「真逆な夫婦の愛の形」ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
真逆な夫婦の愛の形
「生きる」ことに向き合えず「死ぬ」ことばかりを願う人には、「死」=「崇高な英雄行為」である。いかに美しく、いかに理想的に死ぬか。そのことを日々考える。皮肉なことに「死」を夢見ることがその人の「生きる」糧となっている。しかし死が崇高で美しいのは、天寿を全うした人だけだ。理想の死を追い求める人に死神は微笑まない。死神が抱きとめるのは、生きることに前向きだが、一瞬の絶望で発作的に死を願ってしまった人だ。
太宰治をモデルとした小説家大谷(浅野)は、典型的な死を願う人だ。「僕は生きることが怖い」と弱音を吐き、次々に愛人を作り、呑んだくれ、泥棒まで働く。そんなどうしようもないダメな亭主を健気に支え続ける妻(松)。彼女は決して弱音を吐かない。夫のろくでもない行為を強く責めることなく許し、尻ぬぐいに回る。何故か・・・?愛しているから?これほどの仕打ちを受けたら愛などとっくに覚めてもおかしくはないのに・・・。自分は浮気をするくせに、妻の浮気が許せない夫は、ついに愛してもいない愛人と心中を図る。しかし前述のように死神は残酷だ。安らかな死ではなく、のたうちまわるみじめな姿と、スキャンダルだけ残って再び生きなければならないという辱めを彼に与える。それでも妻は夫に「どうしたらいいの?生き残って良かったというべき?それとも死ね無くて残念でしたと慰めたらいいの?」と静かに問いかけるだけ。だが彼女の心は常に血を流している。夫が残した睡眠薬を発作的に飲もうとする彼女だったが、彼女の生きる力の方が死神よりも勝っていたらしく、空を見上げて踏みとどまる。そして彼女は夫を助けるために、愛してもいない男に抱かれるのだ・・・。
松たか子の抑えた演技が良い。疲れた顔を見せず、凛とした上品な佇まい、抑揚をつけないセリフ回しが効果的だ。
だが本作で一番好演したのは、浅野忠信ではないかと思う。インテリ特有の物憂げで上品な佇まい。丁寧な口調と柔らかい物腰。こちらが責める前に謝る確信犯。寂しげな表情で「僕は弱い男です・・・」と言われたらもう許すしかない・・・。酒の飲めない浅野が『風花』で見せた絶品の酔っぱらい演技がここでも活きている。人間、やはり見た目が大切だ。彼のアンニュイな雰囲気があってこそのダメ男だろう(むさ苦しい男が「死にたい・・・」とウジウジしていたら「さっさと死ねよ!」って思っちゃう・・・笑)。
生きるエネルギーが間逆な夫婦だが、互いに引き合うことで生きていけるのだろう。それがこの夫婦の2人にしか分からない愛の形なのだ。