ディア・ドクターのレビュー・感想・評価
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よく、わかんない・・・
「ゆれる」や「蛇イチゴ」は好きだ。「ゆれる」に関しては、ラストがよく理解できなかったため、原作本も読んだ。結局分からなかったケド。
肉親ゆえの複雑な感情が描かれているのがよかった。
今回の「ディア・ドクター」
田舎の風景がとっても綺麗だったのは印象的だった。稲の青々としたのが猫の毛のようにざわざわと、模様を描き出しながら風が渡っていくシーンが記憶に残っている。その中での八千草薫や素朴な村民たち。
西川美和監督の言わんとしている事が、わたしには響かなかった。これを理解できてAランクを付けている人は人間的に深いのだろう。
観なければよかった!という程も悪い映画でもなく、よかった!という程、理解もできず中途半端な気持ちが残った。
余貴美子がよかったですね。つるべもはまり役だったのでは?
村人たちが作り上げた
伊野を本物の医者にしたかったのは村人たちだった
香川照之と余貴美子の演技と存在感、キャラクターの意味は抜群で、瑛太に物足りなさを感じるほど
なぜだか物語に入り込めずやや消化不良
伊野の胡散臭さに笑福亭鶴瓶はハマり役
胸が締め付けられるようなドキドキ
映画を見ている間中ずっと胸が締め付けられるような思いでした。
なんだろうと思っていたけど、映画が、ひとつも見逃すなと語りかけているようで画面で起こるひとつひとつにドキドキしていたからだと思います。
映像も、音楽もセリフも表情も無駄なものが一つなくて、久しぶりに映画に夢中で見入るという体験ができました。
ほんとにおもしろかったです。
私は、「ゆれる」があまり好きではなかったので、そんなに興味を持っていなかったのですが、見てよかったと思います。
つるべいさんのしょぼしょぼの目がいろんな感情を語って、八千草さんの仕草が母親だったり女だったり、いろんなことを表現して、ぞくぞくしました!
監督は天才だと思います!こんな映画を原作・脚本・監督すべてやるなんて神業です!
人間の2面性を描く
西川美和監督がNHKトップランナーに出て言っていた。
「人間は一面ではないですよね。そんな複雑なところを描きたいと
思っているんです」
そして、この映画の発端となったのが
「村の人たちに、非常に便利がられていた白タクが捕まったという記事でした」
まさにそれなんですよね。
鶴瓶ニセモノ医師が、大変便利がられて、尊敬もされている。
その期待に応えようと夜は勉強に励んでいる。
でも、そんな自分に罪悪感をもっているんです。
ある日、ある患者の娘である医者とその医療方針をめぐって討論する。
結局は「よろしくお願いします」と勝つことは勝つんだけど、
その罪悪感から逃げ出すことになるんです。
でも、都会にでて医療を職にしている娘と、
患者の生活まで入り込んで信頼されているニセモノ医師。
そのどちらが患者にとって幸せなのか、実はわからないのです。
かくも、
人間とは?
医療とは?
他人と肉親とは?
都会と田舎とは?
どちらが正しいのか、わからないというのが結論のような気がします。
ただ、映画的には「ゆれる」のような緊張感はない。
これは鶴瓶を主演に迎えたとき、決まっていたんでしょう。
とてもよかったけれど、なにか物足りなく感じてしまったのでした。
嘘つきはカリスマの始まり。
「蛇イチゴ」や「ゆれる」で家族の建前と本音を見事に描き、
人間の深層心理を暴きだすことに成功した?西川監督。
難しいことは何も言っていないのに、そう、そこなんだよね!
というところに手が届く描き方をする手腕は相変らずスゴイ。
今回の作品は、私的に「ゆれる」ほどの衝撃性はなかったが、
ジワジワと迫りくる病魔と真相解明がミステリー感覚ながら、
山村が妙なほのぼの感を生み出しているところが面白かった。
無医村は、確かに多いと思う。おそらくは、誰でもいいから
医師が欲しい!と待ち望む高齢者たちで溢れているだろう。
「病は気から」とはよく言ったもんで、話を聞いてくれる医者が
大人気なのは都会でも同じ。高度で高額な医療を施さないと
治せない病気は多いが、安価で安心できる医師が傍にいたら
それこそ「親愛なるお医者さま」と崇められるのは当然だろう。
さらに人間は、自分が必要とされるとなおさら、高みに乗じる。
「どうせ自分など」と思っていた人間ほど、その歓喜が危機に
変わるギリギリまで、その波に乗ってしまうものかもしれない。
無免許。無資格。が許されないことは私達も分かっている。
でも、じゃあなんで連日ニュースではそういうカリスマ?達が
世間の人気を独占しては逮捕されるまでを流してるんだろう。
考えてみたら、世の中なんて嘘つきだらけじゃないのか。
「嘘」が二分類されるのは、つく側とつかれた側の信頼関係と
必要性(金銭も)が問われるからで、そこで善悪が判断される。
「やさしい嘘」「ゆるせない嘘」「自分を守りたい一心でつく嘘」
「相手を守るためにつく嘘」など、判定は一筋縄ではいかない。
なんかダラダラと語ってしまったが…^^;
この人の作品を観ると、いつもそういうことを考えてしまうのだ。
じゃあ、自分はどうなんだろうかと。
今作では様々なタイプの人間が、様々な形でその医師を信頼し、
のちに警察が介入してくる場面では、またそれぞれの事をいう。
まったく人間ってやつは…(爆)と苦笑いしたくなる場面も多く、
とはいえ、これからの事を考えると、いいのか?このままで??
という気にさえなってくる。所詮、人間の生き死にに関わる者が、
すべて善人だなんてことはないし、家族とて様々な思惑を抱えて
いるものである。ご老体が生死を彷徨う場面では、申し訳ないが
その光景に笑ってしまった。とてもリアルな家族模様の悲喜交々。
(但し、表面的には平静)あぁ本当に、人間ってやつは。。。
だけど、何より愛おしいのも家族なんだよ、と監督は突きつける。
末期の病に苦しもうが、娘には迷惑をかけたくないと我慢する母。
最先端の医療が、何もできない癒し、に敗北を期す瞬間…だけど、
医師にも親はいるわけだ。いくら嘘をつき通してくれと言われても、
もうここまで。と思ったのだろう。あの決断はあれで正解かと思う。
どうにもこうにも手も足も出なくなれば、最後は「プロ」任せしかない。
どちらかというとその瞬間を、彼はずっと待っていたんだろう。
病は気から…でも、気だけで病を完治させることは出来ないのだ。
親愛なる所以は、その人の「一挙手一投足」が物語っている。
最強の神のはずがないのに「カリスマ」と呼ばれる所以と同じだ。
(緊急処置のシーンはかなりドキドキする。余貴美子、巧すぎ!)
う~ん笑えない?ありそうな話かも
総論です。今週は連日の映画三昧で3本目に観たせいかちょっと感動薄めの作品。
プレミアムシートで観たレスラーや、バルセロナに並ぶ作品ではあるナ。どちらもオスカーがらみの作品。先々週の”愛読む”よりも、やはりちょっと感動薄めかナ。
ある医師(映画監修したとか、小道具も貸したとか)からの作品紹介メイルで観ることになり鑑賞目的は田舎の在宅医療が上手く表現されているとの興味本位でワイフと観にいきました。
日本の原風景、人口1500人の住む田んぼの真ん中の村立診療所、年俸2,000万円の医師と、彼を取巻く看護師、研修生、製薬卸のMS。いい味だしている脇役に恵まれ少々暗めのカメラワークとストーリは全編予測内で展開し意外性にかけました。
善良で誠実な村人との”絡みも落ちも想定内”、医師のバックグランドも凡そ予想の範囲と、邦画モノらしい映画。この監督、西川さんの映画始めて観ました。淡々と描く小作品がお上手なんですネ。
おじさん的には期待以上の作品
おじさん的には
鶴瓶は、昔、近畿放送の日本列島ズバリリクエストという番組のパーソナリティをやっていたときに、リクエストをまったく受け付けず、たかじんなんかをゲストによんで戯言を話していたただの偏屈なもじゃもじゃ頭の面白いやつなんですが、最近では、すっかり丸くなったおじさんになりましたね
ストーリーは無医村だった山奥の村に出来た村立診療所に働く医師が行方不明になる所から始まります
この行方不明の原因が徐々に解明されていく訳です
この行方不明となる理由が美しい
オチ自体は勘の良い人なら見る前に予測出来てしまうかもしれませんがこのストーリーは見ないとわからないでしょう
途中笑いもあります
本当の別のオチもあります
おすすめ映画です
事務的な医者より、伊野に診てほしい
「ゆれる」同様、車載カメラで始まり、日本の原風景である山村を舞台に物語が進み、主人公の前を横に走り抜ける公共乗物で終わる。虚実を織り交ぜながら、登場人物や環境を浮き彫りにしていく手法は健在だ。
農道脇に落ちていた一枚の白衣を皮切りに、過去と現在を行き来しながら、村人に名医と崇められたひとりの男の正体が明らかになっていく編集が巧い。ただ、シャープさという点では「ゆれる」の方が上だ。これは、登場人物と題材の違いもあるだろう。
村人が欲したのは、医師免状という紙切れだったのか、それとも親身に処置してくれる人格だったのか・・・。西川美和監督作品の共通したテーマは、“人の誠意とは何か?”という一点に尽きるかもしれない。
白衣という仮面を脱ぎ捨てた伊野だが、それでもかづ子の様子を見に戻ってきた。
笑福亭鶴瓶もハマり役だが、余貴美子の存在感が大きい。
天才的な構成力により、あり得ない話に現実感を持たせています。鶴瓶師匠の演技が素晴らしかったです。
作品チラシのコピーにはこんな文字が躍っています。
この村に医者はひとりもいない。
人は 誰もが
何かになりすまして
生きている
その嘘は罪ですか。
そして冒頭の「医師」の突然の失踪・・・。
こんなにヒントがあったら、感のいい人なら、「ディア・ドクター」のあらすじを言い当てられることでしょう。
半分ネタバレ気味でスタートするストーリーは、主役の素性がはっきりしない村の診療所の医師である伊野の医師としての真贋を問うものではありませんでした。
むしろそんな医師として怪しい人物が、どうやって村の診療所の医師として収まるかばかりか、村人たちに神様と崇められるくらい信頼される存在になり得たかというプロセスを明かすことで、医師不足や医療の本質にまで切り込んでいるのです。
一見あり得ないような話を、パズルをはめ込むように細かく伏線を張っていって、いかにも起こりそうなストーリーに紡いでいく西川監督は、天才的な構成力を持っていると思いました。こんな緻密なストーリーのコンセプトを一瞬で描けるなんて大したものです。
人には決して語れない嘘を抱えた主人公。村民から讃えられるほどに複雑な顔を見せる微妙な心理描写は絶品です。師事した監督が是枝監督というのも、なるほど納得です。
もちろん、物語のリアルティの背景には、山間地の地域診療所を丹念に取材したこと。そのなかで医師や住民の話を取り込んだことが多いに反映されていると思います。
チラシ・宣伝等でのネタばれコピーとは裏腹に、物語の前半では、村民に愛される伊野の医師としての日常をたっぷりと描きます。その姿には医師として非の打ち所がありません。
そんな伊野の元に、研修医として赴任してきた啓介は、当初こそ理論理屈で反発しつつも、やがて人間面で伊野を尊敬するように変わっていきます。そして、大病院の跡取り息子でありながら、病院を継ぐことを拒否してまで、伊野の元で働きたいと申し出ます。
前途有望な研修医の申し出に、伊野は苦笑い。俺はニセ医師だから、ついてきたら後悔するぞと冗談交じりに語ります。しかし啓介は、血相を変えて、それならうちの父親の方が「ニセ医師」ですと食ってかかるのです。うちの父なんて、病院経営の医業の方ばかりで、医療に全然携わっていない。それで医師でございというのは、医者のニセ者でしかないと啓介はいうのです。
二人の会話を通じて、ペーパーでも資格を持っていたら医師と見なすのか。それとも、医師としては素性が怪しい伊野であっても、村の医療を立派に担っている現実を重視すべきか、本作はさりげなく問いかけます。
後半になって、伊野自身はあまり治療らしい行為を行わず、重傷の患者はすべて大病院へ紹介状を出すことで対応していたという事実が明かされます。
それでも伊野の往診で治癒する村民が続出していたのは、伊野の仁者としての言葉による治療効果が絶大であったことなのでしょう。医療の目的が医療報酬獲得と製薬の押し売りが主となり、患者の治癒が従となっている昨今、医は仁術という原点を問いかけてくれる作品でした。
これまで曖昧でも医者として通用してきた伊野が転機を迎えるきっかけとなったのが、鳥飼かず子の診察から。彼女は娘たちに余計な負担をかけさせたくないあまりに、末期がんである病状を誤魔化してほしいと伊野に頼みます。
このシーンで考えさせるのは、延命治療の問題点です。
肉体を切り刻まれて、パイプをぶち込まれて、人間というよりもロボット状態で延命されるのは、人間性の尊厳にも劣ることではないでしょうか。そして、その間のご家族の精神的・経済的負担は馬鹿になりません。このほど成立されたとある新党の政策パンフレットにも、自然死・ターミナルケアの推進が医療費の軽減にもつながるということを指摘してありました。
自然死を政治的に強制するのはどうかと思います。でも逆に、最近まで大病院では、自然死を選択できなかったのです。
ですから自分の最後をどう送るべきかぐらいは、患者サイドにたった選択肢を用意すべきではないでしょうか。末期を迎えたかず子の病状と、それに対応するべく、ターミナルケアの理論を夜なべして自習する伊野の対応のなかに、高齢化社会を迎えた医療のあり方が問われておりました。
心理描写が巧みな本作のため、語りたい名シーンは、書ききれないほど沢山あります。中でも鳥肌ものだったのが、かず子の娘で女医をしているりつ子が帰省したときの伊野の対応でした。
当初は作戦通り、他人の胃カメラ写真をりつ子に見せて、胃がんを胃潰瘍で誤魔化し通してしまいます。しかし、かず子が生きているうちに、りつ子が帰省しないことを知るや態度を豹変。冒頭の失踪シーンと相成るのです。
かず子とのガンであることを隠す約束と、隠すと親子がこれで生き別れてしまうという辛い現実との板挟みに伊野は陥り、動揺します。そして、何も説明せず診療所を立ち去りました。人づてにかず子には真実のカルテを送って、自らは姿を消すほかしかなかったのでしょう。
このとき見せる主演鶴瓶師匠の抑制のきいた演技が素晴らしかったです。
失踪した伊野の足取りを求めて捜査する警察が関係者への事情聴取をするなかで、伊野の正体が明らかになっていきます。
すべてが明らかになったとき、伊野のついてきた嘘を、あなたは許せるでしょうか?
小地蔵は、ラストに登場する伊野の落とし前の付け方を見て、大いに許せました。
ロケは、主に茨城県の常陸太田市の寒村にある棚田地帯で撮影されたようです。その映像美も素晴らしく、エメラルド色の稲穂が一斉に風にそそぐシーンなど、忘れがたい場面をスクリーンに焼き付けていました。
●mixiでの追加コメント
小地蔵はこの作品を見て、西川監督の演出力の凄さを感じました。
でもご本人は、『ゆれる』の高い評価に戸惑っているようなのです。そんな大それたポジションで評価されることへの違和感、居心地の悪さが、本作のモチベーションとなったと言うから謙虚ですよね。
自らをまだ『ほんもの』扱いにしていないとは驚きです。
『ディア・ドクター』のテーマは、「偽物とは何か」という点がシャープに浮き彫りにされていました。自称「なんちやって監督」とへりくだる西川監督が監督でないなら、大監督たちは、『ガマの油』となるしかないでしょうね。
西川監督の描く、やさしい国ニッポンとは
この映画の監督、西川美和さんは、
先ず脚本を作り、映画を作り、その後小説で
いろんなエピソードを作っていくそうです。
そんな監督が作った、この「ディア・ドクター」は
劇場予告を観て、勘のよい人ならだいたいのあらすじは
読めているかもしれません。
僻地の無医村で勤務するニセ医者伊野を笑福亭鶴瓶が演じます。
ごく普通の健康的な生活を送っている人々にはストレスなど無く、
いざとなったら医者がいるという安心感で充分なのでしょうが、
伊野医師は独特のあじの有る笑顔で、村人達の健康を献身的に
守っています。
そんな彼に惹かれ、若い研修医(瑛太)は
この村で働くなどと言い始めます。
「医は仁術」という意味がわかりかけた証拠なのでしょう。
いくつかの印象深いシーンがあります。
製薬会社の営業マンの香川照之が、松重演じる刑事に、
彼は何故医者になりすましたのかと聞かれると、
営業マンは考えこむ。すると、彼の座っていたイスが
突然ひっくり返えった。それを支える松重刑事。
礼も言わず営業マンは言う。何故いまイスを支えたのかと。
営業マンは続ける。彼はあなたと一緒の事をしただけですよ、と。
そんな彼が、村から出ていったのは、
八千草薫と井川遙演じる親子の情を慮ったから、
母の病状を心配した娘の思いを騙す訳にいかなくなったからだろう。
エゴとは無縁な伊野というニセ医者によって
本当の医療の意義が浮き彫りにされていく。
本物よ、頑張ってくれ!と言いたくなってきました。
もう一回見たい!
モニター試写で見たので、事前に、作品に関する情報を読まされての鑑賞・・・。
なんの知識もなく見たかったって言うのが本音です。
知らなければ、村民とか、研修医とかと同じ立場で、映画を体験することができたんじゃないかなぁって思うと、ちょっと残念。
それでも、僻地医療の在り方を考えさせられた。そして、
西川美和監督の前作「ゆれる」を見た時と同じで、
もう一回見たいって思った!
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