ハート・ロッカー : 映画評論・批評
2010年3月2日更新
2010年3月6日よりTOHOシネマズみゆき座、TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにてロードショー
外科医の日記を思わせる叙述。サスペンスが身体の芯に伝わる
テーブルの下に爆弾が仕掛けられている。それが爆発すればただのアクション映画にしかならないが、いつ爆発するかわからない状態でテーブルを囲む人々がポーカーに興じていればサスペンス映画が成立する。
このわかりやすい定義を下したのは名匠ヒッチコックだ。なるほど。「ハート・ロッカー」を見ながら、私も彼の定義を思い出していた。
映画の舞台はイラク戦争下のバグダッド。主人公の兵士は、米軍の爆弾処理班に属するウィリアム・ジェームズ三等曹長(ジェレミー・レナー)だ。ジェームズは爆死した前任者の後を継ぐ形で処理班にやってきた。
ジェームズは外科医に似ている。それも、自身の心臓にメスを入れるような外科医だ。細心で冷静で、なおかつ運を天に任せるような放埓さも備えた外科医。そんな外科医が日記をつけると、「ハート・ロッカー」のような映画ができあがるのかもしれない。
ジェームズを守るのはサンボーン軍曹(アンソニー・マッキー)とエルドリッジ技術兵(ブライアン・ジェラティ)の役目だ。ふたりは、防爆スーツをまとったジェームズの眼となり耳となる。銃を構え、テロリストの動向に神経をとがらせる。が、ジェームズはときおり向こう見ずな行動をとる。サンボーンは激しく苛立つ。なにしろここは、敵の姿を明視できない特殊な戦場なのだ。
監督のキャスリン・ビグローは、思い切りのよい省略法と、話の急所に直行する叙述を生かして、サスペンスを積み上げる。日記のように描かれる逸話は7つ。爆弾も兵士の情念も簡単には暴発しないが、いつ爆発するかはわからない。だからこそ、この映画のサスペンスは観客の肉体に響く。映画を見終えると、頭よりも身体の芯がずしりと疲れている。
(芝山幹郎)