宮廷画家ゴヤは見た : 映画評論・批評
2008年9月30日更新
2008年10月4日より有楽町スバル座、渋谷東急、新宿ミラノほかにてロードショー
男女の数奇な運命から浮かび上がる激動の時代
異端審問、フランス革命、ナポレオンの台頭。ゴヤは激動の時代を生きた。そんな画家の目を通して時代を描き出そうとする作品が出てきても不思議はないが、このアイデアは実際には簡単ではないだろう。ゴヤの視点を明確にするために絵画に頼ればあまり映画的ではなくなる。視点をおざなりにすれば史実に基づく歴史ものになるし、ゴヤ本人を掘り下げれば伝記映画と違いがなくなる。
フォアマンとカリエールは、実に巧みにこの課題を解決している。ゴヤは、肖像画を描いた男女の数奇な運命の証人となる。ロレンソは、教会では異端審問を強化し、国外に逃亡し、ナポレオン政府の大臣となって帰国する。イネスは、すべてを奪われ、時流とは無縁に幻想の愛を生きる。そんな男女を見つめることは、激動の時代をより身近に、しかも対極の場所から見つめることに繋がる。
この映画の出発点は、半世紀前にチェコスロバキアの学生だったフォアマンが、異端審問と共産主義社会に共通点を見出したことにあるという。異端審問所による監視や自由と解放を旗印にしたナポレオン軍の侵攻と占領。男女の運命から浮かび上がる時代は、共産主義社会だけではなく、現代にも当てはまる。
(大場正明)