レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまでのレビュー・感想・評価
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タイタニックコンビ再び
タイタニックの時とは2人とも姿がだいぶ変わっている。
2人とも大人になった。
共演するには、早すぎず遅すぎず、丁度いい時期な気がする。
2人とも演技がしっかりしている。
エイプリルのしっかりとした意志。
フランクのしっかりとしたようで弱い。
何気ない話だけど、なぜか目が離せない。
2人が演じたから、ずっと惹きつけられたような気がする。
簡単なようで難しい演技だと思う。
複雑な感情を出す、出さない演技だから。
時代は50年代。
車も服も家も素敵だ。
味がある。
目が嬉しい映画だった。
ー"虚しさ"は誰もが感じるが
"絶望"を感じるには勇気が要るー
森の中での会話
確かにそうだな…
解説集も良かった。
未公開シーンの意図など知れた。
いつの時代にもこんな夫婦の葛藤はあると思う。
映画の中に、共感する部分がたくさんあると思う。
朝食のシーンは、すごく緊張感があったなー。
レオの演技、ケイトの演技、
2人の成長した演技力のぶつかり(合わさり)が
なんとも気持ちいい映画だった。
タイタニックのコンビが…意図的にだな
まさか、こんな結末になるとは!!衝撃のラストシーン、涙が止まりませんでした。もう、何がなんだか。わかんねー。結局、どうしたら良かったの?
【どうしたら良かったの?】
2人のギクシャクした関係のミゾを埋めるような、≪解決策≫ は見つかったのに、それを、上手く実行に移すことが出来なくなるような事態が、次々と起こってくる。「ん、もうッ!」 と思わず言いたくなるような展開。で結局は、その ≪解決策≫ を実行に移すことができなくなる。それで、2人の関係は更に悪化していく・・・
じゃあ、≪解決策≫ を実行に移すことが出来ていれば、2人の関係は良くなっていたのか?と、聞かれると、そうでもないような気がする。
結局のところ、夫婦生活に「己」は、邪魔になる。この映画では「己」を主張しようとしたばかりに、悪い方に転がっていった。「己」を主張すると、相手を置き去りにしてしまうのだ。
でも、だからといって、夢や目標を諦める というわけにはいかない。人間だもの。夢や目標を持っていなくては、人生がつまらなくなる。んじゃあ、どうすればいいの?
【演技がスゴイ】
内容も充実していますが、主演2人の演技もスゴイ!タイタニックがウケたのは、主演2人のチカラあってのものだと、改めて実感しました。
【おわりに】
この話は、他人事じゃない。ってか、自分の事のように、投影してみてしまいました。「あるある、こういうケンカ」って、感じで
この映画は、 ”美談” ではなく、 ”リアル” を描いた傑作だと思う。新婚で無ければ、絶対に見ておくべきです。
ロマンティックが止まらないタイタニックファンに平手打ち!
ロマンティックが止まらないタイタニックファンに平手打ち!
サム・メンデス監督ってジェームス・キャメロン監督のことが嫌いなのかな?
あの、サム・メンデス監督は、「タイタニック(1997年)」が嫌いなのかな?
このキャストで、こんなトータル「唾飛ばし合いの夫婦喧嘩」話を撮るなんて(キャシー・ベイツも出てますしね)。どうしても、タイタニックの"その後感"が否めないと思うのですが。
あの時ジャックは死んで、ローズとは結ばれなくて良かったんだ。
結ばれてたら、きっとこんな感じで結婚生活は破綻していたさ!
ロマンティックが止まらない二人を想像して、劇場に訪れたタイタニックファンに、思いっきり平手打ちして目を覚まさせる本作。そんな悪意をほんの少々感じると共に、ディカプリオと当時の妻ウィンスレットが、「タイタニック」後、あのイメージをずっと引き摺ってることを哀れんでるようにも思えます。
こんな見方は、捻くれてるでしょうか?すみません。
しかし、結婚、子供、家族に対して、自分の夢以上の価値を見出せないというのは、やはり悲しいことですね。
でも見出せず、ただフランクの言う「絶望的な虚しさ」を抱えて生きている人もいるんでしょう。けれどこの二人は、ただそれを抱えるだけでは我慢ならない。
妻エイプリル。
50年代のアメリカはまだ保守的で、女性が避妊することは許されておらず、また堕胎なんかできない時代でした。エイプリルは、妊娠が自分の人生を狂わせたとずっと思っています。
また家事を一生懸命にやっても、誰も認めてはくれない。
夫フランク!認めないどころか、女遊びが激しい。
平凡な人生を嘆くフランクは、浮気で自分の男としての魅力を再確認したいわけです。俺は平凡な男じゃない!まだまだイケてる!
でも浮気して帰宅すると、妻と子供達がバースデー・ケーキを作って待っていてくれる。この時のディカプリオの表情が秀逸です。
家庭を持って平凡な人生を送る。例え絶望的な虚しさを抱えても、こうやって家庭で満たされたりする。
だからフランクは、パリに行きたいけど、正直怖いとも思っている。退屈で平凡な自分を、認めてるから。
でもエイプリルは、自分では認められない。そんな鬱憤は、夫に向けられます。
「愛してない」
「寧ろ憎い!」
自分の人生を滅茶苦茶にしたのは夫。夫=加害者、妻=被害者な図式から抜け出せません。
この二人の間に入って辛辣な言葉を吐き続けるのが、心を病んでいるジョン(マイケル・シャノン)。マイケル・シャノンって本当に、尋常じゃない目つきと、存在感ですよね。
「あんた(エイプリル)がそんなだから、夫はあんたを妊娠させることでしか、男を証明することができないんだ!パリに行くのが怖くてしょうがないんだ。だからあんたをわざと妊娠させたんだよ。最後に一言、あんたのお腹の子供でなくて良かった!」
なんというパンチ力。マイケル・シャノンって凄いです。
サム・メンデス監督といえば「アメリカン・ビューティ」でも、アメリカ中流家庭の崩壊を、社会問題にブラックな笑いを交えて見せてくれましたが、本作はストーリーは単調で、ディカプリオとウィンスレットのガチンコ演技対決による家庭の崩壊を描きます。
ポスターが、タイタニックでお客さんを呼ぶ気満々なんです(笑)
「誰も逃れられない、運命の愛」とか、そういう映画ではありませんからね!
けど、このキャッチコピーで若い人が観に行ったら、凄く勉強になったとも思うんです。もし二人が結婚したら、将来はきっと出産問題って浮上するわけですから。
そう!私が言いたいのは、そこなんです!
本作は50年代のアメリカの話ですよね!?
でもね、日本では今でもこうなんですよ。
出産でキャリアを諦めるのは、圧倒的に女性の方なんです
そんなことを考えて観ると、また違った感情が湧いてきます。
閉塞感
夫婦は運命共同体なので、片方がやりたいことをやるというのは、もう片方が我慢している可能性があります。
特に片方が日陰をやらされていると思っている場合は、生活そのものに閉塞感や憎しみを抱えてしまうこともあるかもしれません。私の人生こんなはずではなかったと。
エイプリルはパリで仕事を持つという夢により現状の閉塞感を打破しようとしますが、家族というしがらみから夢を放棄しなくてはならなくなる。
エイプリルにとって、夢を阻害する人物はいくら家族であれ邪魔者にしかならない。
「愛」という幻想がなくなった時には特に。
エイプリルの様に根拠無き自信を持てない人は、配偶者や子供に自分の夢を託し自分を偽るのかもしれません。それを自覚するかしないかだけかと思います。
最後の眼差しの行方
エイプリルは女優の夢の途中で、彼の子供を妊娠した。
自分が何者でどんな可能性があるか確かめる間もなく、家庭に入った。
スペシャルなはずの自分が、普通の主婦になる現実を理解できず。
家庭だけが彼女の居場所となり、魂は幽閉されたまま・・・
自分の存在意義を探したい。
自分は母、妻である以前に一個人の尊厳を求める人間なのだ。
お互い求め期待する反動で・・・
口論の末、反射的にこれ以上ない破壊的な言葉をはく。
それが時々、取り返しのつかない残酷な結末を呼ぶ。
彼女は子供を中絶してまで、パリへの移住を切実に望んだ。
何が彼女をそこまで、駆り立てたのだろう?
冷静にそれを話し合えていたら、何か違っていたのかな。
誰にも当てはまりうる、一組の夫婦が、日常で知らぬ間に爆弾を育て
新しい子供の命というヘビーな難題を前にして
落ち際には爆弾が血を含んで大爆発する。
サム・メンデス監督的な・・・日常に潜む闇を鮮烈に描いた映画。
ぶれずに、アメリカを描くこと
サム・メンデス3本目。『アメリカン・ビューティー』、『ロード・トゥー』、そしてこの作品と3本見て、サム・メンデスは信頼できると感じました。
特に今回の作品なんて、他の2本と比べて、取り立てて盛り上がるプロットはないのに、これほど間延びせずに見せられるのは、本当にうまいのだと思いましたよ。
主題は、ぶれずにアメリカ。いずれの登場人物にも肩入れできないと同時に、いずれの登場人物にも自分を重ね合わせてしまう、そういう割り切れなさが、この映画を支えていたように思います。
キリキリと心が痛い。
なんだろう。愛憎入り交じり激しく罵り合う二人。浮気。人の見たくない一面がまざまざと描かれているが、それがこの作品の深さを演出している。自分には書けない深さがある。その深みにはまって沈んでいく。深い水底にヘドロのように重なり、時には舞い上がり。人は聞きたくないことは聞いてない。信じたくないものに目をつむる。ラストのワンシーンが印象的。拡聴器のボリュームを落とそう。かないの人を悪く言うのは聞きたくない。静かに、静かに。
最初から破滅の予感、この幼稚な妻にはうんざり
総合60点 ( ストーリー:55点|キャスト:80点|演出:75点|ビジュアル:75点|音楽:75点 )
かなり最初の方から破滅の予感のする作品だった。特に朝食の場面は良かった。二人の演技は真に迫っていて、すぐにこの後で何かがあることがわかった。自殺するのかなと予想したが、そうではなかった。でもやはり何かが起きた。閉塞感に追い詰められている妻の、今にも窒息してしまいそうな状態が見て取れた。
それにしてもこのケイト・ウィンスレット演じる妻エイプリルの幼稚さは目に余る。映画としては家庭に縛られず自由と解放を求める50年代の妻を描きたかったのだろうが、たかだか市民劇場の女優をやっても駄目で、おそらくやったこともない秘書になって簡単に高給がとれると思い込み、パリに移住できることを夢見る。自分の実力以上に自分を評価し、自分で出来ること以上のことが出来ると思い込む。何の実績もないのにいい歳して女優になりたいとかセレブになりたいとか言っている普通かそれ未満の水準の自分のことを勘違いしている女性に何度か会ったことがあるが、この役柄はそのことを思い出させて、観ていてほとほとうんざりする。
演技も撮影も演出も音楽を含めた雰囲気作りもいい作品なのに、彼女の役柄がどうしても気に入らなくて、苛立ちを感じてしまって面白くない。まだまだ豊かではない50年代に、郊外の家と車と家庭がある。それなのに実現する力のない者が現実から目を逸らして夢だけ見ても無駄でしょうとしか思えなかった。ここまで生き方と価値観が違うのならば、さっさと離婚して好き勝手にしてもらえればいいのにくらいの気分だった。エイプリルはパリに行く前に社会に出て働いて、自分がいかに使えないやつなのかを体験して限界を知っていれば、こんな馬鹿げたことに取りつかれなくても良かったのかな。
主演の二人の演技や演出に得点をつけるけれど、これほどまでにも世間知らずで身の程知らずな妻を主人公に据えるという物語には好感を持つことが出来ませんでした。
夢を追いかける妻としがみつく夫の葛藤
女優の夢を捨て平凡な主婦である事から抜けだす気力に
溢れ常に前に進もうとする妻。
何か具体的なものがある楽な道にしがみついてしまう夫。
タイタニックから受けた永遠の純愛と違い
この作品は全く対局的な印象を受ける。
暗く沈み込むようなストーリー展開。
それは観る側にも決断を催す。
覚悟を決めないとダメだ。
かなりガツンときます。
純愛、軽いラブストーリー期待なら
観ない方がいい。
もう一つ。
夫婦では観ない方がいい。
愛と青春が旅立ったレオ&ケイト
本作は年齢、性別または、未婚者か既婚者かによって感じ方が大きく変わってくるタイプの作品だと思います。ただ1つだけ言えるのはとても重い内容であるという事です。
舞台は1950年代のアメリカ。
主人公は閑静な住宅街に住む現実主義の夫・フランクと今の現実から逃げたくて仕方がない妻のエイプリル。すべての始まりはエイプリルがあるものを見つけたことから“パリへ行こう”という話になり、それを決断した瞬間から彼らに次々と悲しみの連鎖が襲いかかります。
注目はレオナルド ディカプリオ、ケイト ウィンスレットを初めとするキャスト陣による渾身の演技と予測不可能な重い内容のストーリーです。
特にディカプリオとウィンスレットの演技は圧巻でした。対決シーンも凄かったのですが、私が特に気になったのはあの朝食シーンです。あの何とも言えない張り詰めた緊張感には圧倒されてしまいました。それから、忘れてはいけないのが精神異常者を演じるマイケル シャノンの演技。出演時間はトータルにすると10分位しかないのですが、彼が登場するすべてのシーンでは主演の二人を食う演技を魅せています。
監督はあの「アメリカン ビューティー」のサム メンデスでこの手の映画のスペシャリストと言っても過言ではありません。はっきり言って無駄なシーンが1つもなく特に大きな弱点は見つかりませんでした。
この映画のメッセージはとてもストレートなものだと私は思っています。私の解釈としては“結婚する前にやりたいことをすべてやらなければこうなりますよ。”といったものだと思います。
最後に1つだけ映画に関する疑問があります。
本編にはレオ&ケイトが台所で・・・するシーンがあるのですが、ディカプリオは最後までズボンを下ろすことがありませんでした。どうすればズボンを下ろさないまま・・・が出来るのでしょうか?何か魔法のパンツを使っているとか・・・(笑)そこだけはどうしてもまでわかりませんでした。
自我が捨てられない女をケイトが熱演
緑豊かな郊外の一戸建てに夫と子どもと暮らす主婦(ケイト・ウィンスレット)の一見幸せな、でも本当は気が狂いそうに逃げ出したい気持ちにすごく共感した。あんなところに囚われるなんて人生終わりだ。
ケイトは「リトル・チルドレン」に続き、妻にも母にもなれない鬱屈した女性を説得力たっぷりに演じていた。
地味ながら味わい深い作品。
若い頃の夢や情熱を捨て、家庭を持ち郊外で平凡に生きる夫婦の心の葛藤を、地味ながら丁寧に描いた秀作。
ディカプリオはずいぶん年を重ねているがまだ若さも残していて、今でなければこの役柄を演じられなかっただろうから、タイミングが良かったと思う。
逆にケイトは素晴らしい演技力だがいささか貫禄があり過ぎる気がする。もう少し若さの匂いを残して欲しい気がした。
50年代という設定ながら、主人公2人の心の葛藤を掘り下げて描いているので、時代感をさほど感じさせず、現代にも通じる人間ドラマとして見ることができる。自然光を多用した映像も良い。
2009年必見映画
「撮影:ロジャー・ディーキンス」の映像が素晴らしい。古い時代を意識させながらも柔らかな光の加減の見事さは、暗黒の20年代LAを表現するのにべたっと青くしてしまった『チェンジリング』と比べてほしい。その一方で風俗描写も50年代を表現しながら、今から見ても違和感がないように工夫されている。50年代を語りながら現代に通じるテーマを扱っているからだ。
監督夫人が主演しているとは思えないほどに辛らつな夫婦関係を描く(冒頭の素人女優ぶりはもう少し露骨でもよかったかも)。夫婦の言い争いの様子は一見理想的に見える50年代家庭の裏にある成熟していない大人たちの姿を暴いている。これが子供たちにいい影響を与えるわけもない(ここで「めぐりあう時間たち」のリッチーの末路を思い出す)。
そんな夫婦の空虚さを指摘するのが不動産屋の精神を病んでいる息子(マイケル・シャノン)だ。彼がずばずばと問題点をあげる様子は短いながらも印象的だ。しかし夫婦としてうまくやるためには不動産夫婦のようにある程度は目をつむる必要があるわけだ。
さて50年代直後に書かれた小説を今映画化する意味はどこにあるのか?アメリカ社会が大きく変化した60年代の前、50年代こそが理想的な社会だとする人たちに対するしっぺ返しだ。この時代に赤狩りがあり、映画界も大きく揺れた。この映画でレオナルド・ディカプリオの不倫相手はゾエ・カザン、エリア・カザンの孫で映画製作者がその辺を意識していないはずがない。今の映画界がニュー・シネマからの一連の流れを肯定するためには50年代が単純に明るいだけの世界ではないとしないとだめなのだ。その意味では郊外の問題を扱ってきた監督と女優によって、今作らなければならない映画なのだが、あまり受けていないようなので、時期を間違ったのかもしれない。
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