青い鳥のレビュー・感想・評価
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いじめと向き合う大切さがわかる
阿部寛なのでハツラツとしてバリバリ生徒の中に入り込んでいくようなイメージを想像していたが、いたって普通、むしろ覇気が無い、どもるためかあまり言葉を発しない、これで教師が務まるのかと思ってしまう。
おまけに体調不良の先生の代打。
ところが発する言葉すべてに的を得ている。
この映画ができてから15年近く経つのに未だにいじめ問題は後を絶たず時として大問題になり教育委員会の解決力のなさや学校の隠蔽体質があらわになる。
悪いとこばかり表面に出てくるので仕方ないが、いじめはあったがこういう風に解決してきたとか、その後、こういう風に取り組んでいていじめが無くなったなど、そういった情報も流していくことでいじめが減ったり学校や教育委員会の信頼度も上がるのではないか?
もちろんいじめの無い学校や指導力、解決力のある教育委員会がほとんどとは思うが・・・
重松清の原作。世界観がよく出ていた。 こんな先生がいたらいいなって...
重松清の原作。世界観がよく出ていた。
こんな先生がいたらいいなって思う。
学校の大人たちも子供もみんな間違っている。なかったことにしたって、何も変わらない。いじめをした本人でさえ、気づいていない。大人が体裁だけで強制的に反省文を書かせたところで意味がない。本人の言葉でないならなおさら。
責任を感じて、人生に生かしていかないといけない。大人になれば責任を伴うことが多くなっていくのだから。本当にそうだな。
阿部ちゃんが良かったです。
新木優子や仲野太賀、幼くて若かったな。
淡々としているけど、じわじわ伝わってくる。
良作だと思います。
人を思いやること
自殺未遂した野口くんは転校したにも関わらず、彼の座席を元に戻して毎日挨拶する村内先生(阿部寛)。生徒たちは過去の事件を思い出したりして嫌がってるのに、毎日それを繰り返す村内先生。重い重松清ワールドだと感じたけど、短編が原作であるせいか物語が平坦で抑揚がない。ここはちょっと残念だったけど、生徒や他の先生たちの演技が素晴らしい出来映えであり、むしろ阿部寛の演技が下手に思えてしまうくらい・・・
元の担任教師がメンタルを病んで休職中だったが、その担任と村内先生がどこかで繋がってるとか秘密があれば尚良かったかな。しかも立ち入り禁止の屋上で過去の自分の生徒たちとの写真を見つめる姿。うつむいていた生徒はもしかして自ら命を絶ったのか?過去のことは一切描かれてなかったけど、もうちょっと想像させてほしいものだ。
生徒役の本郷奏多と太賀はむちゃくちゃ演技が上手い!ケンカのシーンもリアルだったし、ストーリー以外は傑作とも言える。そして「青い鳥」なんか要らない!というテーマも良かったなぁ・・・
熱血指導と一線を画す
東ケ丘中学校2年1組の新学期。休職中の担任に代わり、吃音の村内先生が臨時でやってくる。このクラスではいじめが原因で、野口が自殺未遂の後に転校していた。村内は野口の机を教室に戻すよう指示し、毎朝無人の机に声をかけていた。反省文を書かされていたクラスメイトの園部らは動揺し、他の先生や保護者にも影響していく。
「本気でしゃべります。だから本気で聞くべきだ。」と村内は主張する。しかし、それ以上は押し付けがましくはない。そして反省文の書き直しも、自主的にさせ内容までは触れない。いかにもな熱血指導と一線を画す様が、潔くて良いです。
阿部寛でもいいけど、もっとさえない外見の役者でもよかったと思いました。
嫌いはイジメのサナギ
「嫌いはイジメになりますか?」
素朴ですが鋭い問いです。さすが重松清。
本作でどう答えていたかは別として、私はイジメになる前のサナギみたいなものかと思います。嫌いだったり気に食わないからいじめるんでしょうし。
そういえば、脳科学者の先生が人間はイジメをやめられないと言っていたのを聞いた時には「またまた~、本が売れるようにと注意を惹くようなことを言っちゃって」と取り合いませんでしたが、嫌いがイジメのサナギと考えるとなるほど腑に落ちます。
しかし、人間はイジメをやめられないのかもしれないけれど、必ずしも強くはない存在を助けようとするのは人間だけです。虎狼の輩は実に合理的に弱っている獲物を狙いますが、人間が彼らを圧倒して繁栄していることを考えると、このような一見して合理性を欠く行動も、実のところそう不合理ではないのかもしれません。
イジメが痛ましい結果をもたらしてしまうのは制度の問題ではないでしょうか。イジメがあったというだけで学校や教師の失点にしては、高潔な教育者ではない(つまり、あまり尊敬に値しない)人たちはそれを隠そうとするでしょう。その結果イジメに対処するノウハウがいつまで経っても蓄積されないという悪循環に陥っているように見えてなりません。脳科学者の先生がイジメは当たり前と言っているのだから、イジメがあったかどうかではなく、イジメにどう対処したかを評価すべきでしょう。
ちなみに本作でこの問い(嫌いはイジメになりますか?)を聞いた時に、以前「分断と多様性の違い」が何か考えたことを思い出しました。その時には「分断は他を否定するが多様性は否定しない」と結論付けましたが、どうもしっくりきません。
助かって良かったよ。、
わかるぞ、
始業時刻には教室に行くべきであるのに。
職朝長引くとイライラ、子供に時間厳守と言いながら。
吃音お持ちの設定、緊張した風を出したいのかキツい。
しかし、上背もあり男子も一歩引く。
もっと小柄な気の弱そうな俳優だったらどうだっただろうか?
吃音で喋るのも大変だ。しかし、中学生にもなって目の前で笑うとは、前途多難だな。
いいね、ここ。
本気でしゃべります。だから本気で聞くべきだ。
本気で聞かないから先生はここに来た。
お願いではなくきちんと指示している。
野口君おかえり、と言った時の反応があり、少し安心。気持ちについては予想の反対。
教室で直接言わず親にグチる。
親は権力者。
学校は、体裁、形にこだわる。
反省文には、形だけのことを教える。
当該生徒の真の気持ちは救われるのか。
井上君が喫茶店で野口君のこと色々言うが、
ほっとけよ、構うなよ、それがいじめだろ。
周りのみんなが忘れるのは駄目だ。
自分のしたことを忘れず責任を持って抱えていくべきだ。
いろんな子がいる。
先生の吃音のように
おどけるように笑って喋らないと話せない子もいる。心は笑っていないが。
だから、表面だけ見ていてはいけない、と。
今の学校の問題、
わからなかった、気づかなかった、て言うてたらあかんのや察知せな死ぬんや。
と思っていたが、
わかってても、気づいていても、
わからなかった、気づかなかった、と言う。
知っていて放置なんて犯罪にならないかな?
高橋先生とやら、休むの狡いぞ、文句出るのよくわかる。しかし、もしかすると、校長やら委員会が休め、と指示したのかもしれない。多分。
阿部が伊藤と喋らないのは、吃音で会話がスムーズにいかないから演出上。
青い鳥Boxの投書、印字してあるのも?????
時折見る写真の子、亡くなったのか?
なぜ吃音である必要があるのだろう?
先生自身もハンディあるが必死に話す姿を見せる為か。
最後の反省文、少し尻切れトンボ、
書かない子は、先の反省文を心から書いた子(しかしありきたりの文しかない筈)か、反省文についてあまり考えていない子。
書く子は担任の働きかけにより何か思うことがあり書こうと考えた子。
井上君はどの時点で考え直すようになったのか。
子供に強制はできないからこういうラストかもしれない。
本作何を伝えたかったのか。
形だけ処理する学校に侵された子供たちの前に、しっかりした教育理念を持った教師を投入して少しの子だけにでも心から考える機会を与えた、ということだろうか。
ただ、現実的には代替の講師が来てすぐに自身の考えを
出して通して行こうとはしない、できない。
理想の物語か。
こんな先生いたらいいな
自殺未遂して転校していった野口くんに、クラスメートがしたことの重さを伝えようとする臨時講師の村内先生。どもりもあり、クラスの生徒からは煙たがられる。
学校の野口くんの事件に対する対応が理解不能。みんなに反省文を書かせて、全ての先生が読み、書き直させる。5枚という枚数もどうなんだろう?書き直して、素直な反省が書けるだろうか?短くても最初の文章が本心ではないのか?学校側はとにかく体裁だけ整えて終わらせたかったんだろう。どうも子供達もそれでもう終わった、野口くんももういないし。村内先生の野口くんの机を持ってくることから始まった対応、素晴らしい。、生徒の中に少しずつ反省が現れ、最後の作文の書き直しの場面、1番反抗的だった生徒も作文を書き直した。彼の作文も、みてみたかったな。
野口くんはいっさい出てこないが彼が新しい学校でどう過ごしているのかとても気になるし、そんな場面があってもよかったかな。
村内先生が屋上でたまに見る写真。それがどういう写真なのか、知りたかった。
中野大賀、新木優子ととても初々しくて、驚いた。伊藤歩も若かった。
短い間だったけど、このクラスの子達が村内先生に教わった事は一生の宝ですね。
豪傑男を演じることが多い阿部寛が吃音者の役とは新鮮。 生徒たちと正...
豪傑男を演じることが多い阿部寛が吃音者の役とは新鮮。
生徒たちと正面から向き合うわけだが、熱血教師が登場するよりも見応えがあった。
あと当時まだ中学生だった新木優子が出演していたのも見どころ。
あなたは必ず、二回寝る
「青い鳥」は2008年11月29日に公開された日本映画。原作は重松清、主演は阿部寛。
いや〜駄作でした(アッパレ)
作品自体は悪くないんですが、映画にはとことん向いていないですね。ストーリーが単調で抑揚がないんですよ。抑揚なしの、のほほん映画は苦手です。
あと、この映画は日本吃音協会のあて馬か何かでしょうか。吃音であることに強い必要性も感じないし、大きな捻りもない。終始、波のない映画でした。キャッチコピーは「あなたは必ず、二回寝る」でいいでしょう。
いじめが理解できた
やっぱ、大人や教師はいじめについて、勘違いしているんだろうなぁ。
本気で話している内容に、言葉をはぐらかして、納得させる先生がいることを思い出した。
また、いじめは人の心に土足で踏みにじることで、自己本位な考え方だと改めてわかった。
世の中はサイコパスや自己愛性パーソナリティ障害の生徒もたくさんいると思う。
そういう生徒に分からせるのは大変だ。。。
いじめを発見したら、強権で辞めさせるか、そのいじめの根元から離れるしかないかもしれない。
吃音障害を持った先生といじめで自殺未遂した子がいたクラスの生徒との...
吃音障害を持った先生といじめで自殺未遂した子がいたクラスの生徒との話。
生徒のココロに深く入っていく先生にのめりこんでいく映画。
特異な臨時教員に重いクラスの雰囲気。一体、何が起こったんだ?冒頭か...
特異な臨時教員に重いクラスの雰囲気。一体、何が起こったんだ?冒頭から一気に引き込まれました。
いじめという問題に、吃音で語る阿部寛演じる村内の一言一言が重く、考えさせられます。
本気で言ったことは本気で聴かないとだめなんだ!
忘れるなんて卑怯だな!
子供達のみならず、どこからも文句の出ないよう形だけに堕ちてしまった今の教育者にも見て欲しい一本。
オープニング、エンディングテーマも心にしみます。げんきんぐみたいな名前の人です(笑)
こいつは隠れた名作なのかもしれません。
良い映画です、さすが重松清原作
内容は深刻なのですが、淡々とした展開で、割と嫌悪感なく見られます。全編、緊迫感の間合いがあって、何か起きそうなのですが、「告白」みたいなドラマチックなラストはないです。結局、最後はお決まりの転校(退職)で終わってしまったのは残念です。ただ、見ごたえはあります。彼の理解者である同僚の女教師(原作には存在しなかったと思いますが)、どこかで見たと思ったら、「スワロウテイル」に子役ででていた女優でした。立派に成長しましね。
社会は何かにつけて"臭い物に蓋をする "
原作は重松清。またしても未読です。
「野口君おはよう!」
確かに毎日この繰り返しが続いたらうんざりしてしまう。
もしもこの様な事が現実に起こったら…。
これは現代のお伽話と言って良いのかも知れない。大事な大学受験を控えた直前を舞台としているだけにそう思わざるを得ない。
作劇術としては、先生役の阿部寛が激しい“どもり”を抱えている教師役に据えているのが大きい。
どもってしまう事で言葉は少ないが、その事で“より真剣に問題に立ち向かっている”と見える意識を観客(読者)に与えている。本来ならばそれ自体が先ずは夢物語である気がするんですが。
更には、どうやら原作とは違うと思われる、阿部寛が読みふけっている“ある作家の本”の存在。
(観た後で原作をパラパラと眺めたところ、参考資料としては違う作家の本書かれており、原作上では映画とは違っている様だ)
それがお伽話的な要素を増幅していたと思う。
まるで阿部寛自体が本から抜け出て来た様な印象を受ける。
問題定義を促す作品としては充分に考えさせられる話で、終盤には思わず何度となく涙が溢れ出て来ました。但し現場を知って居る人ほど、作品が盛り上がるに連れて醒めてしまうのかも知れませんが…。
映画が始まって最初の内は、阿部寛演じる先生がどもってしまう為に、少しずつ少しずつゆっくりと話だす。
その影響か、映画自体もゆっくりゆっくりと進んで行きます。
勿論、観客の心を段々と掴んで行く為の演出効果を狙っての事ですが、この辺りでなかなか作品に入って行けない人も居るかも知れません。
何かと“臭いものには蓋”の学校側の対応ですが、一応は主人公にあたる同級生の男の子の視点を中心とした話で、物語が進むに連れて以前から感じていた自分の中の想いを吐き出す内容です。
その事で観客の目線で観ていると、段々とこの男の子が持っている“罪の意識”に肩入れしてしまう。
そんな男の子の気持ちと同様に、同じ教師役の伊藤歩が何となく学校側のやり方に疑問を感じて居る人物を好演して居て、爽やかな印象を強くしていました。
彼女の持ち合わせて居る感性が良い方向に出ているのではないでしょうか。
「先生、誰かを嫌いになる事もいじめになるんですか?」
主人公の男の子が叫ぶこの言葉が胸に突き刺さります。
最後の授業で、この1ヶ月で劇的に変化した生徒。
何も変わらなかった生徒。
何かを感じたがやがては忘れ去ってしまう生徒。
だけど決して無駄な時間じゃ無かったのだと思いたい…と訴えかける内容にはグッと来ました。
いじめっ子役の井上君に、将来の田口トモロウ2世を見た(笑)
ラ○トシ○ンでの阿部寛の表情が、またお伽話的な要素を増幅していた様な気がします。
(2008年12月5日新宿武蔵野館2)
首吊り自殺の残影を抱いて
もしも自分がいじめていたクラスメイトが、自殺をはかったら・・・
経験の少なさ故に、本能のまま全霊をかけて相手を罵倒し、強要する。
ふざけ半分でした事なのに、人が死んでしまうなんて・・・
誰もが大金を払ってでも、生きたいと願う。
例えば、がんの末期患者が痛みに耐えかねて自殺をする。
それと同程度の、苦しみを相手は味わったのだ。
逃げても、逃げても、逃げても、首吊り自殺の残影は追いかけてくる。
少しして、きつ音の先生がクラスの担任になった。
身体的に話すのが苦手で、どんな思いがあって先生になったのだろう・・・
その頃、すでに自殺の件はひと段落したという空気感があった。
生徒にたくさん反省文を書かせ、マスコミ対応も終えた。
青い鳥の箱を設置して、悩んでいる生徒のケアも万全だ。
教室に被害者少年の机はもう無かった。
先生は生徒の前で、その机を校庭から運んできた。
少年が元いた場所に机を置く。
生徒の反発は大きく、大音響で授業の邪魔をする。
あんなに反省したのに、まだ私たちを責めるたつもりなんだ・・・
自分の犯した罪の全容は何だったのか全力で考え。
その大き過ぎる真実に、死ぬまで責任を負って生きていくこと
そんなシンプルだけど、難しい答えにたどり着いてほしい。
先生は、森のように静かな覚悟で彼らと対峙する。
説教臭くなるのでなく、真摯にいじめを見つめる
総合75点 ( ストーリー:70点|キャスト:80点|演出:75点|ビジュアル:65点|音楽:75点 )
真摯にいじめ問題に向き合っている映画だと感じた。説教臭くなるわけではなく、理想的なきれいごとばかりを並べるのでもなく、とかく教育的になりがちな問題をとらえつつも映画としてもしっかりと構成されていた。重々しい空気の中でしっかりと人々の姿勢をとらえていた。虐めたもの、見て見ぬふりをしたもの、表面的に体裁を取り繕う学校というものをわざとらしくならず自然に取り入れていた。
いつもの二枚目俳優をすっかりと捨てて、吃音で猫背でよたよたと歩く物静かで朴訥な臨時教師の阿部寛は好演だった。この歩き方と控えめな態度が、きっと子供時代にこの吃音で虐めに合っていたことをほのめかしていた。屋上にいるのはもしかすると自分も飛び降り自殺を考えたことがあるから? だからこそかどうかは知らないが、彼は生徒からも学校からも逃げることなく静かに、しかし強い意志をもってしっかりと問題を見つめていた。自分を見つめなおす生徒の園部役の本郷、ふてぶてしい虐めっこの生徒の井上役の太賀の演技も気に入った。劇中に挿入された音楽はなかったように記憶しているが、冒頭と最後に流れるまきちゃんぐの曲はなかなか作品に合っていた。
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