いを綴って行くのである。
<今作では苛めが起きたクラスに赴任して来た吃音の代用教員が真なる反省とは何かを、傷を抱える生徒達に教える再生のヒューマンドラマなのである。>
人の心を動かす村内(阿部寛)
学校が舞台で、教師の言動を理解した生徒が変わるという話だが、本質は以下の通りだと私なりに解釈した。
本作は、学校の体制やシステムが問題だと言いたいわけではなく、いじめについて深く議論し原因を追求して反省しようと呼び掛ける話でもない。人と接する時の大切なことについて語られている。
中学校や吃音の臨時教師が生徒の心を変えるという設定は、間違えやすい人間の成長を助けるシチュエーションとして自然であり、特定の男子生徒たちに向けているようにしているが、本当はすべての人へ伝えたいメッセージが込められているのだと思う。
強くならなくてもいい。一所懸命になるだけでいい。今より少しでも、人の氣持ちを想像するだけでいい。
本氣でしゃべる村内先生(阿部寛)の言葉すべてが、伝えたいメッセージそのものである。
久しぶりに観たら、いろいろ発見があった。村内先生が通勤中に読んでいる本は「石川啄木詩集」ということ、生徒役で仲野太賀さん、新木優子さんが出演していた。阿部寛さんが演じる村内先生を見たくてまた鑑賞したくなるほど、とても良いキャラクター。大好き。
いじめと向き合う大切さがわかる
阿部寛なのでハツラツとしてバリバリ生徒の中に入り込んでいくようなイメージを想像していたが、いたって普通、むしろ覇気が無い、どもるためかあまり言葉を発しない、これで教師が務まるのかと思ってしまう。
おまけに体調不良の先生の代打。
ところが発する言葉すべてに的を得ている。
この映画ができてから15年近く経つのに未だにいじめ問題は後を絶たず時として大問題になり教育委員会の解決力のなさや学校の隠蔽体質があらわになる。
悪いとこばかり表面に出てくるので仕方ないが、いじめはあったがこういう風に解決してきたとか、その後、こういう風に取り組んでいていじめが無くなったなど、そういった情報も流していくことでいじめが減ったり学校や教育委員会の信頼度も上がるのではないか?
もちろんいじめの無い学校や指導力、解決力のある教育委員会がほとんどとは思うが・・・
重松清の原作。世界観がよく出ていた。 こんな先生がいたらいいなって...
人を思いやること
自殺未遂した野口くんは転校したにも関わらず、彼の座席を元に戻して毎日挨拶する村内先生(阿部寛)。生徒たちは過去の事件を思い出したりして嫌がってるのに、毎日それを繰り返す村内先生。重い重松清ワールドだと感じたけど、短編が原作であるせいか物語が平坦で抑揚がない。ここはちょっと残念だったけど、生徒や他の先生たちの演技が素晴らしい出来映えであり、むしろ阿部寛の演技が下手に思えてしまうくらい・・・
元の担任教師がメンタルを病んで休職中だったが、その担任と村内先生がどこかで繋がってるとか秘密があれば尚良かったかな。しかも立ち入り禁止の屋上で過去の自分の生徒たちとの写真を見つめる姿。うつむいていた生徒はもしかして自ら命を絶ったのか?過去のことは一切描かれてなかったけど、もうちょっと想像させてほしいものだ。
生徒役の本郷奏多と太賀はむちゃくちゃ演技が上手い!ケンカのシーンもリアルだったし、ストーリー以外は傑作とも言える。そして「青い鳥」なんか要らない!というテーマも良かったなぁ・・・
熱血指導と一線を画す
嫌いはイジメのサナギ
「嫌いはイジメになりますか?」
素朴ですが鋭い問いです。さすが重松清。
本作でどう答えていたかは別として、私はイジメになる前のサナギみたいなものかと思います。嫌いだったり気に食わないからいじめるんでしょうし。
そういえば、脳科学者の先生が人間はイジメをやめられないと言っていたのを聞いた時には「またまた~、本が売れるようにと注意を惹くようなことを言っちゃって」と取り合いませんでしたが、嫌いがイジメのサナギと考えるとなるほど腑に落ちます。
しかし、人間はイジメをやめられないのかもしれないけれど、必ずしも強くはない存在を助けようとするのは人間だけです。虎狼の輩は実に合理的に弱っている獲物を狙いますが、人間が彼らを圧倒して繁栄していることを考えると、このような一見して合理性を欠く行動も、実のところそう不合理ではないのかもしれません。
イジメが痛ましい結果をもたらしてしまうのは制度の問題ではないでしょうか。イジメがあったというだけで学校や教師の失点にしては、高潔な教育者ではない(つまり、あまり尊敬に値しない)人たちはそれを隠そうとするでしょう。その結果イジメに対処するノウハウがいつまで経っても蓄積されないという悪循環に陥っているように見えてなりません。脳科学者の先生がイジメは当たり前と言っているのだから、イジメがあったかどうかではなく、イジメにどう対処したかを評価すべきでしょう。
ちなみに本作でこの問い(嫌いはイジメになりますか?)を聞いた時に、以前「分断と多様性の違い」が何か考えたことを思い出しました。その時には「分断は他を否定するが多様性は否定しない」と結論付けましたが、どうもしっくりきません。
こんな先生いたらいいな
自殺未遂して転校していった野口くんに、クラスメートがしたことの重さを伝えようとする臨時講師の村内先生。どもりもあり、クラスの生徒からは煙たがられる。
学校の野口くんの事件に対する対応が理解不能。みんなに反省文を書かせて、全ての先生が読み、書き直させる。5枚という枚数もどうなんだろう?書き直して、素直な反省が書けるだろうか?短くても最初の文章が本心ではないのか?学校側はとにかく体裁だけ整えて終わらせたかったんだろう。どうも子供達もそれでもう終わった、野口くんももういないし。村内先生の野口くんの机を持ってくることから始まった対応、素晴らしい。、生徒の中に少しずつ反省が現れ、最後の作文の書き直しの場面、1番反抗的だった生徒も作文を書き直した。彼の作文も、みてみたかったな。
野口くんはいっさい出てこないが彼が新しい学校でどう過ごしているのかとても気になるし、そんな場面があってもよかったかな。
村内先生が屋上でたまに見る写真。それがどういう写真なのか、知りたかった。
中野大賀、新木優子ととても初々しくて、驚いた。伊藤歩も若かった。
短い間だったけど、このクラスの子達が村内先生に教わった事は一生の宝ですね。
あなたは必ず、二回寝る
いじめが理解できた
特異な臨時教員に重いクラスの雰囲気。一体、何が起こったんだ?冒頭か...
説教臭くなるのでなく、真摯にいじめを見つめる
総合75点 ( ストーリー:70点|キャスト:80点|演出:75点|ビジュアル:65点|音楽:75点 )
真摯にいじめ問題に向き合っている映画だと感じた。説教臭くなるわけではなく、理想的なきれいごとばかりを並べるのでもなく、とかく教育的になりがちな問題をとらえつつも映画としてもしっかりと構成されていた。重々しい空気の中でしっかりと人々の姿勢をとらえていた。虐めたもの、見て見ぬふりをしたもの、表面的に体裁を取り繕う学校というものをわざとらしくならず自然に取り入れていた。
いつもの二枚目俳優をすっかりと捨てて、吃音で猫背でよたよたと歩く物静かで朴訥な臨時教師の阿部寛は好演だった。この歩き方と控えめな態度が、きっと子供時代にこの吃音で虐めに合っていたことをほのめかしていた。屋上にいるのはもしかすると自分も飛び降り自殺を考えたことがあるから? だからこそかどうかは知らないが、彼は生徒からも学校からも逃げることなく静かに、しかし強い意志をもってしっかりと問題を見つめていた。自分を見つめなおす生徒の園部役の本郷、ふてぶてしい虐めっこの生徒の井上役の太賀の演技も気に入った。劇中に挿入された音楽はなかったように記憶しているが、冒頭と最後に流れるまきちゃんぐの曲はなかなか作品に合っていた。
人生にリセットボタンなし
全23件中、1~20件目を表示












