「[ヴィヨンの妻.桜桃とタンポポ]」ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ G1さんの映画レビュー(感想・評価)
[ヴィヨンの妻.桜桃とタンポポ]
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映画初主演(意外)にして、どこを切っても松たか子の魅力一色の、徹底大礼賛映画。
[ヤッターマン][空気人形][愛のむき出し]など、このところ男優不要の女優メイン映画の流れが目立つ。ヴィヨンの妻も明らかにその一本だが、根岸吉太郎監督は、是枝監督などと比べ、よりオーソドックスな出自(撮影所出身)であり、また作品が生誕百周年を迎える太宰治の原作であるため、ひたすら主人公の女性佐知のけなげな姿だけを描けばよいというわけには行かず、小説家大谷(浅野忠信)と愛人の秋子(広末涼子)の心中未遂には大なスペースを割かねばならないため、奇妙にウェイトの歪んだ映画となっている。
佐知が借金のカタで勝手に転がり込む闇酒屋夫婦(伊武雅刀&室井繁-どちらも芸達者)の店も、お客たちもみな静かな善人たちであって、時代背景である敗戦直後のギスギスした殺伐さはかけらもない、非リアリズムでパラダイスな酒場(種田陽平.矢内京子の美術、黒澤和子の衣装デザインなど、スタッフの仕事は言うまでもなく秀逸)。泥棒になった亭主の罪を減じてもらうため、今や弁護士に成り上がった初恋の男(堤真一)に抱かれて来ても、佐知は不潔さも淫靡さもまるで身に染みない。きっと作中の世界そのものが、アル中作家が譫妄状態で紡ぎだした、自らを慰撫するための幻想なのだろう。そもそも佐知が酒場で働き出した時点で、この男は地上に存在する理由を失っているのだから...。
とはいえ松たか子の何事もスパッと割り切って生きて行く、いかにも江戸っ娘的な潔さ、きびきびとした立ち居振る舞いの魅力と、日本映画の衰えぬセット芸術の素晴らしさを見ているだけで、充分元は取れる映画ではある。
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